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蠍座23度「獲物が変身」

2018年11月14日19時37分、トランジット太陽が蠍座数え23度へ入りました。蠍座数え23度のサビアンシンボルをぎゅぎゅっと五文字くらいに圧縮すると「獲物が変身」


「♏23獲物が変身」の原文チェック。黒字が1925年ジョーンズ版「妖精に変身する一羽の仔ウサギ」。青字が1975年ルディア版「自然の精に変身する一羽のウサギ」


「♏23獲物が変身」の番地チェック。蠍座後半(復路)の、5度ずつに分けた第2グループ(まんなか)の、第3度数。どの5度組でも第3度数は第1度数と第2度数のこども。こどもは両親をいいとこ取りする。磯野家で言えば第3度数はサザエ。

「♏21反抗する兵士」が波平。兵士が自分の良心に従うと決めて、命令に従うことを拒む。「♏22躊躇なく狩る」がフネ、波平を裏打ちする。猟師たちがためらいもなくカモに銃口を向ける。良心が痛む/痛まない、撃てない/撃てるの境界線はどこにある?

「♏23獲物が変身」がサザエ、波平とフネのいいとこ取りをする。妖精に変わってしまうウサギ。ウサギはカモと同じくらいありふれた獲物。カモと違い野菜畑を荒らす害獣の一面もあり、カモ以上に気軽に狩られがちな動物でもある。更に繁殖力が強く、狩っても次々とうまれてくる。

♏21波平と♏22フネでは銃器を手に取る者たちの対照的な姿勢を取り扱った。撃てるか否か。良心の呵責を感じるか否か。その境目はどこにある?♏21と♏22の間にうまれた♏23は、その境目をヒョイとずらす。もしも銃口を向けたその前で獲物のウサギが妖精になったらどうする?

あれは撃てない、撃ってはならない。あれは撃てる、撃ってもいい。見た目、強さ、そして自分との関係性でサックリ振り分けをしていたら、目の前で急展開が起こる。妖精は撃っていいのか?そもそも妖精は銃で撃てるものなのか?いや、なぜウサギが妖精になったりするんだ?

肉体を持ち、現実的で日常的なウサギから肉体があるのかないのか曖昧な、自然の力を擬人化した非現実的な妖精へ変化する。クトゥルフ神話TRPGならこんなことが目の前で起きた時点でダイスを振って正気度チェックをする場面。 #サビアンシンボル物語 ではその代わりに良心の境界線をチェックする。

蠍座のひとつ前のサイン、天秤座の数え23度を見てみよう。「♎23朝を告げる鶏」は中世の動物寓話に登場する雄鶏、シャンティクリア。彼は高らかにときをつくり、朝が来たことを皆に知らせる。雄鶏が太陽を昇らせるわけではないが、雄鶏が鳴くことで多くの人々が日の出を知る。

♎23シャンティクリアは夜と朝、昨日と今日の境目をクリアに示す。♏23のウサギはみるみる妖精になり、現実と非現実の境目、物質的なからだと霊体の境目をずらしたりぼやかしたりしてしまう。これは獲物か?この光景は現実か?はっきり教えてくれる雄鶏は♏23にはいない。

「♏23獲物が変身」の対向シンボルを見てみよう。「♉23宝飾品店」には美しい宝飾品が並ぶ。宝石は掘り出されたままでは宝飾品にならない。美しく研磨され、美しい台座に嵌め込まれて初めて宝石の装身具、宝飾品になる。それは身につける人を美しく飾る額縁になる。

♉23で宝飾品(ジュエリー)となる宝石(ジュエル)は大地の精髄だ。それを使った宝飾品でさえ、身につける人を美しく飾る額縁に過ぎない。宝飾品はシャンデリアについているクリスタルのような反射材、宝飾品をつける人間はシャンデリアの蝋燭や電球のような光源。

♏23ではありふれた生き物・ウサギがレアな存在・自然の精霊に変身してしまう。実は自然の精霊が本質で、ウサギは世を忍ぶ仮の姿だったのではないか?ウサギの姿はシャンデリアのクリスタルや宝飾品とは真逆の額縁で、本質である精霊の光を凡人の目から隠してしまう。

いい喩えに思い至ったぞ、やっぱりよく寝た朝は頭が冴える。あのね、「♏23獲物が変身」というのは「セーラームーン(プリンセスセレニティ)になる月野うさぎちゃん」なの。あるいは「スーパーマンになるクラーク・ケント」なの。ウルトラマンで説明してもいいんだけれど。

ウサギつながりで月野うさぎちゃんを使って説明するけれど、このドジで泣き虫で勉強できなくて寝坊ばかりする中学生は、本人も忘れていたけれど実は月の王女様だった、というのが「美少女戦士セーラームーン」。うさぎちゃんはセレニティに「なる」ではなく「戻る」

他のセーラー戦士もみんなそうなんだけど、彼女たちはスーパーマンとかウルトラマンとかと同じ系統のスーパーヒーローなのね。一般人の姿でいるときが「変身している」であって、スーパーパワーで戦ってるときの姿が「正体」。「水戸黄門と同じ系統」でもある(小声)

「輝くものがすべて金とは限らない(シェイクスピア)」をトールキンがもじって「金はすべて輝くとは限らない」と歌った。これは「むさくるしい野伏の馳夫さん」が実は「長年行方不明の王様」であることを示す詩。♏23と同じ。本質は妖精。でも明かされるまでウサギにしか見えない。

「♏23獲物が変身」とトラインになるのは「♋23文学とは何か」。蟹座は水の活動サイン、はじめの水。その数え23度は文学について研究し、その成果を分かち合う文学会のミーティング。文学はあるときは世界や人生を描きだし、あるときは「ありえたかもしれない世界」を描きだす。

蠍座は水の固定サイン、まんなかの水。その数え23度は妖精に変身するウサギ。まるでおとぎ話のようなことが目の前で起こる。♋23で語り合われる文学作品には、♏23のような「本質が見た目通りではない者」がよく登場する。妖精ウサギは問う。君に見えているものが全てなのか?

「♏23獲物が変身」とスクエアになるのは「♌23人馬一体」。獅子座は火の固定サイン、盛夏の火。その数え23度は裸馬乗り。鞍も手綱もつけていない馬を女性騎手が身ひとつでじかに制御している。ウェイトスミス版「太陽」の札みたいに。騎手の意のままに馬は駆ける、人馬一体。

蠍座は水の固定サイン、仲秋の水。その数え23度は妖精に変身するウサギ。♌23は人間が直接裸馬を制御していた。司令はヒト、走るのはウマ。人馬一体とは言ってもそこには分業がある。完全にひとつではない。♏23のウサギと妖精はひとつだ。うさぎちゃんはセーラームーンだ。

「♏23獲物が変身」は蠍座後半(復路)第2グループ(まんなか)第3度数(サザエ)。同じ蠍座後半の第1グループ(はじめ)第3度数(サザエ)と比べてみよう。「♏18錦繍の森」は秋の森。春も夏も秋も森は森。ただ、秋には秋の特別な顔を見せる。ドラマチックに赤をさらけ出す。

蠍座後半の第1サザエ「♏23獲物が変身」は第2サザエ「♏18錦繍の森」を裏打ちし、その先に蠍座後半第3グループのサザエ(♏28)がうまれる。これは♏28のときにあらためて語ろう。♏23でも、それまで秘められていたものが現れる。妖精はウサギの別の顔、逆もまた然り。

蠍座後半(復路)第2グループ(まんなか)第3度数(サザエ)を前半(往路)から支えるのは同じ第2グループ第3度数の「♏8月を映す湖水」。湖は月とひとつになれないが、月影を宿す器、水鏡となる。静かな夜、湖が凪げば空と水面にふたつの月が輝く。

「♏23獲物が変身」は裏「♏8月を映す湖水」だ。ウサギが妖精に変わったのなら、それはそもそもただのウサギではなかったのだ。月野うさぎちゃんとプリンセス・セレニティが同一人物であるように。ウサギが妖精で妖精がウサギ。同じコインの裏表。月の光は、愛のメッセージ。

うまれたときのホロスコープで「♏23獲物が変身」はどのハウスにある?2018年11月14日の太陽はそこを照らした。穴埋め #アストロ短歌 で確認しよう

「○○○○で(五音・ハウス) 見違えるほど(蠍座) 光りだす(太陽) 獲物が変身実は妖精(♏23)」
ミラクル☆ロマンス

#サビアンシンボル物語

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