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店員さんを怖がっていた頃の話

2020年6月18日のツイートまとめ

当番は(靴紐の)ヒールロック結びを覚えた。最近、夕方になると爪先がちょっときつくなってくるなと思っていたのだけど、ヒールロックしてみたらそれがなくなった。なんとヒール靴でもないのに足が前に滑っていたらしい。前滑りしなければ爪先に指が詰まったりしないのか。

(参考。靴紐のヒールロック結び)

足が前滑りしなくなると中敷きの土踏まず部分からリアル土踏まずがズレなくなるし、長時間歩いても疲れない。なるほど靴屋さんで靴紐結ぶとき爪先を立てて踵で支えながら結べとシューフィッターさんから指導されたのはこういうことかとやっと理解。ヒールロック結びを併用してみたら更に足元がしっかりした。靴紐も余らない。

自宅から徒歩圏内に、地元でもう40年は営業しているんじゃないかという靴屋さんがある。スニーカーはそこで買っている。小さなお店ながらシューフィッターさんがいて、計測、調整、合う靴探し、中敷き選びまで付き合ってくれる。ノルディックウォーキングの教室を開いていたりもするんだ。

そこのお店で勧めてもらった土踏まずと足指付け根のアーチを支える中敷き、時々自分の土踏まずと中敷きのアーチが合わない感覚があったんだけど、お店のフィッターさんは「当番の足だとアーチはここだ」と言う。ヒールロックしてみたら確かにアーチの位置そこでしたァ!フィッターさん嘘つかない。

スニーカーに関してはデザインや流行よりもサイズとアーチが合うかどうかだとしみじみ実感したので、そこで買ったスニーカーを履き潰すとまたそのお店へ行く。ドレッシーな靴を買おうと思うとちょっと用が足りんのだけど、ガチ地元のお店なので地域通貨も使えるし、スタンプカードもがっつりと貯まる。

靴とブラだけは……サイズと型が体に合ってないと体調不良の元だから……かならずフィッターさんのいるお店で都度都度採寸してもらって買うと当番は決めている……

20代だった頃、店員さんが話しかけてきて色々勧めてくれるタイプのお店が苦手だった。服屋さんとか靴屋さんとか、あと下着屋さんとかヘアサロンとか化粧品屋さんとか。店員さんと話さなくて済むお店でそそくさと買い物を済ませていた。火星期あたりから「店員さんに相談する」ができるようになった。

今思えば、20代の頃は自分の中に確固とした好みもなく、お洒落の知識もなく、「こうしたい」という強い意志もなかった。店員さんは全員陽キャでセンスと自信と専門知識と売らんかな精神に溢れて見えていた。話しかけられるともう「侵襲される😭上からガンガン言われる😭」という感覚だった。

店員さんが陽キャのオーラを振りまきながらあれはいかがですかこれはいかがですか髪染めないんですかパーマしたことないんですかお休みは何してるんですかと矢継ぎ早に(今思えばどうにか客の好みや意志を探って最適なものを勧めようとして)訊いてくるの、意図が全然わからなくて心底恐怖だったなあ。

火星期辺りからいつの間にか話しかけてくる店員さんが怖くなくなったの、

当番が店員さんと同年代かそれより年長になったこと

当番が自分の好みを大体自覚でき、商品知識が蓄積され、「こうしたい」も確固としてきたこと

当番が「要らんものは要らん」と言えるようになったこと

当番が職業生活の中で「プロの提案は聞いておくとお得」「プロに質問できる機会は貴重」と思うようになったこと

「店員さんは6ハウス」、当番の買い物で買うか買わないか決めるのは当番で、店員さんはそれを手伝って(アシストして)くれる存在だと当番が認識したこと

この辺りが理由だと思う。

今は当番の方から「こういうのを探しているんだけど相談に乗って」と店員さんを掴まえて訊けるようになった。コミュ強の陽キャならこんなこと10代から無意識にこなせるんだろうけれど、当番40年もかかっちゃったよ。でも、店員さん巻き込んで買い物できるようになった今も昔の恐怖は忘れていない。

別に買い物ごとき、勝負なんかじゃないと冷静に考えればそう思えるんだけどさ、当番の中のビビりなおサルさんが「自分が勝てない相手と話さなきゃならないのマジ無理だった」「『この相手には勝てる』『少なくとも負けはしない』と思えるようになってやっと恐怖感なく店員さんと会話できるようになった」と囁く。

本当に勝ち負けでもなければ強弱でもなく、どっちが上だ下だの話でもないと今はわかるんだけど、自分に力がなく判断力もなくセンスも知識もないない尽くしで自信がないと、すべてが勝ち負けや強弱や立場の上下の問題に見えてしまっていたんだよ。強い奴に上からガンガン来られる感が拭えなかった。

「いや、勝ち負けの問題じゃなかったよな」「いや、どちらが上とかではなく店員さんとお客の私は対等だよな」と「断ってもいいし、頼ってもいいし自由なんだよな」と「今なら」思えるけれど、いま対等だと思えるのも「相手に対していまの自分は負けないくらい既に強いな」と思えているからかもしれない。

当番の中で「対等だ」とか「自由だ」とかは、「自分はこの場の関係において強者だ、もしくは少なくとも弱くはない」と思えるときにしか出てこないのかもしれない。んー、これ1室7室案件かも。1ハウスで自分を強く出せないと相手が7室のつもりで接しても受けきれずに上から10室くらいに重く感じるという。

20代の当番、1室が弱々すぎて相手が7室(対等な相手)や6室(客に仕える従業員)だという意識が持てずに天秤が傾いていたっぽいな。ここ数年でやっと安定してきたし、店員さんを「うまく使って(言い方が悪いか。うまく頼って)」買い物をすることができるようになってきた。買い物の主役は当番だ。

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