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牡牛座11度「私だけの花」

2018年4月30日18時41分、トランジット太陽が牡牛座数え11度へ入ります。牡牛座数え11度のサビアンシンボルをぎゅぎゅっと五文字くらいに縮めると「私だけの花」

「♉11私だけの花」原文チェック。黒字が1925年ジョーンズ版「A woman sprinkling flowers 花に水を撒いている女」。sprinkle は水を撒く。散水する。 sprinkler の sprinkle。青字が1975年ルディア版「A woman watering flowers in her garden. 自分の庭で花に水をやっている女」

「♉11私だけの花」番地チェック。牡牛座前半(往路)の、第3グループ(おわり)の、第1度数。どの5度組でも第1度数はそのグループのテーマをバン!と打ち出す。磯野家にたとえたら第1度数は波平。

「♉11私だけの花」ジョーンズ版は単に「花に水を撒いている女」だが、ルディア版は「彼女の庭で(in her garden)」と追加情報がある。女性が水をやっているのは彼女の庭に咲く彼女の花々だ。後に続くシンボル群を見ていくとわかるが、この5度組は「所有とは?」がテーマだ。

12サインのキーワードを「I + 動詞」で表現したもの、ありますね。牡羊座が I am(私は在る)で牡牛座はI have(私は持っている)…っていう有名なアレです。「持っている」とはどういうことだろう?どうなれば、何かが「私のものになった」と言えるのだろう?

牡牛座数え11度の女性は花に水をやっている。そこは他ならぬ彼女の庭であり、花も彼女の花だ。「それは彼女の花である」「その花は彼女のものである」とはどういうこと?彼女がそこに咲いてほしいから植えている花で、彼女が世話をしている花だってこと。

「何かを所有する」ということには「それを所有し続けるための手間暇をかける」ということがついてくる。花の世話を外注する(スプリンクラーをつける、庭師を雇う)という方向もあるけれど、その場合にはお金がかかる。手間暇お金をかけるほど「私の花だ」という感覚は強まる。

長年愛されてきた物語に「♉11私だけの花」そのもののような作品があります。本日はそれを紹介することで解説に替えさせていただきます。当番がクダクダ説明するよりそっちの方が断然いい。ご存じサン・テグジュペリ『星の王子さま』でございます。

ちいさな惑星にひとりぼっちで住んでいるちいさな王子さまがいた。王子さまの星には、どこからか飛んできて芽吹いた一輪の美しい花があった。花がはじめて開いたとき、王子さまはこんな美しい花は見たことがないと思った。王子さまは熱心にその花の世話をした。

その花は美しいが、どこぞの宗三左文字並に気位が高く我儘だった。自分の美しさを鼻にかけ、細かすぎてわかりにくい自慢話が好きで、おまけに強がりで、大抵は本音と裏腹なことを言ってちいさな王子さまのこころを散々に振り回した。

ちいさな王子さまは、美しいが我儘な花につきあうことに疲れて自分の星を後にした。二度と帰らないつもりで出てきた王子さまだが、彼は花のことを熱烈に愛しており、旅のあいだも花を思い出してはずっと気にかけていた。王子さまの花への愛をいくつかご紹介しよう。

「花は、もうなん百万年も前から、トゲをつくってる。ヒツジもやっぱり、もうなん百万年も前から、花をたべてる。でも、なぜ花が、さんざ苦労して、なんの役にも立たないトゲをつくるのか、そのわけを知ろうというのがだいじなことじゃないっていうのかい?」

「花がヒツジにくわれることなんか、たいしたことじゃないっていうの?ふとっちょの赤黒先生の寄せ算より、だいじなことじゃないっていうの?ぼくの星には、よそだとどこにもない、めずらしい花がひとつあってね、ある朝、小さなヒツジが、うっかり、パクッとくっちまうようなことがあるってことを、ぼくが――このぼくが――知ってるのに、きみ、それがだいじじゃないっていうの?」王子さまは、そういって、こんどは、顔を赤くしましたが、やがてまた、いいつづけました。

「だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ。そして、〈ぼくのすきな花が、どこかにある〉と思っているんだ。それで、ヒツジが花をくうのは、その人の星という星が、とつぜん消えてなくなるようなものなんだけど、それもきみは、たいしたことじゃないっていうんだ」

サン・テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯 訳 岩波書店

ちいさな王子さまは六つの星を歴訪し、最後に地球へやってきた。地球で一年過ごした後で、やっぱり自分の星へ帰ろうと決心したちいさな王子さまは、はじめて地球へ降りたときの場所、砂漠へと戻ってきた。そこで出会ったのが不時着した飛行士「ぼく」だった。

不時着した飛行士の「ぼく」は、ちいさな王子さまが帰還する前の最後の一週間につきあう。飛行機が直らなくて苛々する「ぼく」に向かって、王子さまは自分の星へ残してきた一輪の花への愛を切々と語る。あの一輪の花が大好きだから星のすべてがこんなにも美しく見えるのだ、と。

ちいさな王子さまは、ツンデレにもほどがあるその花について、こんなことも打ち明けている。

「ぼくは、あの時、なんにもわからなかったんだよ。あの花のいうことなんか、とりあげずに、することで判断しなけりゃあ、いけなかったんだ。ぼくは、あの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。明るい光の中にいた。だから、ぼくは、どんなことになっても、花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。ずるそうなふるまいはしているけれど、根はやさしいんだということをくみとらなけりゃいけなかったんだ。花のすることったら、ほんとにとんちんかんなんだから。だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、あの花を愛するってことがわからなかったんだ」

サン・テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯 訳 岩波書店

ちいさな王子さまは、花と暮らしていたときのことを振り返って「自分はあの花を愛するってことがわからなかったんだ」と語っている。でも、地球で1年近く過ごした後の王子さまは「あの花を愛するってこと」がもうわかっている。だから花のところへ、自分の星へ帰ろうとしている。

ちいさな王子さまが「自分の花を愛するってこと」をわかったのは、地球に来て「自分の花」と同じ花が五千も咲いている庭を見たことだった。驚いた王子さまが「あんたたち、だれ?」とたずねると、花々は「あたくしたち、バラの花ですわ」と答えた――

世界のどこにもないような、たったひとつの美しい花を持っている、と思っていたのに、それは地球ではひとつの庭に五千も咲いているようなありふれたバラの花だった。それを知ったちいさな王子さまはうちひしがれて泣いてしまう。特別だと思っていたものが特別ではないと知って落ち込む王子さまの前にあらわれて、愛とはどういうものかを教えてくれた者がいる。一匹のちいさなキツネだ。キツネは「飼いならす」ということを王子さまに教えてくれる。それは「仲よくなる」ということ。時間をかけて、「きまり」をつくり、少しずつ距離を縮めること。

仲よくなる前は、ちいさな王子さまはキツネにとって十万もの他のこどもと同じ。王子さまにとって、キツネは十万もの他のキツネと同じ。だけど仲よくなれば、互いがたったひとり・たった一匹のかけがえのない存在になる。それが「飼いならす」ということ。

キツネは小麦を食べないけれど、王子さまと仲よくなれば麦畑を見ても王子さまの金髪を思い出して嬉しくなる。王子さまと仲よくなることで、関係のないものを見てもそこに王子さまを見出すことができる。飼いならされ、友だちになることで、世界がまるで違って見えてくる。

キツネの言うことは、後になって王子さまが言った「あの星たちのどれかにぼくの花があると思えばすべての星が美しい」と同じ。キツネは王子さまに「もう一度、バラの花を見にいってごらんよ」と薦める。「あんたの花が、世のなかに一つしかないことがわかるんだから」

言われたとおり、ちいさな王子さまは五千ものバラの花をまた見にいった。そして理解した。他の十万ものキツネと変わりなくても、友だちになったキツネはただ一匹のかけがえのないキツネになるのと同じように、バラもまた、自分の世話したあのバラがかけがえのない一輪なのだと。

王子さまは五千ものバラにむかって啖呵をきる。

「あんたたちは美しいけど、ただ咲いてるだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。そりゃ、ぼくのバラの花も、なんでもなく、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちと同じ花だと思うかもしれない。だけど、あの一輪の花が、ぼくには、あんたたちみんなよりも、たいせつなんだ。だって、ぼくが水をかけた花なんだからね。覆いガラスもかけてやったんだからね。ついたてで、風にあたらないようにしてやったんだからね。ケムシを―二つ、三つはチョウになるように殺さずにおいたけど―殺してやった花なんだからね。不平もきいてやったし、じまん話もきいてやったし、だまっているならいるで、時には、どうしたのだろうと、きき耳を立ててやった花なんだからね。ぼくのものになった花なんだからね」

サン・テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯 訳 岩波書店

当番、「星の王子さま」のこの場面で毎回泣くんですが、それは置いておいて――このちいさな王子さまの啖呵がまさに、牡牛座11度「私だけの花」の世界なのです。自分が手をかけ目をかけてきたから、それが特別なものになる。それが自分のものになる。

五千ものバラに喧嘩を売って帰ってきた王子さまに、キツネはもうひとつ秘密を教えてくれる。「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」……これ内藤濯の訳なんですが、ちょっと日本語が変なような。

「時間をむだにした」というか「時間をつかった・ついやした」ということなんだと思うけれど……脳内補完しておいてください。何かを大切に思うのは、それに時間をついやしたから。手をかけ目をかけ時間をかけた、だからこそ、それが特別いとおしい。五千のバラよりぼくのバラ。

ちいさな王子さまは、五千ものバラに対して「あんたたちのためには、死ぬ気になんてなれない」と言いきる。裏返せば「ぼくのバラのためには、死ぬ気にだってなれる」。王子さまは自分の星へ、自分のバラのために戻ろうと決めた。それは地球にいる王子さまが死ぬことを意味する。

ちいさな王子さまが地球から故郷の星へ帰っていくときには、体が重すぎるから置いて行かなくてはならないんですよ。王子さまが作中で自らそう言っている。まるで高畑勲監督の『かぐや姫の物語』ですよ『星の王子さま』って。毒蛇に噛ませて死ぬことでバラの待つ故郷の星へ帰る。

ちいさな王子さまはすごく、すごくあのバラを愛していたんですよ。あの我儘なバラを。だから帰ろうと決心したんです。毒蛇に噛ませてまで。他に何千も同じ花があってもあの一輪だけ。それもこれも、時間を費やし世話をすることであのバラが「ぼくのバラ」になったから。

手をかける。目をかける。時間をかける。かけた分だけ絆ができて、かけた分だけかけがえのない(失いたくない、換えのきかない)ものになる。それが「所有する(自分のものになる)」ということ。「♉11私だけの花」はそういうシンボル。

牡牛座前半第3グループの波平(第1度数)である「♉11私だけの花」を牡牛座前半第1グループの波平、同じく第2グループの波平と比べてみよう。「♉1山の清流」と「♉6谷繋ぐ橋」、そして「♉11私だけの花」

1でテーマが打ち出され、2は1と対になる。1と2から生まれる3は、両親のいいとこ取りをした新世代。「♉11私だけの花」。山から湧き出た水は、今や花へ注がれる水になった。私からあなたへ、谷繋ぐ橋は人間と花を結ぶ絆になった。水も愛情も注ぐもの。注ぐほどに愛しさは増す

生まれたときのホロスコープで「♉11私だけの花」はどのハウスにある?今日のトランジット太陽はそこを照らす。穴埋め #アストロ短歌 で確認しよう

「○○○○で(五音・ハウス) 時間をかけて(牡牛座) 見つめたい(太陽) 愛とは贔屓私だけの花」

…ううむ、字余り

#サビアンシンボル物語

【♉️11私だけの花 をより深く理解するための比較対象シンボルリスト】
♊11新たな地平(となりのサイン)
♋11権力者の風刺(60度)
♌11寄らば大樹(90度)
♍11望みはスペル(120度)
♏11地獄に仏(180度)
♑11保護区域(120度)
♒11霊感との直面(90度)
♓11求道者達(60度)


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