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訳語を決めるときに当番が考えていること(♐11を例に)

2021年3月28日のツイートまとめ

♐11のサビアンシンボルの話題が上がったので、ジョーンズ版詞文とルディア版詞文の比較を含めて木を生やしたときのツリー、貼っておきます。なお #サビアンシンボル物語 の任意のシンボル語りツリーを検索したいときは「サビアンシンボル物語 サインの絵文字 度数」で出ます。

(2024年追記。note内でも全度数閲覧できます。♐11の解説記事はコレです)

The lamp of physical enlightenment at the left temple (ジョーンズ版サビアンシンボル ♐11)を「左の寺院にある肉体的悟りのランプ」と訳すに至るまでの当番の道筋はこんな感じ。

ランプのシンボルであることはわかる。どんなランプ?→of physical enlightenment

どこに?→at the left temple

physical は日本語だと訳語が複数ある。物理的/物質的/肉体的、どれだ?

ランプのある場所は (the left)temple (複数寺院があるうちの)左の寺院。シンボルの舞台が宗教施設ならば、physical も宗教的な文脈での形容詞では?→ここで訳語候補「物理的」が脱落

では「物質的」と「肉体的」どっち?

ここで physical と(宗教的な文脈で)対にされそうな言葉を調べる。「physical antonym(対義語)」で検索。(人間の)肉体面に対して、(人間の)知性・精神面を示す mental(mind の形容詞形)か、見える触れる物質に対する霊的なものを示す spiritual(霊的な)が挙がってくる。

ここではまだ physical が精神に対する「肉体的」なのか、霊に対する「物質的」なのか決め手がない。ちょっと保留にしておいて enlightenment の訳語を絞り込む。

enlightenment の訳語候補は「啓蒙」「(仏教用語の英訳としての)悟り」。「左の寺院」が舞台なので「悟り」の可能性が高い。

enlightenment がなぜ仏教用語「悟り」の訳語となり得るのか、enlightenment の語源を検索(検索語「enlightenment etymology(語源学)」)。enlightenment とは en-light-en-ment「明るく・する・こと」の意味→「蒙を啓く(蒙は『くらいこと』)」→「啓蒙」→「悟り」。「果たして『悟り』に『明るくする』『蒙を啓く』意味があるかな?」と日本語で検索して裏を取る。

「あ、あるなあるな、悟りって『明らかにすること』『目覚めること』だから英訳が enlightenment でもおかしくはないな」と決着をつけて、また詞文に戻る。「明るくすること enlightenment」が「蒙を啓くこと、悟り」ならば、「ランプ」の方は「明るくするための道具」だな、なんてこともメモしておく。

「悟り enlightenment」とは「明るくすること」であり「ランプ」は「明るくする道具」だ。さて、physical enlightenment に戻る。「肉体的悟り」か「物質的悟り」か決められないので、physical の対義語から攻略を試みる。mental enlightenment とか spiritual enlightenment ってのはあるのか?って話。

「物質的(フィジカル)な悟り」とか「肉体的(フィジカル)な悟り」とかはあるのか? を本とかウェブとかで探しつつ「精神的(メンタル)な悟り」とか「霊的な(スピリチュアル)な悟り」とかはあるのか? も並行して探していく。この辺のことは日本語で主に仏教関係の本やサイトを走り回って調べる。

(もちろん、それと並行してジョーンズ自身のシンボル解説、ルディア版の詞文との突き合わせ、ルディア自身によるシンボル解説を読んで訳す作業をしている。ルディア版がシンボル詞文を改変するときは基本、ジョーンズ版に足りない情報を補おうとしてのことなので、例の「人体型の容器」も参考にする)。

「悟り」と「物質的あるいは肉体的」について検索語を増やしながら参考になりそうなものを拾っていく。「左の寺院」も問題なので、寺院に右や左があるのか、「左の」には何か意味があるのかも調べる。すると寺というものは複数の建物の集まりであり、その配置は人体を模しているという記述に行き当たる。

ここら辺で「physical は『物質的』より『肉体的』かもなあ」の方に秤の針が振れてくる。

「なぜ右や真ん中の寺院ではなく『左の寺院』なのか?」の補助線になるかもしれないので「伽藍の配置は人体を模している→人体において『左』とは?」とメモをしておく。

「では『肉体的』悟りとは?」に戻る。

「悟るってどうなることだっけ?」から仏教関係の解説を行ったり来たりして「アッ、悟るとブッダ(目覚めた者)になるんだった」と基本的なことを思い出す。「成仏」だよね。「成仏」って死ぬことじゃない、悟りを開いて仏(目覚めた者)になることだった。

「悟り」が「蒙を啓かれて成仏する(ブッダになる)こと」肉体的な悟りを「肉体的な成仏」と言い換えたらどうなる? 肉体が成仏する。霊や精神がではなく、肉体が目覚めた者になる。あれ、それ何なのか当番知ってる。どこかで読んだぞ。即身成仏だー! 生きたまま悟りを得るやつだー!(💡ピコーン)。

#五文字くらいでサビアンシンボル こと#サビアンシンボル物語 の♐11は「即身成仏」なのですが、これは前述の「肉体持ったまんまで悟りを開いてブッダになるって『即身成仏』じゃん、💡ピコーン」から採りました。

とまあ、あっち調べてこっち調べて、ジョーンズ版はジョーンズ版で訳し、ルディア版はルディア版で訳し、色々やった末に総合的に

まず「物理的」が候補から落ち

次に「物質的」が候補から落ち

最終的に「肉体的」を残しました。

なお「伽藍」が人体なら、「左の寺院で燃える灯明」は心臓だと思われる。

サビアンシンボル本の対訳ノートを作っていた当時(※2014年から2015年)の調べ物メモには「悟りとは?」「仏性とは?」「『自燈明と法燈明』の話はこのシンボルのランプに関係あるか?」等が残っており。

この行ったり来たりしながら訳した詞文と解説を当番がぎゅぎゅっと三十一文字に縮めたのが

燈明が ともる伽藍の 左手に この身のうちに 悟りは宿る

という #サビアン一首 であり、サビアン一首を完走してから更に五文字くらいに縮めたのが

「♐11即身成仏」

という #サビアンシンボル物語 です。

「悟り」と「あかり」、「寺の伽藍」と「人体」のダブルイメージが味わい深いシンボルだと当番思ってますよ、♐11。そして「悟りとは明るくすること、目を覚ますこと」というモチーフは♐12の「ときの声をあげるワシへと変わる旗」に引き継がれます。

♐12の解説記事はこれです↓


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