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「みぞの鏡」とリリスの話

2018年10月に「月の遠地点・リリス」と『ハリーポッターシリーズ』の「みぞの鏡」について連投したツイートのまとめ。

「自分の/相手の星が相手の/自分のリリスと重なったせいでー!」って言うの「自分の問題を自分じゃない奴のせいにしてるんじゃねーよ! 自分のケツをこっちに持たせようとすんな!」感が強い。お前のケツはお前のケツ、私のケツは私のケツってことがわからないアダムが嫌だからリリスは別居したんじゃね。

『ハリー・ポッターと賢者の石』に「みぞの鏡(Mirror of Erised 発音はミラー・オヴ・エリセド)」という魔法道具が登場する。ダンブルドア校長によれば「最も幸福な者がこの鏡を見ると、そこにはありのままのその人が映る」。どういうことかというと、この鏡はその人が心の底から望むものを映すから。

心の底から望むこと、ほしくてたまらない気持ちを desire デザイアーと言う。昭和の民には中森明菜の歌でおなじみ。Mirror of Erised の erised は desire を逆から表記したもの。だから日本語は「みぞの鏡」。のぞみ←→みぞの。何かを強く望むのは、自分の中に欠落感があるからだ。

ハリーには自分を愛して味方になってくれる家族がいない。ハリーは家族に欠落感を覚える。だからハリーがみぞの鏡を覗くと、鏡は彼が心の底で望んでやまない家族と、彼らに囲まれた彼自身を映し出す。ロンは家族にはうんざりしている。自分の取り柄のなさを気にしている。彼は特別になりたい。

ロンがみぞの鏡を覗くと、みぞの鏡は学業優秀スポーツ万能のロン自身を映し出す。ロンの欠落感は、そういう形をしている。「才能があって注目を集める自分」が欠落している。みぞの鏡は見る人ののぞみ=欠落感を示す。鏡なのでその像は反転してのぞみ→みぞのになり、欠落感を補われた像が映る。

「最も幸福な者は『みぞの鏡』を普通の鏡として使うことができる。最も幸福な者が『みぞの鏡』を覗くとありのままの自分が映る」。みぞの鏡は欠落感を鏡像として見せる鏡だ。だから欠落感がなくなってしまった者、ほしいものはすべて持っていて満足している幸福な者が覗くと、何も足さない本人が見える。

みぞの鏡は見る者の欠落感=のぞみを引き出して、それをひっくり返しにしてみせる。鏡の中には「現実の自分が望んで得られないものをみんな持ってる自分」がいる。ダンブルドア校長は言う。「この鏡はのぞみを映すが、知識も真実も授けてはくれない」「夢の中に安住して生きることを忘れてはならぬ」

急に「みぞの鏡」の話をしだしたのはね、月の遠地点「リリス」もそういうものじゃないかと思っているから。私やあなたのホロスコープにあるリリスは、私やあなたの欠落感を示す。男性のホロスコープにあるリリスも、女性のホロスコープにあるリリスも。

最も幸福な者、つまり欠落感のない者がホロスコープ内のみぞの鏡=リリスを見ると、そこにはありのままの自分が映る。このリリスは「みぞの眼鏡」でもあって、自分のリリスのところに他の人の天体が来ると、その天体は自分の欠落感を上乗せした天体に見える。

私のリリスがある度数に、たとえば太陽がある人がいたとする。私の中にも欠落感はあるから、もし♑29に太陽を持つひとと巡り合ったりしたら私はその人に私の欠落感を逆映しにプラスして見てしまう。それは♑29に太陽を持つ人のせいじゃないんだ。♑29にみぞの眼鏡=リリスを持つ私のせいなんだ。

もしも私が自分の欠落感について自分でどうにか折り合いをつけられていたら、もしも私がすべてののぞみを叶えた最も幸福な人間だったら、私のみぞの眼鏡=リリスの位置に誰が立とうが「ああ♑29の人がいるね」と言うだけの話になるんだ。♑29的な欠落感はもう埋まっているから「刺さらなくなる」

この連ツイのネタ集めに「Mirror of Erised」で画像検索していたら「ハリー・ポッターシリーズの他のキャラクターは『みぞの鏡』に何を見るか」という二次創作画像や「ジョージ・ウィーズリーにとってはあらゆる鏡が『みぞの鏡』だ」という画像がヒットして「そう。そういうこと」と思う当番である。

「ジョージ・ウィーズリーにとってはあらゆる鏡が『みぞの鏡』だ」って、すごく切ない。『みぞの鏡』が映すものはその人が心の底から求めてやまないもの=現実にはその人から欠落していて手に入らないもの。鏡のこちら側では相変わらず欠けたままなのに、鏡の向こう側では欠けたものが揃っているんだよ。

(※2023年になったから盛大にネタバレするけれど、作中で双子の片割れフレッド・ウィーズリーは最終決戦で討死してしまう。生き残った方の双子であるジョージはあらゆる鏡の中にもう戻らないきょうだいと同じ顔を見ることになる)

だから、多くの人が「みぞの鏡」に心奪われて、その鏡ばかりを見つめ続けて、理性を喪った。夢に安住して現実を生きることを忘れた。シリーズ1巻に登場する「みぞの鏡」のエピソードはシリーズ最終巻の「よみがえりの石」の伏線でもあるんだ。よみがえりの石は死者を呼び戻すけれどそれは幻でしかない。

「ジョージ・ウィーズリーにとってはあらゆる鏡が『みぞの鏡』だ」というのは最終巻終了後の話。『みぞの鏡』は見る人に欠落しているもの・それゆえに喉から手が出るほどほしいものを映す。普通の鏡は単に本人の鏡像を映す。ジョージ・ウィーズリーは「生き残った双子」なんだ。片割れはもう戻らない。

月の遠地点・リリスはね。魔性の女とか子攫いとか色々言われているけれど。私は「アダム(自分)の『元』妻」でいいんじゃないかと思う。「御縁がなかった/切れた存在」で「『自分が』未練を感じている存在」。「『みぞの鏡』を覗いたときに自分の隣に立っているけれど鏡のこちら側にはいない元カノ」

リリスは自分の欠落感。自分の未練。思い出の中の元カレや元カノという虚像。それが「みぞの鏡」には映る。のぞみ←→みぞので「みぞの鏡」にはそれを得た自分が映るけれど、決して鏡のこちら側には出てきてくれない。それは自分の欠落感の虚像。二次元嫁みたいなもので元カレ元カノ本人ではない。

「みぞの鏡」二次創作絵ではね、セヴルス・スネイプ先生が鏡の前で打ちひしがれている絵が結構あってね。まあ鏡の中にはリリーがいるよね、っていう。ですよねー……みんな「みぞの鏡」の何たるかをよくわかっているじゃなーい……それは「セヴルスの心の中のリリー」であってリリー本人じゃないわけさ。

「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」って4コママンガがバズったことがあった。今は書籍化されてるんだね。誰かのちょっとした態度や言葉に悩んで悶々としている人に第三者が「多分そいつ(君が悩みの種にしている相手)、今ごろパフェとか食ってるよ」と言う話。

アダムの元妻だった元祖リリスもねー、リリスに振られたアダムの中でものすごく大きな未練として虚像が残っただけであって、リリスさん本人はきっとパフェとか食ってたんですよ。魔性だーとか悪女だーっていうのは振られ男アダムの欠落感で、まあ夫がそんなの持ってたら現妻エヴァは嫌な気分にもなる。

夫にしてみれば「俺を捨てていったあいつ……(未練タラタラ)」で、現妻にしてみれば「私の夫の心にまだ棲みついているあの女……(嫉妬メラメラ)」で、しかしそれらはそもそもタラタラだったりメラメラだったりする人の中にある「憎いあんちくしょうの虚像」。現実の元カノはパフェとか食ってるから。

スネイプ先生の場合も然りで、彼の愛したリリー・エヴァンズはもう彼の心にしかいないんですよ。実際のリリー・エヴァンズはジェイムズ・ポッターとパフェ食って結婚してこども生んでるわけですよ……。そして「みぞの鏡」は、彼をセヴと呼んでくれていた頃のリリーを相変わらず映すわけですよ……

西洋占星術で言うリリスは「月の遠地点」。月が地球をめぐる公転軌道で、月と地球の距離が最も長くなるポイント。そこに天体はいません眠ってなんかいません。月の遠地点はアダムの元カノに因んだ名前をもらった。地球がアダム(土)で月がエヴァ(命)なら、月が地球から最も離れる場所がリリス(幻)。

それはアダムの欠落感、アダムの未練が見せる元カノの幻影。そこに元カノはいない。自分の未練を映すみぞの鏡がある。みぞの鏡は未練の鏡。後ろ髪引かれてるのは自分だけど引いてるのは元カノ本人じゃない。元カノは今ごろパフェとか食ってる。そこに映るのは自分の心の穴、ないものねだりな自分の性癖。

私の欠落感はどんな形をしている? 私のひそかな未練とは? 私がハマってしまうものとは? 私が「みぞの鏡」を覗き込むとき、そこに映るものは何?

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