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蠍座21度「反抗する兵士」

2018年11月12日19時56分、トランジット太陽が蠍座数え21度へ入りました。蠍座数え21度のサビアンシンボルをぎゅぎゅっと五文字くらいに圧縮すると「反抗する兵士」


「♏21反抗する兵士」の原文チェック。黒字が1925年ジョーンズ版「職務放棄をする(ある)兵士」。青字が1975年ルディア版「自身の良心に従い、ある兵士が命令に逆らう」


「♏21反抗する兵士」の番地チェック。蠍座後半(復路)の、5度ずつに分けた第2グループ(まんなか)の、第1度数。どの5度組でも第1度数はグループのテーマをバンと打ちだす。磯野家で言えば第1度数は波平。


ドデカテモリーで見る「♏21反抗する兵士」の番地チェック。♏1で新月(太陽と月の合)が起きたとする。20日間で太陽は20度進んで21日目には太陽♋21。同じ日数で月は260度進んで21日目には月♋21、太陽とトライン。ドデカテモリーで♏21は「蠍座の中のちいさな蟹座」

蠍座のテーマ「力を合わせる」が揺さぶられた蠍座後半(復路)第1グループ(はじめ)が終わった。そして蠍座の中で最も脂が乗っている蠍座後半(復路)第2グループ(まんなか)が始まった。「力を合わせる」がひと回り大きくなって帰ってこ……ない。兵士が命令に背いている。

蠍座のテーマ「力を合わせる」は悪めに言えば「同調圧力」。軍隊は「力を合わせる/同調圧力」が最も強く出るような集団のひとつ。指揮官の命令に従って、仲間と力を合わせてきびきび動かなくてはならない。戦場でそれができなかったら自分だけでなく味方まで死ぬかもしれない。

そんな同調圧力の塊みたいな軍隊で、一兵卒が指令に背く。蠍座でいちばん脂が乗るグループの筆頭度数なのに、ドデカテモリーで言えば蠍座の力が最も伸びる「蠍座の中のちいさな蟹座」なのに、「力を合わせる」を拒否している。この兵士、かなりの強心臓だ。

♏21の兵卒がひとりでどんな命令違反をしたのかはシンボル内で描写されていない。次のシンボルから推測するに、撃てと言われて撃たなかったか、撃つなと言われているのに撃ったか。ルディア版によって指定されているのは、この兵卒が「自分の良心に従った」こと。

軍隊は「力を合わせて侵略者を追い出したり自分たちが侵略したりする」組織で、たとえ最高レベルに力を合わせたって軍事行動をすれば普通に味方が死ぬし、「良心」の痛みっぷりも半端ない。それでも力を合わせなくてはならないのは、合わせなかったらもっと味方が死ぬからだ。

命令に背いた一兵卒は「命令一下、皆で力を合わせる」という「軍規」よりも自分の「良心」を上に置いた。軍隊で普段「軍規」をいちばん上に置くのは「そうしないと味方が死ぬから」であり、背いたら「お前それやって味方が全滅したらどうしてくれる💢」と残り全員の怒りを買う。

味方全員を敵に回してでも「自分の良心」を「力を合わせる、号令に従う」の上に置けるのは、この一兵卒(♏21)が♏16から♏20までの段階を踏んできたパワーアップさそりんだからだ。いちど自分の意志に立ち戻り、帳の向こうの源にまで行って帰ってきた再誕さそりんだからだ。

「♏21反抗する兵士」は本来の意味での「確信犯(自分の信条その他に基づき『それをするのが善である』と思って犯行すること、またはそうする人)」。「自分の良心に従って」軍隊に「力を合わせる」ことを拒むのだから(ちなみに「悪いと知っていてわざとやる」は「故意犯」)

また『モアナと伝説の海』なんだけれど、「外海へ活路を見出そう」と主張する次期島長モアナと「内海に留まって島の中で力を合わせて生きよう、外海は危険だ」と止める現島長モアナ父の対立って♏21の世界なのね。モアナ父は若い頃実際に外海を目指し友人を喪っている。

島長の一族である若き日のモアナ父にとって、共に外海を目指した友人は友人なんだけど「自分が率いるべき島民」でもあるのね。ただ友人を失くしたのではなく島民の大事な息子を無駄に死なせて自分だけ帰ってきたの、島長の息子が。それもあってモアナ父はモアナの軽挙を咎める。

モアナ父の過去はモアナの「軽はずみに外海を目指して自分は軽い怪我だけで戻ったけれど連れて行ったの子豚を死ぬほど怯えさせた」として繰り返される。もしもモアナが島の衰退に危機感を持たず、祖先の洞窟に行くこともなければ彼女でもこの時点で航海を諦めたかもしれない。

なお、映画本編では「モアナと対立するモアナ父、モアナに力を貸すモアナ祖母」だけに単純化して「挑戦か現状維持か」を描いているけれど、これがリアルだったら最悪の場合モアナ父に従う島民全員がモアナを責めるだろうし、最善でも島民がモアナ派とモアナ父派に割れて揉める。

島を覆う衰退も本編では「食糧が採れない」程度のマイルドな描写に留めてあるけれど、リアルなら多分赤ん坊と年寄りから餓死していく……小さいお子さんも観ますからねディズニー、薄味にしてありますその辺は。おとなはですね、自前で好きな濃さに脳内補完できるよねって仕様。

島長は島民を率いて、島民に「力を合わせる」をさせて、島民の生活を背負わなくてはならない。その重さをモアナ父は跡取り娘に突きつける。だからモアナも一度は諦めかける。彼女の背中を一歩前へ押し出したのは広がる一方である島の危機と、祖母と祖先からのバックアップ。

父は賛成してくれない。島民の誰もついてきてはくれない。唯一の味方である祖母は死んでしまう。モアナは家族と仲間に背き、しかし家族や仲間のためと信じて、たったひとりで船出する。彼女の外海への憧れは、今や彼女の中で島民への責任感と祖先の足跡に結びついたから。

♏21の兵士は自分の良心に従って自分の所属先に背く。モアナもまた自分の良心に従って父に背く。良心は「独断」とは違う。conscience(良心。発音は「カンシャンス」に近い)は con(共に)と science (知る。科学もscience)に分けられる。自分の中に自分と共にある認識。

ディズニー版『ピノキオ』に良心コオロギが登場するね。木偶人形のピノキオに妖精が命を与え、居合わせたコオロギに「まだ善悪の区別がつかないピノキオのためにあなたが彼の『良心』になってやるように」と命じる。コオロギは以降ピノキオと「行動を共に」して助言を与える。

良心はその人と共にあり、共に物を知り、易きこと(what is easy)と善きこと(what is good)を区別し、後者を選びとるよう促す。そして善なる選択を行うのが困難なときも共に在り、その人を支える。「良心」と共に歩む限り人は必ずしも孤独ではない。

「独断」だけで自分の所属先全員に、「力を合わせよ」という同調圧力に逆らうことなどできようか。「常に自分と共にある良心」の強いバックアップなくして、敵に立ち向かうならともかく味方に立ち向かうことができようか。良心と勇気は心の中の近いところにある。

なお「良心が常に自分と共にあるから孤独ではない」と言っても「仲間が認めてくれるかどうか」とは別問題です、勿論。自分の選択で仲間の生死が左右される場合は特に。「良心が一緒だからひとりぼっちではない」はアンパンマンの「愛と勇気だけが友達さ」に近い。

さて、モアナとピノキオのコオロギと良心でかなり大きな木を生やしてしまったので駆け足で関連シンボルいきます。蠍座のひとつ前、天秤座の数え21度は「♎21休日の浜辺」。海と陸地の間にある浜辺で、平日と平日の間の休みを過ごす群衆。みんな半裸でくつろいでいる。

休日の浜辺で半裸になって……という♎21は「命の洗濯」なんだけど、♏21は「命の選択」。♎21は見ず知らずの人が群れていて、ユルっとした繋がりと肯定感があるだけなのだけど、♏21では軍隊の同調圧力をひとり全力で拒んでいる。この拒否は重い。拒む側も、拒まれる側も。

「♏21反抗する兵士」の対向シンボルは「♉21聖書占い」。これは開典占い(ビブリオマンシー)のシンボル。考えや話し合いが堂々廻りになったとき、目を閉じて聖典を開き「えいや!」と指さした箇所をお導きと受けとめる。神様の言うとおり、だからどちら様も恨みっこなしよ。

困ったときに聖典から智慧を拝借することができるのは、聖典に収められた智慧、神様や預言者のことばを人間が信頼しているからだ。♏21の兵士が「自分の良心」を頼みの杖とするのも、それと同じ。良心、conscience とは常に自分と共にある導き手、心の中にいる智慧者だから。

「♏21反抗する兵士」とトラインになるのは「♋21歌う主演女優」。蟹座は水の活動サイン、はじめの水。その数え21度は歌っているプリマドンナ。彼女の迫真の演技は観客にしばし我を忘れさせ、まったく違う人生をまるで我がことのように感じさせるほどの力がある。

蠍座は水の固定サイン、まんなかの水。その数え21度は自分の良心に従い命令に背く一兵卒。♋21のプリマドンナは観客の心を現実から引き剥がし、別の人生へ引っ張り込む。♏21の兵士は自分自身を集団の同調圧力から引き剥がし、良心の導く方向へ向かおうとする。

「♏21反抗する兵士」とスクエアになるのは「♌21ラリった鶏」。獅子座は火の固定サイン、盛夏の火。その数え21度は何かヤバいものを食べて集団酩酊した鶏たち。「赤毛のアン」における「いちご水でダイアナ泥酔事件」のように、こういう事件は保護監督者の不在によって起こる。

アン・シャーリーにはいちご水と葡萄酒の違いがわからない。両方とも飲んだことがないから。生まれたばかりのピノキオには善悪の区別がつかない。だからアンにはマリラが、ピノキオには良心コオロギの監督と導きが要るのだ。普通の餌と毒の区別がつかない鶏にも監督者が必要だ。

蠍座は水の固定サイン、仲秋の水。その数え21度はそうすることが正しい、善であると確信して命令に背く兵士。♌21の鶏たちやアン・シャーリーやピノキオと違って、♏21の兵士は良心に従う。彼の良心は決して彼から離れない。マリラやコオロギさんと違って、それは彼の中にいる。

なお「良心が常に自分と共にあるから孤独ではない」と言っても「仲間が認めてくれるかどうか」とは別問題です、勿論。自分の選択で仲間の生死が左右される場合は特に。「良心が一緒だからひとりぼっちではない」はアンパンマンの「愛と勇気だけが友達さ」に近い。

蠍座は水の固定サイン、仲秋の水。その数え21度はそうすることが正しい、善であると確信して命令に背く兵士。♌21の鶏たちやアン・シャーリーやピノキオと違って、♏21の兵士は良心に従う。彼の良心は決して彼から離れない。マリラやコオロギさんと違って、それは彼の中にいる。

「♏21反抗する兵士」は蠍座後半(復路)第2グループ(まんなか)第1度数(波平)。同じ蠍座後半の第1グループ(はじめ)第1度数(波平)と比べてみよう。「♏16破顔一笑」は自発的に顔をほころばせる少女。「♏21反抗する兵士」は自分の良心を軍規よりも上に置く兵士。

「♏21反抗する兵士」は蠍座後半(復路)第2グループ(まんなか)第1度数(波平)。蠍座前半(往路)で♏21と対になるのは第2グループ(まんなか)第1度数(波平)、「♏6一攫千金」。佐渡へ佐渡へと草木も靡く。ゴールドラッシュは人々を故郷から引き剥がし金鉱へ向かわせる。

♏6では人々が黄金に惹かれ我も我もとカリフォルニアへ殺到したが、♏21では「我も我も」の軍隊でひとり同調から逃れる。彼は良心に導かれて我が道を行く。良心とは心の黄金。

うまれたときのホロスコープで「♏21反抗する兵士」はどのハウスにある?2018年11月12日の太陽はそこを照らした。穴埋め #アストロ短歌 で確認しよう

「○○○○で(五音・ハウス) すべてを賭けて(蠍座) 生きていく(太陽) 勇気出し反抗する兵士(♏21)」

#サビアンシンボル物語

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