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牡牛座7度「異郷の出会い」

2018年4月26日15時55分、トランジット太陽が牡牛座数え7度へ入ります。牡牛座数え7度のサビアンシンボルをぎゅぎゅっと五文字くらいに縮めると「異郷の出会い」。

「♉7異郷の出会い」の原文チェック。黒字が1925年ジョーンズ版で「A woman of Samaria サマリアの女」。青字が1975年ルディア版で「The woman of Samaria at the ancestral well. 先祖の井戸にいるサマリアの女」。

「♉5主なき墓」に続く新約聖書・福音書の物語がモチーフになったシンボルです。ヨハネによる福音書第4章1節-39節がこのシンボルに関する物語。先に話を知りたい方は「ヨハネによる福音書 第4章」あるいは「サマリアの女」でググッてください。

「♉7異郷の出会い」の番地チェック。牡牛座前半(往路)の、第2グループ(まんなか)の、第2度数。5度組の第2度数は第1度数と対になる。磯野家で言えば磯野家(5度組)のテーマをバンと打ち出す波平さんに寄り添い、ときには対立もするフネさんだ。

「♉7異郷の出会い」サマリアの女の話を掻い摘んで語ろう。全文を読みたいひとは「ヨハネによる福音書」第4章の第1節から第39節までを探して読もう。「サマリアの女」で検索してもたくさん見つかるよ。色々な方が解説してくれているから自分が読みやすいものを読もう。

「サマリアの女」エピソードが始まる少し前、イエスと弟子たちはユダヤ地方で活動していた。しかしファリサイ派と呼ばれるひとたちに目をつけられた。イエスたちは出身地ガリラヤへ一時的に帰ろうとした。しかしその途中には、あまり仲のよくない部族サマリア人の土地があった。

サマリア人の住むシカルという町に「ヤコブの井戸」という井戸があった。この井戸がルディア版♉7のシンボルに登場する「先祖の井戸」ね。サマリア人の町にある、サマリア人が代々守っている井戸。ある日の真昼頃、歩き疲れたイエスはこの井戸のそばに座っていた。

おさらい。イエス一行はユダヤ人の住む地域で活動していたが、ファリサイ派に目をつけられた。事を構えたくないイエス一行は地元ガリラヤへ帰ろうとした。しかし、帰郷するには部族的に仲がよくないサマリア人の土地を通る必要があった。ざっくり喩えると? 神君伊賀越えだよ!

伊賀越え、ならぬサマリア越えの途上。舞台はサマリア人の町シカル。時は真昼。ヤコブの井戸と呼ばれるサマリア人代々の井戸端にイエスはひとり座り込んでいた。弟子たちは食べ物を買いに出ていて、彼ひとり。そこへサマリア人の女が水汲みに来た。たったひとりで、白昼に。

イエスはひとりっきり。サマリア人の女もひとりっきり。昼ごはんを食べるような時間帯にひとりで水を汲みに来るこのひと、ちょっと怪しい。水汲みは朝一番にするものだったから。別に朝起きられない体質だという話でもない。イエスは彼女に「水を飲ませてください」と頼んだ。

サマリア人の女は問い返した。「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしにどうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」イエスはサマリア人とは付き合わないユダヤ人で、しかも男。当時、男はそんな風によその女に声をかけたり、ましてや頼みごとをしたりはしないものだった。

サマリア人の女の率直な返しに対してイエスは言った。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」

これに対してサマリア人の女は、ちょっと口調を改めてこう返した。「主よ、あなたはくむ物をお持ちではないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この水を飲んだのです。」

イエスは答えた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」

サマリアの女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」言葉は丁寧になったけれど、このサマリア人は変わらず率直だ。「あなたの夫を連れてきなさい」とイエスに言われて「私に夫はいません」とズバズバ答える。

イエスも彼女に答えてズバズバ言う。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ」イエスは彼女が言わなかったことをズバズバ当てついでに「あなた正直者だね」とまで言う。

「五回も結婚した上に、いま連れ添っている男とは内縁関係だね、ふしだらな!」とは言わず「正直者だね!」で済ませるところが(当時の一般的男性並ではない)イエスのすごいところ。すっかり感心しちゃったけれど相変わらずズバズバ質問するのがサマリア人の女のすごいところ。

サマリア人の女はイエスを預言者と見て、ズバズバ質問した。「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがた(※ユダヤ人)は礼拝するべき場所はエルサレムにあると言っています。」イエスはこれまたズバズバ答えた。

「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝するときが来る。(中略)まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝するときが来る。今がその時である。(後略)」

聖地関係ないから!とズバズバ説くイエスにサマリア人の女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切を知らせてくださいます。」イエスは言った。「それは、あなたと話しているこのわたしである」

はっ! 上様?! みたいな展開だよね。このタイミングで買い物に出ていた弟子たちが戻り、サマリア人の女とズバズバ語り合っているイエスを見て「先生何やってんすか」状態になる。弟子たちは師匠より頭がカタいからね。

この身持ちは悪いが率直なサマリア人の女が「ちょっと聞いてよ、この先生すごいんだよ! わたしの身の上全部当てちゃったし!」と町のひとたちに触れ回ってくれたおかげで、サマリア人たちの中にもイエスを信じる者たちが出るようになった。これが「サマリアの女」の物語。

「サマリアの女」の物語を語り終えたところで「♉7異郷の出会い」に戻ろう。サマリア人の町シカルは、イエスにとってアウェイな場所だ。イエスをヨソモノ視するサマリア人の女にとってシカルはホームタウンの筈だけど、どうやら彼女は町の中でちょっと浮いている。

五回もの結婚歴があり、六回目である現連れ合いとは内縁関係の女。21世紀ならいざ知らず、2000年前にはどんな扱いをされていたやら。他の女たちが水を汲む早朝ではなく、真昼にひとりで水を汲みに来る女。彼女はヨソモノのイエスにズバズバ質問し、イエスはズバズバ答えた。

「♉7異郷の出会い」の前度数を思い出して。シンボルは「♉6谷繋ぐ橋」だった。切り立つ崖に挟まれた谷のあちらとこちら、その間には川がある。低きへ向かうなりゆきまかせではなく、回り道はとらず、高いところと高いところをまっすぐ繋ぐ。

「♉6谷繋ぐ橋」を渡れば、その先はもうホームじゃない。アウェイだ。そこで出会うのはヨソモノだ。だけど胸襟をひらいて率直に語りあえれば、ユダヤ人もサマリア人も関係なくなる。先祖の山もエルサレムも関係なくなる。

「♉1山の清流」は流れ落ちる岩清水だった。「♉2稲妻走る」は電位の高きから低きへ走る激しい電流だった。「♉6谷繋ぐ橋」では清流が彼我を遮る谷となり、人間はそこを越える為に橋をかけた。「♉7異郷の出会い」ではイエスとサマリアの女が稲妻のようにズバズバと語り合う。

牡牛座のサビアンシンボル物語は山肌を駆けくだる岩清水で始まった。牡牛座の前半第2グループに入ってもなお、水のシンボルは形を変えて現れる。♉6では彼我を隔てる谷川、越えるべき障害物として。♉7では先祖の井戸に湛えられた物質的な水と、ひとの胸にわく命の水として。

ひとつ前のサイン、牡羊座の7度をここでちょこっと思い出してみてもいいかもね。「♈7一石二鳥」ふたつの領域でいっぺんにうまく自己表現する男。「サマリアの女」エピソードでイエスは喉の渇きを癒す水と命の渇きを癒す水(神の賜物)のダブルミーニングでうまく語っている。

繋がり合いと響き合いで覚えよう。 サビアンシンボル物語を知っていくことの醍醐味はそこにある。グループ化して、組み替えて、度数輪切りにして、比べてみよう。

生まれたときのホロスコープで「♉7異郷の出会い」はどのハウスにある?今日の太陽はそこを照らす。穴埋め #アストロ短歌 で確認しよう。

「○○○○で(五音・ハウス) 時間をかけて(牡牛座) 見つめたい(太陽) こころを開く異郷の出会い」

#サビアンシンボル物語

【♉️7異郷の出会い をより深く理解するための比較対象シンボルリスト】
♊7古い井戸(となりのサイン)
♋7月夜の妖精(60度)
♌7万古不易(90度)
♍7トップを狙え(120度)
♏7深く潜る(180度)
♑7神がかり(120度)
♒7親に似ぬ子(90度)
♓7無視されたもの(60度)


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