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心の叫びは声よりデカい②

昔から医学の世界は日進月歩だといわれている。
未完全であり、ゴールがどこなのか確定しておらず、新たな課題が生まれる度に進むべき道も伸び続けるという事。
私の体や心に付けられている病名も、未来には改められているかも知れないという事。

いま現在の正解が未来でも正解だとは限らないのだから、一喜一憂はやめようと思う。

今日は全く話せない日だ。
ひとりでいても、誰かといても、
話せない時は話せないのがここ数年の私。
新しい症状ともいえる。

だからといっていつもの脳内会議も閉会しているわけではない。
静まることはほとんど無い。

医師の診断は定まらないので、私の医療への信頼感も定まらない。
ビジネスも、医療も、どんな世界も結局は人と人との関わり方。ご縁が大切。
そして、双方の人間性の問題で解決までの道のりも険しさが変わる。

心因反応、うつ病、抑うつ、解離性障害、PTSD、パニック障害、、、etc
他にも何かあったかな?
その時の症状で診断名が変わるだけだと何かの記事で読んだこともあるが、
ただそれだけの問題だろうか。
私の何を、どこを、どんなふうに見ての診断ですか?と不思議な気持ちになる。

かれこれ15、6年にもなろうか。
初診年月日のカルテはもう存在しない。
病院の都合と言われればそれまでだが
担当医が余りにもコロコロ変わるのは酷く疲れるものだ。
手書きのカルテから電子カルテに進歩した現代でも、それをどこまで遡って患者を理解しようと努めてくれているのか全く分からない。

声が出ない。話せない。
スマホのメモ欄を使って伝えたいことを
筆談する日々が1か月近くも続いたと思えば、何かの瞬間にふと小さな声が出て、少しずつ言葉を取り戻していく。
その繰り返しにいつの間にか家族も慣れたようだ。
受け入れてくれているという安心感だけが、私を今日も生かしてくれている。

コロナ禍なのでマスク生活の中、身振り手ぶりでやり取りしていても大して目立たないのは少し気が楽。
他人様のことは気にしないとカッコよく言いたいが、そんなに簡単なわけがない。

ひと目が気になるかどうかも、私には
心の元気度バロメーターだから。

生きづらいという言葉が流行っている。
それに照らすと幼少期から生きづらかったということかと自分に問う。

「そうだと認めてごらん?楽になるよ?」

「そうだね。」

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