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ラブネバーダイ雑感

千秋楽まではあと少しあるのだけど、My楽終了したので、ざらっと雑感。
役者のこと含めて、総括。

2月17日ソワレ観ました。
先月観た時との役替わりは、ファントムが幹二くん、ラウルがマリちゃん、マダム・ジリがたーちん、グスタフ熊谷俊輝くん。熊谷くん、うまかったなぁ。
1月に観た時は、この直前にVoice of the Westend行って、本場ファントムを聞いてきたばかり。その美声が耳に残っていたので、正直、市村ファントムの第一声ツラかった(失敬)。あ、天使の歌声ちゃうわ…となっちゃうわけで。その点に関しては、石丸ファントムは声質で言うと、まだ、いい。んだけど、幹二くんも大分、お声が、ね。
逆に、ファントムがグスタフにファンタズマのすべてを見せて歩くときのナンバー(”Beutiful"~"The Beauty Underneath")の曲調とは、ファントムのエキセントリックさが前面に出てるから、幹二くんよりも市村さん向きだなぁと思いながら観てた。
ただ、どちらにしても役者としての実力は申し分ない(何様)ので、(歌)声に関しては、劇中は気にならず。
最初の、ナンバーだけが、ね。ものすごく気になる。

それにしても、この作品におけるファントムは、ダメ男だなぁ・・・って思っちゃうのよね。ラウルもだけど、クリスティーヌを取り巻く男が二人ともダメ野郎だなぁ。
そもそも、10年前に愛を交わしたのに、愛に恐れをなしたからこそ、エリックはクリスティーヌをラウルに押し付けた(愛しているから、ラウルの元に行かせたと言っていたけど、クリスティーヌは彼との、多分どう考えても難儀な生活を受け入れる覚悟が出来ていたのに、エリックはその覚悟がなかったってことでしょう?)(まぁクリスティーヌが自ら選んだとしても、多分またラウルはじめ皆が地下に押し掛けてということになるのが目に見えてはいたけど)(どこか他に逃げることだって考えられただろうけど、結局エリックにとって、愛を受けたけど、その後の事を考えるとクリスティーヌが重荷に感じたってことなんだろうな、と)にも関わらず、クリスティーヌがNYに来ると知ったとたんに、呼び寄せラウルを遠ざけ近づくとか、ホントにね。そりゃクリスティーヌだって怒るわ。

ここでちょっとわからないのが、クリスティーヌを招聘したのは、ハマースタイン氏で、彼のメトロポリタンオペラの杮で歌っていただきたく!!だったわけよね。それをファントムが横からかっさらったのか?そもそもの招聘が、ハマースタインの名を騙ったファントムからだったのか?なのだけど、船が着いたとき、パパラッチが「公演まで2週間あるけど、それまでなにするの?」と聞いていたので、ファントムが横さらいした系か、と。
多分、ハマースタインが呼んでいると聞きつけて、彼が考えている日程よりも早い船のチケットを、(ここで)ハマースタインの名を騙ってファントムが送ったんだろうな、と思ったの。
あと、ファントムがハマースタインの2倍払うと言っていたから、多分。
10年我慢して、天使の歌声に乾いていたけれど、自分からクリスティーヌを呼ぶことは出来なかったところ、ハマースタインがチャンスを作った的な。ここに、自分の手の内(近く)にクリスティーヌが来るのに、放っておけなかったんだろなぁ、と。ずいぶん勝手だけれど。

話は飛んで、メグ・ジリ―のこと。
というか、なんでメグはファントムのことを慕ってるのだろう?という疑問。
そういえば、彼女はオペラ座時代も、ファントムの影は見ること(感じる)ことはあっても、実際の姿を見たことはなかったなぁ、と思って。
バレリーナや裏方の間でのファントムの、オペラ座の幽霊の恐ろしい話、人殺しの、ジョセフ・ブケーの件はメグも見てるから、事実恐ろしいことは分かってい入るのだけど、でも女の子たちが楽屋で騒ぐこの手の話にありがちな、というか少女趣味的な考えも、どこかにあったんじゃないのかな?と。
一番の友達のクリスティーヌの所に訪れるという、音楽の天使。その話を聞いて、自分だけの守護天使に憧れを持っていたのだろうことは、想像に難くないし、その後、クリスティーヌの音楽の天使が、ファントムその人と知った後も、実際の顔を見てはいないし、で、もしかしたらメグの中では、ファントムは身をやつしている貴公子とか、そういう風に思うように、思い込むようになっていたのかなぁと思った。メグにとっては、ラウル子爵とオペラ座の幽霊に身をやつしている、どこかの貴族様との間でクリスティーヌが揺れて、ラウルを選んだという風に捉えたか思い込んだかなぁ?と。
そのまま、母親と一緒にファントムを追って、ファントムを頼ってアメリカに渡り、彼の興行に出るようになって、彼から声をかけられることはないけど、母親の指示で(多分マダム・ジリとしては、ファンタズマのパトロン兼メグのパトロンになってくれるだろう有力な人、を探してとかだったんじゃないかなぁと思うの)ファントムの為にいろいろ尽くしてきて、彼の興行の主役を務めているから、いつかファントムが自分に「も」声をかけてくれて愛してくれるんじゃないかと、思っていたのじゃ?というか。
メグの想像の中では、ファントムが仮面をつけているのは、顔が醜いからではなくて、世間から身を隠さなきゃいけない王子とかそんなんか、もしくは醜いけど、顔に傷があるとかそのくらいで、化け物だとはもうすでに思っていないとか?どこかの段階で、オペラ座の幽霊と、クリスティーヌを愛したオペラ座の怪人は別物と思ってしまったか?
じゃないと、(私の中で)説明がつかない。
オペラ座のバレエダンサーのうちで、確かメグ・ジリ―が一番若かったというか、子供だった(はず?)から、その純粋な少女の心のまま育ってきてるような。白馬の王子を待ち焦がれているような。(待ち焦がれていたところ、オオカミに喰われたけど、それは記憶から消し去って、でも拭いきれないなにかがあって、のような)

ここまで考えてくると、この作品では、クリスティーヌ、ファントム、ラウル、メグの4人の中で大人なのはクリスティーヌだけだな。と。
前作では全員が子供じみた、「愛」に対する考えを持っていたけど、10年後、は。
ファントムとラウルは、愛を与え・愛を受け、愛を裏切り、裏切られ、してきたけど、その意味では少しは大人になってたけど、でもまだ根本的には子供っぽいなというか、あの段になっても正直、彼らは自分たちのこと、自分たちが愛されることしか考えてなかったよなぁと思って。
まぁこの話は余談。

「ラブ・ネバー・ダイ」が初見で、オペラ座の怪人と言ったら、専ら、アーサー・コピットの「ファントム」だという(ウェイバーの「オペラ座~」を観た・観たことはあるけど覚えていない)友人二人も、ラストの突然の三文芝居は絶句したと言っていた、あの幕切れ。
あの場でのファントムの行動がどうしても解せなかったのだけど…10年前の彼なら、メグ(やマダム・ジリ)に対してあんなに寛容ではなかったと思うし、あんな拳銃を向けられたからって、焦るようなこともなく、誰にもわからないような手妻で投げ輪をして見せたと思うのだけど…ね。
って思ったけど、ファントム自身もメグが、なぜか好意を寄せてくれてるだろうことは分かってたんじゃないか?とその上で、あぁいう風に告白されたら、手も足も出せない、立ち竦んじゃう人だったと思いだした。
スーザン女史の「ファントム」で似たようなシチュエーションがあって、少女を1人死なせてしまっていたものね。そのデジャヴが、あの時の彼の中にあったとしたら、あのたどたどしい説得は分からなくも。そして、意外と失言するところも、人の心を読むのが苦手なエリックらしいというか。プレイボーイではないからね。

まぁ、そんなところかなぁ。

ところで、A.L.ウェイバーがオペラ座の続編を考えているとか作ったとか言う話は、ウェストエンド初演(2010年)よりもかなり以前に耳にしていたのだけど、その後聞こえなくなって、ウィキの情報を信じると、作家のフレデリック・フォーサイスと物別れしたとか。それで、フォーサイスが「マンハッタンの怪人」を発表した、と。
この本は未読なのだけど、それはそれとして、ウェイバー自身が、LNDはオペラ座の怪人の続編とは考えていなく、単独の作品だとしているようだけど、確かにこの作品を観るにあたって、必ずしもオペラ座の怪人を観ておく必要も理解しておく必要もないとは思うけど、でも、それにしては多分にオペラ座の怪人での出来事をアンダーグラウンドに敷いているなぁと思って、だから余計に話の齟齬を感じてしまうんだよなぁと。
ついでに、オペラ座の怪人はガストン・ルルーの小説を底本に据えているのに、LNDはミュージカルのオペラ座の怪人と、スーザン・ケイの「ファントム」を底本としての二次創作だから、もうごっちゃなわけだよね。
単独の別作品なら、もう少しなんだろなぁ、そう見えるように作るべきだったんじゃないか、と思うわけで。

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さて、おそらく、再々演があったとして、めぐちゃんの登板は今回が最後じゃないかなぁ?と踏んでいるので(理由はない)(なんとなく)、おそらくもう(海宝くんがファントムを演じない限り)この作品に触れることはないと思うのだけど、それはそれで安心。←
ともかくとして、いろいろ忘れていることもあるから、また久しぶりに原作読み返してみるわ。

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