準備をすることの大切さ

 息子はピアノを習っている。趣味として弾けるようになったらいいな、という軽い気持ちで習うことを私が仕向けたのだが、最近は彼なりに弾くことに対する課題をもって毎日練習するようになった。そのおかげで週1回の先生とのレッスンがとても充実しているのだ。

 たとえ曲の途中までであっても彼なりの仕上げに対して先生は楽曲のフレーズの意味合いや解釈、またそれに対するテクニックなどかなり深いところまでを教えてくださっている。この作曲家が生きていた当時に流行していたピアノの楽曲の構成、そして当時の演奏スタイルなどを語る先生のお話に、別の部屋にいる私もついつい聞き入ってしまっている。先生のお話を聞いた後に弾く彼のピアノは、今まで聞いたことのないようなキラキラした音で、いままでモノトーンだった世界が一気にカラフルに彩られたような世界となる。レッスンの後、先生は「今日はとてもよいレッスンができました」とおっしゃり、最後に「楽しかったです」と言って帰られた。

息子も先生も互いに充実した時間だったようだ。

彼らのやりとりを端で見聞きして改めて想起したのは、先生、そしてその道のプロの方と対峙するときにこちらがしっかりと準備をしていくことがいかに大切かということだ。教えを乞う相手は今まで自分が費やしてきた時間以上にたくさんの時間をかけて自らを研鑽し知識を深め技術を磨いてこられたのだ。その方からわずかな時間に教えを頂くには、こちらも今の自分の最大限のベストの状態で持って臨むべきであろうと思う。まさにレッスン・指導は真剣勝負。

先生の持ってられるたくさんの知識・技術・人生観など引き出しを開けるのは、対峙する自分だ。きちんと準備していくことで、先生の広く深い知識が開かれ、これまでみたこともなかったような世界へといざなってくれる。これはまた教える側もただ与えるだけに終わるのではなく、今まで持っていただろうけど忘れていた自分の引き出しに気づく、自分の持っている知識、技術に改めて気がつく契機となるだろう。そしてそれは、おそらく先生にとっての自己の新たな学びへの手がかりともなり得るのではないか。ああそうだ、こういう引き出しを私は持っていた、と。

一期一会
コロナ禍以来オンライン教育がすすみんでいる。それ自体は悪いことではないし、むしろオンラインで教えを受ける機会は増えていくだろう。ただ直接先生から指導を受ける機会は減りこそはすれども無くなりはしないだろう。ならば直接会って教えを受けるという貴重な時間をいかに生かすかは、その時間までに自分が日々研鑽を積み、今の自分をすべて開示する勇気をもって真剣に向きあうことにかかっているのだ。そうすれば、師と仰ぐ人の世界、広く深く、まだ到達したこともない世界への扉から光がうっすらと漏れ開かれていくことにつながるのだろう。

準備することの大切さを改めて思う。

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