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自由研究をもういちど

2019年に開催した #占いクラスタおとなの自由研究会 の関連ツイートまとめ。2019年9月17日のツリー。

#占いクラスタおとなの自由研究会 を思いついたのは、ちょうど学童の皆様が夏休みの時期。ツイッターで毎年恒例の「自由研究のやりかたなんて!読書感想文の書きかたなんて!『ちゃんと習っていない』のに『やれ』と言われる!」という元学童の皆様からの悲鳴がタイムラインに流れる頃でした。

当番としては「自由研究のやりかたや読書感想文の書きかたを『学校で習って/教えていない』」には半ば懐疑的ではあるのですが。「作文の書きかた」は習うのでは?「調べ学習のしかた」や「実験のしかた」「観察のしかた」「表やグラフの作りかた」は習うのでは。

そのものズバリ「自由研究のやりかた」「読書感想文の書きかた」と題した単元で授業をしていなくても、「組み合わせれば自由研究になる」、「組み合わせれば読書感想文になる」言ってみれば部品ですね。その部品は各学年、各教科で教えて/習っているのではないかと。

「資料(本)を読んで内容を理解する」
「あらすじをまとめる」
「自分の体験を文章にする」
「自然物(植物や昆虫や天気)の観察をする」
「記録をつける」
「計量計測を行う」
「実験をする」
「調べものをする」
「表やグラフをつくる」
「ノートや紙にまとめる」

これらを学校で教えて/習っていなかったとしたら逆に学校ではこれ以外の何を教えて/習っているのか不安になるレベル。漢字の書き取りと百マス計算と地理歴史の暗記だけか?という話になる。やって……ないのか……?

もしもひとつ、学校で教えて/習っていることに足りないものがあるとしたら「『普段の授業でおこなっている作業』と『夏休みの自由研究や読書感想文』とのつながりを示す」ということなのではないか?と当番は愚考する。「授業で習うことの応用だよ」と示すこと。

当番が現役小中学生だった時代は30年も前だし、身近に現役小中学生も少ないけれど。自由研究や読書感想文を「特別なことではない、理科や算数の授業で習うことや作文の授業で習うことの応用だ」とわかっているこどもは、悩むことなくサクサクと取り組む。

問題は「自由研究や読書感想文は授業で習うことの応用である」という理解になかなか辿りつかないお子さんだったり、授業の段階でつまずいている(作文の宿題やレポートの宿題を書けない)お子さんで、ここには先生なり他のおとななりの助け船が必要だ。

「夏休みの自由工作の作りかた」と題した授業はないけれど、普段の図工で工作はしている。そこで「工作に必要な手順」を習っている。夏休みだから自由なテーマで、今までに覚えたことを使って何かを作ってみよう。自由研究も読書感想文も、本来はそれと同じ。

この話が #占いクラスタおとなの自由研究会 にどう繋がるかというと。こどもの自由研究や読書感想文も、おとなの自由研究やブログ記事や講座テキストも、「小中学校の普段の授業で教えて/習ってきたこと」と地続きだということ。「部品」は今までにもらってきている。それを組み立てるんだよ。

小中学生以降自由研究や読書感想文に取り組んでいないおとな、「調べ学習」がまだカリキュラムに入っていない時代に小中学生だったおとな向けに、#占いクラスタおとなの自由研究会 テキストを作りました。「アメリカの小学生用自由研究のやりかた」も収録。特別なことじゃないよ、習ったことを使うのよ。

#占いクラスタおとなの自由研究会 でも、当番の別企画 #アストロ小学校 でもそうなのですが、当番の講座はすべて「小中学校レベルで身につける知識や技術と『地続きの』西洋占星術」をテーマにしています。ホロスコープを描くのは「さんすう」、ホロスコープを読むのは「こくご」、特別なことではない。

西洋占星術は空を見上げ地を測り、星と星の距離を角度で表し、見えない位置の星は計算で位置を出すところから始まった。それを一枚の図表にまとめたのがホロスコープ。そのホロスコープから読み取った情報を伝えるのはことば。必要なのは霊感ではなく算数と国語。

国語、算数、理科に地理歴史、英語。ホロスコープにタロット。別々の時期に別々の場所で習い覚えた知識や技術が頭の中でバラバラのままただ蓄積されているだけだとしたら、それはとてももったいないこと。それでは頭はただの冷蔵庫みたいなもの。

人の頭はただの冷蔵庫ではないし、知識や技術は教わったままの使いかたでしか使えないものではない筈。冷蔵庫の頭をキッチンにしよう。冷やしてある知識や技術を出してきて料理をしよう。

#占いクラスタおとなの自由研究会 でも #アストロ小学校 でも、冷蔵庫に入れておいて時々出して食べるだけの知識や技術は教えていません。冷蔵庫の中身を組み合わせて料理をする方法を教え、その練習の場を提供しています。小学校時代からあなたが貯めてきた「材料」、全力で使っていただきます。

コメだけ買い込んで「ごはんの炊きかた」をいくら読んでも炊かなきゃごはんにはならないぞー! みんなごはんを炊こうー!!

当番さんは小学生の親ではないし、小学校の先生でもない。こどもの教育について考え実践するプロではない。当番さんにできることは、自由研究や読書感想文のしかたを習っていないか、習っても忘れた元小学生のおとなに、それをおとなとして再び体験してもらうこと

自由研究や読書感想文に何の意義があるのかわからなかった。何の役に立ち、自分の過去現在未来とどうつながるのかわからなかった。つながっていることすら知らなかった。誰も教えてくれなかった。当番にはそういう体験をした人の過去をどうにかすることはできません。

当番にできることは、過去に自由研究や読書感想文とどういう関係を結んできたかはひとまず置いておいて、おとなとしてそれを「改めてやる」ことを手助けすること。自由研究や読書感想文と、占いと、実体験を繋げる手助けをすることです。

当番がじかに接することのできる人数は限られているけれど、接する機会のある人にはそれを伝えていきます。占いと自由研究、占いと読書感想文が地続きではないと誰が言った。そこを繋げられなくて、どうやって星やカードを読んで人の心や体験へ繋げられますか

得た知識を繋ぎ合わせ組み立てることをリアルタイム小中学校でリアル教師に習ってこなかったなら、リアルタイムこども時代に本や他のおとなから学んでこなかったなら、おとなになった今から始めるだけのことです。習ってきたなら、もういちどやるだけのことです。

おとながやるのだ自由研究。おとながやるのだアクティブラーニング。

2019年9月24日にも自由研究について連続ツイートしている。以下、そのまとめ。

#占いクラスタおとなの自由研究会 発表者募集を始めた8月に、まついなつき先生がすかさず「理解の秘訣はインプットよりアウトプット!これ変形講座ですよ。学びを深めたい人は自由研究発表会に申し込もう!」と言ってくださったのがすごく嬉しくてですね。そのとおりなんです、占いクラスタおとなの自由研究会は先生に教わるのではなく先生になって教える(ために準備する)ことで学ぶ変形講座です。

小学校で行うグループ単位の調べ学習も、夏休みの自由研究も、実のところはあらゆる作文も、本当のところはそのためにやる。自分の中にあるもの、今まで中に入れてきたものを外に出す、自分の中にはこれがあると誰かに伝えるためにやる。出して伝えてみて初めて、中にそれが本当にあったと確認できる

まあ小学校中学校でその調べ学習や自由研究や作文の指導があまり上手く行っていないみたいのは、小学校中学校でコツを掴めた元こどもがほんのひと握りなところからもわかるけれど。でも大丈夫、小中学校で調べ学習・自由研究・作文がダメダメでも、これから再挑戦することはできるよ

かく言う当番さんはあまりにも理科の実験に興味が持てずに夏休みの自由研究を毎年ばっくれ、グループ学習(調べ学習)は義務教育期間中ずっといじめられっ子だった関係で係を割り振ってもらえず「ひとりで書ける作文と読書感想文の出来映えでぶん殴る」という戦術1本で乗り切った不良小学生でした。いま自由研究をやり直してる。

自由研究(または調べ学習)も読書感想文(または作文)も、しっかりやり方と意義の説明がされて、本当に興味のあるお題を選ばせてもらえるなら本来すごくやり甲斐のある勉強なんですよ。こどもではなく、おとなこそが自由研究(または調べ学習)や読書感想文(または作文)をやるべきなんですよ本当は。

身近なおとなが読書せずにこどもにだけ本を読めと言ってもそこから読書家のこどもは滅多に育たないみたいなもので、身近なおとなが調べ物も自由研究&発表も作文もせずにこどもにだけやりなさいと言ったってそこから調べものするこどもや発表するこどもは滅多に育っては来ないよなーと当番は思うます。

ただし、調べものや発表や作文書きというものに、こどもの頃にちょこっとだけ接しておくことは有効。ちょこっとだけでも接しておくと、おとなになってからの本腰を入れたやり直しの足がかりになる。まったく接しないでおとなになってから初めてやる、というのは結構大変な道のりになるから。

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