中島らもと過ごす夏
うら若き恋人に『アマニタ・パンセリナ』を貸した、悪い女。
彼の文章を読んでいると、彼の頭蓋骨をパカっと開けて中身を覗いている気分になる。
出鱈目なおもちゃが無秩序に糸で繋がっていて、引き摺り出すたびに、なんでこれとこれが繋がってるの、と途方に暮れる母親の気分になる。
奇想天外なのだけど、でもちゃんと、らものルールに則ってそれらはしっかり結びついている。
そんなわけないでしょーよ、と、呆れ笑いで読み進めていくと、突然心をグッと掴まれるフレーズが落ちているのでびっくりする。
もっと好きになったり、やられた!と思って恥ずかしくなったり、バレた、と思って咽び泣いたりする。
心の琴線に触れるという表現が一番正しいのだと思う。
らもは灘高生だった。
私の父も灘高生で、しかもらもの1歳下なのだ。
ねえねえ、学校でらも見た?どんな感じだった?と尋ねたのは言うまでもない。
しかし私の父はらもの真逆の生き方をする人なので、ふたりが交わることは終になかった。
おそらく私の父は闘争が終わっても坊主であったであろう。
急にロン毛が増えてみな同じに見えたと言ってた気がする。
ああ勿体無い。
バンド時代はらも好きがたくさんいて楽しかった。
らもの命日にらもを偲んで飲もうと言って、神戸のらもの行きつけの店を梯子して、盛大に酔っ払った私たちは深夜にパンダが見たいと王子動物園へ行き、もちろんパンダは見れず、近くの鳥類の鳴き声がうるさくて退散した。
最後は友人宅でらもの小説やエッセイや特集本を並べ、なんやかんや論じながら、お酒と、合法の風邪薬を大量に摂取して、誰もがみな今すぐに階段から落ちて死にたいと思った。
中島らも研究家になるほどいきり立っているわけではなく、穏やかなファンなので、ちびちびと、まだ知らない彼の文章を小分けに摂取して喜んでいる。
でも彼が新作を書かない以上、全部読み尽くすのが非常にこわい。
定期的にらもの本を買って、よかった、まだある、たくさん書いてくれてありがとう、と心底思う。
間違いなく私の本棚の中でらもの書籍が一番多い。
そして間違いなくこれからも増え続けていく。
こんな後追いみたいな感じではなく、同年代で、同じクラスとか、隣の学校とか、飲み仲間として出会ってみたかった。
でも、きっとそれは永遠ではないので、今のほうがよっぽど幸せ。
私の中に、私だけのらもがいる。
また今年も7月26日が来るよ。
派手に飲もうね。
いただいたサポートは、ジャックになり、私の血肉になります。