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蟹座25度「運命の肩ポン」

2018年7月16日23時07分、トランジット太陽が蟹座数え25度へ入ります。蟹座数え25度のサビアンシンボルをぎゅぎゅっと五文字くらいに圧縮すると「運命の肩ポン」

「♋25運命の肩ポン」原文チェック。黒字が1925年ジョーンズ版「A dark shadow or mantle thrown suddenly over the right shoulder右肩越しに突然投げかけられた暗い影もしくはマント」。青字が1975年ルディア版「A will-full man is overshadowed by a descent of superior power.ある意志の強い男が超越的な力の降下により影を投げかけられる」

「♋25運命の肩ポン」番地チェック。蟹座後半(復路)の、5度ずつに分けた第2グループ(まんなか)の、第5度数。どの5度組でも第5度数は第3度数と第4度数のこども。第3度数は第1度数と第2度数のこども。磯野家で言えば第5度数はタラオ。

「♋21歌う主演女優」は波平、オペラはエモみのかたまり。「♋22蝶々夫人」はフネ、エモみとはたとえば船を待つ女のあこがれと切望。「♋23文学とは何か」はサザエ、波平とフネをいいとこ取りする。文学は世を映し、世を導く。文学者は集まり、文学と世の中について語り合う。

「♋23文学とは何か」サザエと対になるのが「♋24三角関係」マスオ。対照的なふたりの男の間で迷うひとりの女、三角関係はドラマの基本。たとえ実際の人間関係で三角関係に陥った経験はなくとも、ふたつの対照的な価値観や選択肢の間で迷い葛藤した経験は多くのひとにある。

三角関係がドラマの基本なのは、対照的なふたつの選択肢の間で揺れるのが最も基本的な葛藤だから。誰の心の中にも南海の離れ小島に流れ着いた女と男と男がいる。♋23の会合に集まった詩人、小説家、批評家の心の中にだっている。みんな悩めるヒロインだ。おじさんもヒロインだ。

「♋23文学とは何か」サザエと「♋24三角関係」マスオの対から「♋25運命の肩ポン」タラオがうまれる。詩人や小説家や批評家は相反するふたつのものの間に立って揺れるもの。対照的な男ふたりと共に南の島に流れ着いたひとりの女のように。♋25ではその悩みについに結論が出る。

右肩越しに突然投げかけられる暗い影またはマント。ルディア版では、意志の強いある男(a will-full man)に超越的な力が下降してきて彼の上に影を投げかける(影を落とす overshadow)。♋24では女が「ふたりの男」の間で「迷う」。♋25では「ある男」が「選ばれる」

ああ、そこの君、君。君だよ。こっちへ来なさい。何とよい面構えだ…ティンと来た(ポン)! という感じで。上の方の力(superior power)が意志の強いその男へ降りてきて、マントのように彼を包む。overshadow は大きなものがヌッと頭上へ現れたために影ができる感じ。

大きなものの手が肩にポンと置かれるような。背中からマントを着せられるような。「白羽の矢」を立てられたかのような。自分より上の存在からの「君に決めた!」。「♋25運命の肩ポン」とはそういうもの。大抜擢。神がかり。これが「♋21歌う主演女優」から始まった5度組の決着。

「♋25運命の肩ポン」は「♋23文学とは何か」「♋24三角関係」のいいとこ取りをする。その「♋23文学とは何か」は「♋21歌う主演女優」「♋22蝶々夫人」のいいとこ取りなので、♋25には♋21-22-23-24すべてのいいところが入っていることになる。

聴くひとにしばし我を忘れさせ、別の人生を我がことのように体験させるオペラ歌手の妙技(♋21)、身は陸地にありながら心は彼方へ向かっている船待つ女のあこがれ(♋22)、世のありさまを映し世を導く文学について語り合う詩人や小説家たちの集まり(♋23)

そして対照的なふたりの男、相反するふたつの価値観の間で揺れる女(♋24)。♋21のオペラ歌手や♋23の文学者たちは教えてくれる。自分の経験した人生や世の中だけがすべてではないこと。人間の感情の激しさ、繊細さ、表現の豊かさ。

♋22の船待つ女、♋24の男ふたりの間に立たされた女は教えてくれる。自分には関係のない物語の世界と思うかもしれない、でも、あなたも人生の中でわたしたちと同じように何かを待ちわびたり、相反するふたつのものの間で揺れたり引き裂かれたりした経験があったでしょう?

それらすべてを束ねるのが蟹座後半第2グループの第5度数「♋25運命の肩ポン」。オペラ歌手はなぜ歌うのか。蝶々夫人はなぜ船を待つのか。詩人や小説家はなぜ文学を論じ、なぜ三角関係の女は悩むのか。それは、かれらが運命に肩ポンされてしまったから。

「♋21歌う主演女優」から「♋25運命の肩ポン」までの5度組に天体やカスプを持っている方に読んでいただきたい作品がありまして。古代ギリシャで詩人を目指す女の子のマンガ『うたえ!エーリンナ』(佐藤二葉 星海社)というのですけどね。

うたえ! エーリンナ (星海社COMICS) https://amzn.asia/d/0y6V0iS

「詩女神(ムーサ)に見出された人は歌わなければならないわ」少女には合唱しか許されなかった時代、前代未聞の独唱パートに抜擢された少女エーリンナが、ある男の子の偏見と悪意にさらされて自信をなくしてしまう。そのとき彼女の友バウキスがエーリンナにかけた励ましのことば。

バウキスの発した励ましのことばは、別の場面でエーリンナからくだんの男の子へと贈られる。「……あなたも! あなたもやめちゃだめよ! 詩女神(ムーサ)に選ばれた人はうたわなくちゃならないのよ!」

歌手は、詩人はなぜ歌うのか。小説家はなぜ書くのか。詩女神(ムーサ ムーサイ 芸術の女神たち。 music の語源)に見出され選ばれた者は歌わなくてはならないから。♋25の右肩に突然投げかけられる黒い影あるいはマントとは、大きな力に何かを負わされたしるし。

「♋25運命の肩ポン」とスクエアになるのは「♈25二重の契り」。目に見える世界と目に見えない世界。片方で約束をすればもう片方の世界でも約束される。目に見える相手と目に見えない相手へ同時に約束する。同じように芸術家も人間と詩女神両方のためにその才能を発揮する。

「♋25運命の肩ポン」は蟹座後半(復路)第2グループ(まんなか)の第5度数(タラオ)。同じ蟹座後半の第1グループ(はじめ)第5度数と比べてみよう。「♋20船頭小唄」同じセレナーデを口々に歌うヴェネツィアのゴンドラ乗りたち。かれらの歌は水都の風物詩となっている。

♋20のゴンドラ乗りたちが口々に歌うセレナーデはヴェネツィアの風景・文化・伝統の一部になっている。別々の口から出ていても、それは「みんなのうた」だ。しかしその歌も、かつては♋25のように詩女神に肩ポンされたひとりの芸術家によって生みだされた讃歌だったはずだ。

蟹座前半(往路)で「♋25運命の肩ポン」(蟹座後半第2グループ第5度数)と対になるのは同じ第2グループ第5度数の「♋10磨けば光る」。まだ完全には研磨されきっていない大きなダイアモンド。玉磨かざれば光なし、しかしそこらの石を磨いてもダイヤにはならない。

磨いて光るのは、それが磨けば光るダイヤの原石であるからこそ。右肩に突然黒い影かマントが投げかけられてしまう人物もまた、ダイヤの原石。光るものが眠っているからこそ詩女神たちはそのひとを自分のお手先、代弁者として肩ポン指名する。選ばれたなら歌わなくてはならない。

うまれたときのホロスコープで「♋25運命の肩ポン」はどこのハウスにある? 今日の太陽はそこを照らす。穴埋め #アストロ短歌 で確認しよう

「○○○○で(五音・ハウス) 芯の強さを(蟹座) 発揮する(太陽) 受けて立つ運命の肩ポン(♋25)」

#サビアンシンボル物語

「♋25運命の肩ポン」と『うたえ!エーリンナ』補足。エーリンナは「詩女神(ムーサ)に見出された」子だけれど、彼女の肩をポンして「うたえ!」と促したのは詩女神だけではないことが最後の山場ではっきりと描かれる。彼女と共に生きる仲間と師が彼女の背中を押して命じた。

詩女神(ムーサ)の力は上から人間に降りてくる。神様の力は人間の力ではない。だけど神様の力が降りてきて誰かの右肩に乗っかるとき、それよりはちいさな力だけどそのひとの兄弟姉妹もまた、そのひとの背中を押す。選ばれたひとの独唱を支え共に歌う仲間の力は、蟹座の力だ。

聴く人々にしばし我を忘れさせ、まったく別の人生を我がことのように感じさせる歌い手や詩人たちは詩女神(ムーサ)に選ばれた人々。でも彼ら彼女らを選びだし、背中を押すのは神様だけではない。『うたえ!エーリンナ(佐藤二葉 星海社)』はいいぞ。みんな読もう

【♋25運命の肩ポン をより深く理解するための比較対象シンボルリスト】
♌25長旅に耐える(となりのサイン)
♍25公式弔意表明(60度)
♎25桐一葉(90度)
♏25骨はみな同じ(120度)
♑25高級絨毯店(180度)
♓25綱紀粛正(120度)
♈25二重の契り(90度)
♉25市民公園(60度)

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