西洋占星術と血液型性格類型論混ぜるな危険
2019年1月12日のツイートまとめ。何度かツイートしているし旧ブログにも載せている話だけれど、noteには載せていなかったので。当番の基本方針です。
最近言っていなかったので久々に言いますが当番は「西洋占星術と血液型混ぜるな危険派」です。理由は「そもそも血液型と組み合わせる必要性からメリットまで西洋占星術側には得るものが何もないから」です。
西洋占星術と組み合わせるメリットや必要性があるのは血液型側だけであって、西洋占星術側ではない。だって血液型はアナタ、血液がある生き物にしか通用しない上に時期読みも運勢も読めない。性格分類と相性しか読めないからそれ以外の読みができる占いと組み合わせて得するのは血液型側ばかり。
自前の性格分類と相性の読みかたがあるのに西洋占星術またはその簡易版である太陽サイン占いが血液型を取り入れる必要性なんか蚊の目玉ほどにもない。
まず血液型性格分類は『占い』ではない。「どちらもオカルトだから変わりないではないか」などという茶化しに当番は耳を貸さぬ。「明示できる根拠を持たぬ」という意味ではなるほど血液型性格分類とあらゆる占いは「どちらもオカルト」だ※。オカルトの中に占いと占いでないものがあるのだ。
※「オカルト」とは「秘匿されたもの」という意味である
オカルトという「明示できる根拠がないもの」というカテゴリの中に「西洋占星術をはじめとする占い」も「血液型性格分類」も含まれる。しかし血液型性格分類は人の血液型から性格と相性を見ようとするだけであり、時々刻々と変わる運勢も吉凶も血液型から見ることはできないのだ。それは占いとは呼ばない。
占いとはそれぞれが「はてしない物語」であり、それぞれの技法が持つ世界観と象徴によって森羅万象を語ることができるもののことをそのように呼ぶのだ。西洋占星術もタロットも、B型しかいないゴリラから血なんか流れていないジェット機のことまで占えるぞ。占いが占いである限り、血液型の助けは要らぬのだ。
【2017年9月にも同じことで怒っている当番】
(発端は「占いや血液型のような疑似科学に騙されないように科学の基礎知識を学ぼう。占いを客寄せにしたカルトや不安商法はいっぱいあるよ」という話)
占いを入り口や客寄せにしているカルトや、同じくカルトではないけれどそれ占いを入り口にした不安商法、売りつけ商法じゃないの? というのに引っかからないために、まともな占いの基礎知識を学ぼう……というひとも稀だよね……インチキ言って騙す側のひと、と一律に勘違いされるし。
科学の知識も占いの知識も両方中途半端なひとに限って「NASAの発表によれば黄道には13の星座があるからこれからは星占いも13星座で」とか「12星座に血液型を組み合わせれば『双方の足りない部分を補えて更に詳しく占える』」なんていう与太に引っかかるんじゃ!(・ω・) バァン
「占星術とタロット」が組み合わさるメリットはあっても「占星術と血液型」や「タロットと血液型」が組み合さるメリットなんぞ百万歩譲って血液型側にはあっても占星術やタロット側にはないわぁ!占いと非占いを混ぜるなっておばちゃんいつも言ってるでしょう( ੭ु •̆ㅅ•̆ )੭ु⁾⁾
擬似占いに騙されないように占いのことを勉強しよう(ノシ 'ω')ノシ
【おまけ。「占い」と「統計学」も混ぜんなゴルァ! と噴き上がる2017年8月の当番】
占いやるひとは「占いは統計学です」とは言わないのに(占いリテラシーと科学リテラシーを持たないひとを引っかけようとするタイプの占い師は別)、占いも科学も半端にしか知らないひとは「占いは統計学」とか言う。「占いを何だと思っているんだ」というか「統計学を何だと思っているんだ」というか。
「統計学ってこういうもの」というイメージがゆるふわなのも問題だけど、「占いってこういうもの」というイメージがゆるふわなのも問題だと思うんだよ。「なんかー、誕生日とかでー、生まれつきの性格とか相性とか運勢とかわかるものはみんな占いでしょー」くらいに思っている。
占い特集をする雑誌の罪もあると思うよ。「占い」をほぼ「性格分析」と「相性分析」と「運勢予測」に絞り、特に書きやすい「性格分析」に紙幅を割いて、しまいには「なんか生年月日とか簡単な質問に答えるとか、少ない情報だけで性格当てちゃうのはみんな占いでしょ?」とゆるふわなことを言った結果、「占い」と「占いとは言えないもの」を「性格がわかるらしいから」と言って組み合わせちゃったりしてさ(「12星座×血液型」ね。当番は「占星術と血液型混ぜるな危険」派です。血液型性格分類が「当たらない」からではないです。「あれは占いではないから、占いである占星術と混ぜるな」派です)。
雑誌の占い特集って占星術や手相人相に混じって「フローチャートをイエス・ノーで進んでいってどこかのマスにたどりつくやつ(私はあれを質問つきあみだくじと呼んでいる)」とか「短い物語の続きを思い浮かべてもらうと性格わかるかもよクイズ」とかが「心理テスト」と称して掲載されていたりするし。
話を(私がいちばん馴染んでいる占いであるところの)西洋占星術に絞るけれどさ。アマゾンで「猫のトイレ砂」を買うとするじゃない。「猫のトイレ砂」は「ペット用品」というカテゴリー内の一商品だよね。その「猫のトイレ砂」がアマゾンさんの意向によって時々セール価格になる。「猫の日価格」とかさ。
西洋占星術がしているのは「アマゾンの全商品をあらかじめ分類してどこかのカテゴリーにおさめる」→「何かを決めるときにそのカテゴリー分けを利用する(今日はペット用品30%オフって言ってるから猫のトイレ砂買おうかな)」なのね。
一方でアマゾンさんで猫砂を買うと「この猫砂を購入したお客様はこんな商品も買っています」って言って「掃除用品カテゴリー」からコロコロやらハンディ掃除機やらをおすすめしてくる。こっちは実売データの分析に基づいて「猫砂買う奴は大抵コロコロも買うからお前も買うか?」と言ってるわけ。
もしも西洋占星術が「(古代の)統計学のようなもの」なら、アマゾンさんの「この商品を購入したお客様は他に何をよく買うか調査」みたいなことをしてなくちゃならない。してないぞぉそんなこと。百歩譲って占星術の生まれた古代(この「古代」もゆるふわイメージ古代である)にだって、してないぞぉ。
西洋占星術やタロットや手相人相みたいな占いは、何かを「世界の縮図」に見立て、何らかの法則によって「区分け」を行い、「その区分に何か注目に値する異変(そこに天体や特定のカードや皺やホクロが出現する)が発生したらこういう意味」という解読コードに従って判断してるわけ。統計じゃないわけ。
ネッコの集会が発生する駐車場にチョークでホロスコープの枠だけ描いておいて、どのネッコがどこのエリアにお座りになるかで占ってもいいし、サイコロ振ってもいいわけ。壁に枠だけ描いておいてダーツ飛ばしてもいいし、棒倒しでもいいわけ。ホロスコープ描いてある茶碗に茶殻ぶちまける占いもあるわけ。
たぶん「占いは統計(学)だから」と言うひとは「(占いに対して)よかれと思って」「(占いを)誉めたつもりで」言うんだと思う。「占いはインチキじゃない、科学だ。信頼に足るものなのだ」と言いたいばっかりに。でもそれは「科学的なものは非科学的なものよりよいものだという発想」から出る発言。
「占いは統計学ではない」はただ単に「占いと統計学は違うものだ」と言っているだけ。「占いは統計学ではない」と言ったからって占いをdisったことにはならないし、「占いは統計学だ」と言ったからって占いを誉めたことにはならない。猫を犬と呼んだって誉めたことにはならないのと同じ。単に違うの。
「占いは統計学で、科学なんですよね?」という発言には淡々と「いいえ、占いと統計学は違うし、占いは科学ではありませんよ」と返すほかない。「スヌーピーは猫ですよね?」という質問に「いや、スヌーピーは犬ですよ」と返すしかないようなもの。スヌーピーが猫ではなく犬なのは何も悪いことじゃない。
スヌーピーは犬のキャラクターだ。世間では猫のキャラクターの方が人気だ。あなたは猫のキャラクターが好きだし正直言って猫のキャラクターの方がかわいいと思う。しかしあなたはなぜかスヌーピーも好きだ。他の犬のキャラクターはかわいくないけれどスヌーピーはかわいいから名誉猫という扱いにしたい。
「スヌーピーって猫ですよね?だって犬と違ってこんなにかわいいし面白いのだから」「いいえ、スヌーピーは猫ではなく犬ですよ。犬のキャラクターにだってかわいくて面白いのはいくらでもいますよ。なぜスヌーピーを猫だと言いたいのですか」というような話。
別に占いと統計学をそれぞれ使い分けたって構わないわけ。猫と犬をペットとして同時に飼っても構わないのと同じ。何なら車のキーにキティちゃんのマスコットとスヌーピーのマスコットを同時につけたって構わない。単に違うよね、違うのを今同時に使ってたり飼ってたりするよね、ってだけの話。
【2024年追記】
Twitter(自称X)のタイムラインを「kaori_stargazer 血液型」で検索するとだいたい2~3年にいっぺんくらい「だから西洋占星術と血液型を! 混ぜるな! 悔しかったらジャンボジェット機の血液型を言ってみなさいよ!」とクダを巻いている当番のツイートを読めます。いちばん古いのは2011年だな(当番は2009年12月からTwitterをやっています)。
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