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『赤毛のアン』紫水晶のブローチ紛失事件を読み返す

2020年5月21日の連続ツイートまとめ。

『赤毛のアン』のマリラが持っているアメジストのブローチ、アニメ他の映像化だとだいたい大きなひと粒アメジストのブローチなんだけど、元の描写を見ると「中央が遺髪を納めたロケットになっていて、周囲をぐるりとアメジストが取り囲んでいる」なんだよね。これみたいに。

マリラのブローチも実際はこんなかんじのデザインだったと思われる。mourning jewelry (故人を偲ぶ喪の宝飾品)なんだよね。マリラのブローチに納められていたのは誰の遺髪なんだか不明だけど、大切な身内の髪の毛だったと思うんだよ。

ブローチ自体は「船乗りだったおじがマリラに贈ったもの」だったけれど、そのブローチに納めた遺髪は誰のものだったのか。マリラの父か母、あるいは祖父か祖母かマリラが若い頃の友人もしれないけど、少なくとも見ず知らずの赤の他人とかではなくマリラが愛した親しい人の髪だったはずなのよね。

ただのきれいなアクセサリーではなくて故人を偲ぶ喪の宝飾品だから、派手なことを好まないマリラであっても教会へ行くときに着けるわけだよね。それを(後で嘘だと判明したとはいえ)空想遊びのネタに持ち出して、よりによってバリーの池に落としたと打ち明けられたマリラが逆上するのも無理はない。

まあ、アンがでっち上げたあのウソ告白は「マリラが『アンが空想のネタにするため持ち出して失くしたんだろう』という自説にこだわっていて、それ以外受け入れてくれないから」というのと「『正直に(マリラの説に沿うことを)言わないとピクニックへ行かせない』とマリラが言ったから」なんだけど。

実際にはアンはマリラのブローチを池に落としてはいなかったわけだけど、マリラはアンが「池に落としたと『正直に』話した」とあの時点では思ったわけで、あのブローチに納められた遺髪がたとえばマリラの母のものだったりした場合はただのアクセサリーじゃなくて「形見を失くされた」なんだよね。

あのアメジストのブローチ紛失疑惑事件は噛めば噛むほど面白くてな。マリラのブローチへのこだわり、マリラがその事件までの間に積み上げた「空想癖がありすぎて善悪の弁えがないアン」というアン像へのこだわり、アンのピクニックとアイスクリームへのこだわり、アンの「言葉どおり」へのこだわり。互いのこだわりと頑固さがぶつかり合い絡み合って、当人同士は深刻なんだけど後でネタばらしをされると全体的にすごく喜劇的になるというエピソード。

アンが想像力豊かな割には「自分にかけられた疑いを晴らすか、『正直に告白』して許されピクニックへ行くか」に集中していて「大事なブローチが見つからないマリラの気持ち」を想像しようとはしないところとか、裏切られた自分の悲しみだけを主張するところとかアンの幼さ由来の危うさが見えて面白い。

マリラもマリラでアンを疑い、アンを責めるということに集中していて「あのブローチが自分にとってどんな意味を持つもので、あれが永遠に戻らないということはマリラの世界から何が失われるということなのか」をアンに示そうとはしない。このふたりの言葉の足りなさが絡み合ってのあの事態。

アンも口数が多い割には肝心なところで言葉が足りない(ろくな家庭教育を受けていない、それまでネグレクト気味だった11歳3ヶ月児の限界)し、空想と自分の感情の言語化は達者にできても、身近な人の気持ちを想像することはできないし、してみようとさえもしない

おとなになってからあのブローチ事件を読み返すと、似ていないと思っていたアンとマリラが「思い込みが激しく、自分の感情に集中していて、他人の気持ちを考えてみようとはあまり思わず、怒りっぽくて頑固」という点では非常に似た者同士なことがわかる。そしてこのブローチのエピソードがギルバートの脳天を石板でぶん殴り事件への伏線。

アンが赤毛を揶揄われたことを根に持って5年くらいギルバートを憎み続け、ギルバートから出ている矢印に全然気付かないのも、マリラがギルバートの父ジョン・ブライスと付き合っていたのに喧嘩して臍を曲げてそれっきりになったのも、アンとマリラが共に自分の感情第一でめちゃくちゃ頑固だからだよね。

あの激しさと頑固さからすると、アンとマリラがブローチ発見後に状況を整理しなおしてあっさり仲直りできたのは割と奇跡的。ブローチが見つかったのがピクニックに間に合うタイミングだったというのもいい方向に働いたんだと思うのよね。発見が日没後だったとしたら生涯にわたる禍根になってたぞ、あれ。

「紫水晶のブローチ事件」アンとマリラの視点整理

マリラのアメジストブローチ、会話と地の文から読者が読み取り得る情報と、それらの情報をマリラとアンがどれだけ共有できていないかを突貫工事でまとめてみた。ブローチの由来や自分にとっての情緒的価値を語らないマリラと、徹頭徹尾アメジストの美しさにのみ関心を持つアンの組み合わせ。昼ごはんそっちのけで何書いてるの当番。

あのブローチ事件、「リンド夫人に容姿を貶されたアンが食ってかかる→謝罪」までのエピソードからも繋がっているんだよね。リンド夫人に食ってかかった件をアンはまったく悪いと思っていないけれど、謝罪して丸く収めるようにマシュウに促されて華々しい謝罪をでっちあげる。人のいいリンド夫人はすぐ許す。

ブローチ事件も、実際にはアンがブローチを持ち出したわけではないのでアンに罪悪感は微塵もない。「自分がしてもいないことを悪かったと謝ることはできない」とアンは言う。でもマリラは「自分がやったと『正直に』白状するまで部屋から出るな」と言う。リンド夫人事件と同じように。

アンはマシュウの入れ知恵により、「嘘も方便」で「悪いとは思っていないけれど謝る」をいちどやってしまっている。それがブローチ事件の「(そうするしか方法がないと思って)やっていない犯行を白状する」に繋がる。アンの幼い頭で必死に考えた自白には、一点「マリラの感情」が計算に入っていない

アンの「どうせ(嘘八百を)告白するなら徹底的にやろうと思った」自白は、それが嘘であるとは知らないマリラを非常に苦しめる。「正直に、あらいざらい白状した内容」が頭から終わりまで「いかにブローチが美しくアンがその美しさを楽しんだか」だけで占められているから。

「ブローチを持ち出して失くしたことについての嘘八百の告白」はある意味「リンド夫人に食ってかかったことについての嘘八百の謝罪」の繰り返しではあるんだけど、一点違うところがある。アンはリンド夫人に対しては「自分が悪いことをした」と「謝罪している」んだけど、マリラへは謝罪していない。

アンの想像力と頭の回転がひたすら「ブローチの美しさ」と「自分がピクニックへ行けるかどうか」に向いていて「ブローチがマリラにとってどういう価値のあるものだったか」「ブローチが見つからないマリラが心を痛めているかどうか」には全く向いていない辺りが、アンの幼さなんだよね、ここ。

アンは11歳でカスバート兄妹に引き取られるまでろくな養育を受けていない子で、想像力豊かに育ったのも「孤独な自分の心を守るためにそうするしかなかった」んだよね。それゆえに、その想像力は非現実的な空想をすることや自分の感情表現にばかり向いて、他人の気持ちを推し量ることには向いていない

アンのこの「想像力の片寄り具合」――非現実的な空想と自分の感情表現にばかり向いていて、他人の感情を推し量る方へは向かない――は現実的なマリラにたびたびツッコまれながら少しずつ修正されてはいくものの、アンが10代を終えるあたりまでずっと尾を引く悪癖となる。

「アンから見えること」「マリラから見えること」の両方を見比べながら読者視点で見ていると、アンのボケとマリラのツッコミは本当に面白いんだけど、視点をマリラかアンの片方に合わせてみた場合、最初のうちは互いに本当に大変だっただろうなこの組み合わせは、と思う。

そして読者視点で「アンから見える世界」と「マリラから見える世界」を比べながらブローチ事件の章を読んでみると、「モンゴメリ、うまいなー」としみじみ思う。「カナダの田舎の村で、とある農家に引き取られた孤児が女主人のブローチを失くした失くさないで揉める」というだけの話がここまで面白い。

アメジストのブローチ事件をもう一度詳しく読みたくて、松本侑子訳『赤毛のアン』のいちばん新しい版を買い直した。うちにある松本侑子訳は旧版だったから。例のアメジストのブローチに納められている髪は「誰の」なのかを確認したら、「マリラの母の」だったよ。やっぱり「大事な形見」じゃないか……

松本侑子版の訳注には「写真のない時代、家族の毛髪を、大切な品に縫い込んだり、編んで花を作ったりして形見にする習わしが、十九世紀末まであった。(中略)マリラのブローチはガラスで覆われた中央に母の毛髪を三つ編みや花形に編んで飾りに入れ、周囲を小さな紫水晶が取り巻くデザイン。」とある。

第13章本文でのブローチ説明(松本侑子訳)

船乗りだったおじが、マリラの母親に贈ったもので、それを母の形見としてマリラがゆずり受けたのだ。それは古風な卵形をしていた。中には、母親の髪が一房入っていて、周りを、小さな紫水晶がとり巻いていた。

『赤毛のアン』松本侑子訳 

ブローチ自体も母の形見なんだね。

この記事の前の方でも言ったけど、マリラのブローチがどういう由来を持つものか、ブローチの中身は何なのか、マリラがいかにこのブローチを大事にしているかは「地の文でのみ」語られるんだよ。マリラは当然知っている、読者も地の文で知らされる、でもアンはマリラからそれを聞いてないかもしれない。マリラとアンと我々読者の間にある、ちょっとした「サリー・アン問題」、アンだけに。

アンは13章でマリラのブローチをほめちぎるときも、14章で「マリラのブローチをごっこ遊びに持ち出してバリーの池に落とした」と嘘八百の告白をするときも、徹頭徹尾「ブローチがいかに美しいか」についてのみ語っている。「マリラのお母さんの大事な形見を失くして本当に悪かった」的な話が一切出ない。

ブローチは美しいとマリラも思っていて、それも大事にしている理由のひとつではある。でもマリラにとってそれは第一に「母の形見」だ。ブローチを持ち出し失くしておきながら、その「失くす瞬間」まで続く美しさばかりを語り、謝罪も気遣いもないアンの嘘告白がマリラの神経をどれだけ逆撫でしたことか。

いくらアンが自分の感情と空想で頭がいっぱいでも、「マリラにとってそのブローチは母の形見であり、ブローチの中身も母の遺髪である」という事情を前もってマリラの口から聞いていれば、あそこまで(マリラ視点ではむごいほどに)無神経な「嘘告白」をしなかったと当番は思う。アンは「知らない」のだ。

ブローチの由来やマリラにとっての感情的な意味(母の形見)をマリラ自身から聞かされなくても、「そのブローチが持っている美しさ以外の価値」をアンが「想像」できたかどうか。これは怪しい。生まれてすぐ両親と死別し、複数の養家を経由して孤児院へ行った11歳のアンは「親の形見」を持っていない。

両親と死別した生後3カ月のアンを引き取った家族も、小さいアンを子守りとして受け入れた家族も、鉄道の工事現場や開墾地で稼ぐ貧しい家庭だった。カスバート家は大金持ちではないけれど、アンがそれまで暮らした家庭に比べたらかなり裕福だ。定住し、広い農場を持ち、母の遺髪を形見の宝飾品に入れて飾っておける。

形見をブローチにして身に付ける習慣をアンが知っていたら、マリラのブローチを紛失したと嘘八百を言うときも少しはマリラの気持ちに配慮したと思う。また、ブローチが母の形見だとマリラに聞かされていたら、アンは「自分にも母の形見があったらよかったのに」くらいのことは言うと思うんだよね。

いや本当に「マリラのブローチ事件」の章(13章と14章)は噛めば噛むほど面白いスルメ章だわ。モンゴメリの情報の出しかたがすごく上手い。ブローチ事件みたいな行き違いって互いの共有している情報が少なくて、互いに相手の前提が見えていないところから起こるんだなということがよくわかる。

いまこの手書きメモの誤記に気付いた。ブローチに遺骨じゃなくて遺髪が入ってるんです遺髪。アンの時代のカナダは土葬だから遺骨はない。故人の髪を一房切ってきれいに編み込みにして額装したりアクセサリーに封じ込めたりしたのね。写真がない時代の形見。

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