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紳士淑女をつくるもの

2020年10月9日のツイートに加筆修正したもの。『マイ・フェア・レディ』と『キングスマン』と社交の話。

「言葉づかいやマナーで入り込める階層が限られてしまう。だったら言葉づかいとマナーをハックすれば下層階級の人間を上流階級にぶっ込んでも気付かれない(※)」それを証明してやるぜ!と考えたエエとこの先生が実験をする古典フィクションがありましてね、『マイ・フェア・レディ』って言うんすけど。

(※「言葉づかいやマナーで入り込める階層が限られてしまう。だったら言葉づかいとマナーをハックすれば下層階級の人間を上流階級にぶっ込んでも気付かれない」2020年10月9日当時、誰かのそういうツイートがあったんです。「『マナーを守り紳士的/淑女的に振る舞う』ということにどのような実利があるか?」という文脈。「『紳士/淑女として相手に接しない』ということで閉ざされる扉というものがあるからだ」「逆に、紳士/淑女たる振舞で開かれる扉があるからだ」という話)

映画『キングスマン』にもチョロっと引用されている古典ミュージカル映画ですね、『マイ・フェア・レディ』。『キングスマン』もまた、ストリート少年版『マイ・フェア・レディ』なわけですが。

『キングスマン』で面白いのは、街場の下層階級少年にスパイ紳士教育をするにあたり、スパイ紳士おじさんが「これから自分は君に何を教えるのか」を説明するとき「『マイ・フェア・レディ』では古い作品過ぎて、この少年には通じなかろう」とわざわざ翻案もの、かつアメリカ作品の『プリティ・ウーマン』を引き合いに出すところね。

ところが少年は『プリティ・ウーマン』を知らない(おじさんにとってはリアタイしてる作品だろうけど、おそらく少年世代はこれを知らない)。逆におじさんの説明を聞いて「『マイ・フェア・レディ』みたいなやつ?」と返す。「(『プリティ・ウーマン』は知らないのに)そっちは知ってるのか」と思うおじさん。

紳士スパイ・ギャラハッドおじさん(コリン・ファース)かわいいのだ……(当アカウントはナイス皺とナイス小皺とナイススーツが大好きです。当然、ナイススーツのナイス小皺が大立ち回りをする『キングスマン』も大好きです)。

そんで結局、イライザ(『マイ・フェア・レディ』のヒロイン、下層階級出身で、「教授」の実験台)も、エグジー(『キングスマン』の主人公、下層階級出身で、「ギャラハッド」の後継者)も、「マナーをハックして階層の壁を越える」ことを教えてくれた「先生」からは最終的にひとりだちをするのだな。

「『マイ・フェア・レディ』のイライザは独り立ちしてないじゃん」というのはあるが、『マイ・フェア・レディ』の「原作」である『ピグマリオン』の方ではイライザは「教授」の元から去って帰ってこないのだ。『マイ・フェア・レディ』の「私のスリッパはどこだ?」で終わるのはおじさんの夢っぽいのだな。

当番さんは「『マイ・フェア・レディ』はイライザが戻ってきて教授が『私のスリッパはどこだ?』でじゃじゃーんと暗転させてもいいから、暗転したところで『べちーん!』とスリッパで叩くSEを入れて教授に『痛っ』と言わせてしまえ」と常々思っているのだ。

イライザ、頭にきたときにスリッパは投げるな。スリッパで攻撃したいときはな、投げつけるのではなくしっかり握って、すぱーん!と叩くんだ。

You see, Mrs. Higgins, apart from the things one can pick up, the difference between a lady and a flower girl is not how she behaves, but how she is treated.

ねえヒギンズ夫人、何よりもまず言えることは、貴婦人と花売娘の違いは、その人がどう振る舞うかではなくどう扱われるかなのです。

I shall always be a common flower girl to Professor Higgins, because he always treats me like a common flower girl, and always will. But I know that I shall always be a lady to Colonel Pickering, because he always treats me like a lady, and always will.

ヒギンズ教授にとって私はいつだってしがない花売娘です、だって教授はいつも私をしがない花売娘として扱うし、今後もそうなさるでしょうから。でも私はピカリング大佐にとってはいつでも貴婦人であることを存じています、だって大佐はいつも私を貴婦人として扱うし、これからもそうなさるでしょうから

『マイ・フェア・レディ』より、教授の元を出奔し、教授の母親であるヒギンズ夫人へ事情を説明するヒロイン・イライザ

「はあ?賎しいクソ女を貴婦人扱いするのが『マナー』だってか?」という話ではなく、「『女は敵である、この女も、あの女も、お前も敵だコノヤロー』という扱いを会う人会う人に対してずっと続けていて、それで女神様のような貴婦人が空から降ってきてあなたに味方してくれるとお思いか?」という話。実際、自称女嫌いのヒギンズ教授は母親から「イライザに礼儀正しくしなさい、なぜなら今イライザは私のお客様としてここにいるのだから」と命じられて「自分がこの娘をドブから拾い上げて教育を施し『淑女にしてやった』のに?」と反論する。教授がそういうことを言うからイライザはヒギンズ夫人に前述の長台詞を訴え、そして教授を捨てて出ていくわけですよ。

「社交」とか「礼儀」とかはホロスコープの「7ハウス」が管轄。「7ハウス」は他人を饗応・接遇する現場で。そこで接する他人に粗末な対応を続けていれば、知り合える相手は「その対応でも残るような人」に限られる。「あなたが出会う相手を粗末に扱えば、『他人に大切にされることを知っている人』はあなたの元からどんどん去り、社交の扉は閉ざされる」。というわけで、ここから先は7ハウスの話。

【7ハウスの話】
「言葉遣いを、服装を、振舞を変えて紳士淑女に大変身!」な物語は当番も大好きだ。大好きだけど、「知らない人にも門戸を開き、コミュニケーションの様式を共有する(風)ことで、お互いの胸のうち(火)を互いに知っていこう」というホロスコープの横軸(牡羊座天秤座、1室7室)的なホスピタリティが、結局は「出身階層をロンダリングし社会的地位を上げる」という縦軸(蟹座山羊座、4室10室)に回収されていくという話でもあるんだよな、という切なさも同時にある。

「社交(7ハウス)をやれ」というのは「自我(1ハウス)をなくして上下関係(10ハウス4ハウスの軸)に従い、お仕えせよ」という話ではなくって「自分から見た他人(7ハウス)にも自我(1ハウス)があるわけで、お前の自我と他人の自我を共存させる道を行け」なんだけどねえ。

自我(1ハウス)をなくしちゃって上下関係(10ハウス4ハウス)に吸収されちゃってると社交(7ハウス)ってやっていけないんですよ。かと言って「俺が、俺だけが1ハウスだ」をやって他人の自我とか感情とかをないがしろにしても、やっぱり7ハウスってやれないんですよ。

自我(1ハウス)が弱くて社交(7ハウス)やるのが厳しいんじゃー! にパッチを当てるには、自我方面なら打ち込める趣味(5ハウス)を持つかアウェイ(9ハウス)へ出てみるか。社交方面から攻略するなら幼友達・学友ネットワーク(3ハウス)を頼るか年齢不問の互助会ネットワーク(11ハウス)を頼るか。

ホロスコープ読める人なら「1ハウス(7ハウス)のカスプサインを見て、そのサインの支配星が何ハウス何座にいるか、更にその星がどんな星とアスペクトを持つか」を見るのだ。そしてその星やサインやハウスを使うと1ハウス/7ハウスが潤うのだ。

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