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「ニーバーの祈り」と reasonably happy であること

2021年4月8日のツイートまとめ。「ニーバーの祈り」と、そこに登場する reasonably happy ということばについて。

「非モテだからコミュ二ケーション能力が低いのだ」「非モテだから加害的なのだ」ということはないが、「コミュ二ケーション能力が壊滅的に低いがゆえに/あるいは加害的であるために非モテ状態に陥っている人」は存在する。「あなたの/私の非モテは、どこから?」

かみさま、変えることのできない非モテ要素をおだやかに受け入れる力を与えてください

変えられる非モテ要素を変える勇気を与えてください

そして、変えられない非モテ要素と変えられる非モテ要素を区別する賢さを与えてください

ニーバーの祈り・非モテバージョン

【ニーバーの祈り・原文】
God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
Courage to change the things which should be changed,
and the Wisdom to distinguish the one from the other.
Living one day at a time,
Enjoying one moment at a time,
Accepting hardship as a pathway to peace,
Taking, as Jesus did,
This sinful world as it is,
Not as I would have it,
Trusting that You will make all things right,
If I surrender to Your will,
So that I may be reasonably happy in this life,
And supremely happy with You forever in the next.

Amen.

かみさま、変えられないものを穏やかに受け入れる恵みをわたしたちにお与えください、
変えるべきことを変える勇気を、
そしてそのふたつを見分ける大いなる智慧をお与えください。
いちどに一日ずつを生き、
いちどにひとときずつを楽しみ、
苦しいときを安楽への道筋と受け入れ、
私がそうしてきたであろうようにではなく、
イエス様がそうなさったように、
この罪多き世の中をあるがままに受けとめ、
わたしがかみさまの御心におすがりすれば、
かみさまがすべてをうまく取り計らってくださり、
今生はそこそこしあわせでいられて
その後はかみさまのみもとでとわにこのうえなくしあわせになれると
信じます

アーメン。

(当番訳。間違いがあるかもしれないから鵜呑みにしちゃだめよ。辞書を引いて自分で訳そうね)

(行の順番は日本語の語順として読みやすい順番に当番が並べ変えてますよ)

当番は So that I may be reasonably happy in this life, And supremely happy with You forever in the next. 「今生ではそこそこしあわせ(reasonably happy)でいられて、その今生が終わった次の生ではかみさまのみもとで永遠にこのうえなくしあわせになるだろうと」って箇所がすごく好きですね。

reasonably (程々に、納得できる程度に、そこそこ)ってのがいい。かみさまにおすがりすれば生きている間「そこそこしあわせ」で、「このうえない永遠のしあわせ」は死んでから(死んでから、ってのはあれです、キリスト教的には最後の審判でかみさまサイドに行くか地獄に行くか決まるからですよ。「次の生」は輪廻転生の話ではなくて、「最後の審判で『かみさまサイド』に入れてもらって『天の国』へ行ったら」という意味です)。

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