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蠍座24度「野の花を見よ」

2018年11月15日19時27分、トランジット太陽が蠍座数え24度へ入りました。蠍座数え24度のサビアンシンボルをぎゅぎゅっと五文字くらいに圧縮すると「野の花を見よ」

「♏24野の花を見よ」原文チェック。黒字が1925年ジョーンズ版「ひとりの男の話に耳を傾けるため山を降りてくる群衆」listen to は「注意深く聴く」です。聞き流すのではない。青字が1975年ルディア版「ある霊感を受けた人の行う『山上の垂訓』を聞き終えた後で群衆が家路につく」


「♏24野の花を見よ」番地チェック。蠍座後半(復路)の、5度ずつに分けた第2グループ(まんなか)の、第4度数。どの5度組でも第4度数は第3度数を裏打ちする。第3度数は第1度数と第2度数のこども。磯野家で言えば第4度数はマスオ。

「♏21反抗する兵士」が波平、テーマを提示する。兵士が軍規よりも自分の良心に従うことを選ぶ。「♏22躊躇なく狩る」がフネ、波平を裏打ちする。ためらわずカモを狙う猟師。発砲して良心が痛む/痛まないの境目はどこ?「♏23獲物が変身」がサザエ、波平とフネの間にうまれる。

「♏23獲物が変身」がサザエ、波平とフネをいいとこ取りする。金はすべて輝くとは限らない。ありふれたウサギの正体は実は妖精。そんな存在をどう扱えばいいのだ?「♏24野の花を見よ」がマスオ、サザエを裏打ちする。イエスの有名な「山上の垂訓」がここに登場する。

「山上の垂訓」は新約聖書の「マタイによる福音書」第5章・第6章・第7章と章みっつ分丸々全部に渡る長い教え。イエスの教えの有名どころはほとんどみんなこの「山上の垂訓」に含まれる。全文引用したら当番徹夜しなきゃならなくなるので各自検索してください。

♏24のサビアンシンボルを五文字くらいに圧縮するに当たり、「どこを抜き出せば『ああ山上の垂訓だなあ』と思ってもらえて、かつ、五文字くらいに圧縮しやすくて、更にこの5度組として前後の繋がりを感じてもらえるだろうか」と当番、思案いたしました。

「野の花を見よ」はマタイによる福音書第5章28-31節。少し前の25節からご紹介しよう。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。」

「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」

「今日は生えていて、明日には炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように飾ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」

「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(マタイによる福音書第5章第25-34節 新共同訳)

「山上の垂訓」は大体のところ「神は人間を愛してる!人間も神を信頼して!」「よく□□って言うけど、○○の方が本質!神的には□□ってあんま大切じゃない!」「本質とそうでないことを分けて、本質を大事にしよう!なぜなら!神は本質を見てるから!」って言っている説法。

今にもイエスが「せやろがい!」と叫んで崖からジャンプしそうなアツい説法なので、そんな感じで読んでください。「野の花を見よ」以外にも有名どころ、名調子、いっぱいあるんで。ただその、ありすぎて当番が全文引用しかねないやつなので。あの、検索、お願いします。

「君たちの天のお父ちゃんである神が見てるのはー!本質!『人間の目に大事っぽいと映ること』と神の目に映る大事な本質って結構違う!神がどこを見るか知ろう!そして頑張りどころ、目の付けどころ、心配のしどころを間違えないようにしような!」とイエスは説く。

「♏24野の花を見よ」は「♏23獲物が変身」を裏打ちする。♏23と♏24の対は♏21と♏22の対を親とする子世代。野の花や空の鳥を気にかける神は妖精ウサギも勿論気にかけてくれる。本質を見ている神にとって、野の花も小鳥も妖精ウサギもそして人間も、等しく大切であるから。

「♏24野の花を見よ」の元シンボルは、そういう「山上の垂訓」を聴きに群衆がやってきた様子、あるいは聴き終えて帰っていく様子が描写されている。「心配のしどころがおかしくないか?神様視点では何が大事かわかるか?義(正しさ)って何だ?」という説法に大勢が耳を傾ける。

この5度組の始まり、♏21では兵士がたったひとりで、自分の良心に従って命令にノーと言った。良心とは自分と共にあり、善を選ぶよう促し、悪に陥りそうなら警告を発する心のガイド。ディズニー版『ピノキオ』のジミニー・クリケット。

(ジミニー・クリケットの頭文字はジーザス・クライストと同じJC。実は「ジーザス・クライスト!ああ救い主イエス様!」と叫びたくなるときにイエス様の名を呼ぶことを憚って似た言葉に言い換えたのが「ジミニー・クリケット!」で、あの映画のコオロギさんはそこから名前をもらっているんですよ)

山の上で教えを説くジーザス(イエス)は言ってみれば「人間の姿で現れた、人間全体に対する『良心』」みたいなもの。(逆に個人の良心を「小さいジーザスが心の中にいる」と捉えることもできる)♏21では良心の声に耳を傾けたのはひとりだった。♏24では大勢が良心に耳を傾ける。

蠍座のひとつ前、天秤座の数え24度を見てみよう。「♎24突然変異」は左右2枚ずつの均衡を破って左側にもう1枚の翅が生えた蝶。その新しく加わった翅が、その蝶を他の多くの蝶とは違う存在にする。抜きん出るということ。

♏24で教えを説くイエスは群衆と共にありながら群衆から抜きん出ている。翅の1枚多い蝶(♎24)のように、妖精に変わるウサギ(♏24)のように、見た目は人間だけど並みの人間ではない。しかしイエスは人々を気にかけ、神は人々を愛していると説く。人々はイエスに耳を傾ける。

「♏24野の花を見よ」の対向シンボルを見てみよう。「♉24首級を挙げる」は馬にまたがり敵から剥ぎ取った頭皮を持つインディアンの戦士。なぜインディアンの戦士は敵の頭皮を剥いで持ち帰るか。人間のいちばんいいところ、精髄は頭と髪の毛にあると信じられていたからだ。

♉24の戦士は倒した敵のいちばんいいとこを剥ぎとって我が物にする。ヘーラクレースがライオンを倒してその皮を身にまとうのと同じ。♏24も♉24同様に「いちばんいいとこ」に注目する。しかし♉24と違い、その「いちばんいいとこ」は表面のわかりやすいところにはない。

人間の頭で考えつくような「わかりやすい『いいとこ』や『いいこと』」は表面の問題だよ、神は本質を見ているよ、と「山上の垂訓」は説く。人間から見てわかりやすい「よさ」に欠けて見える空の鳥や野の花でさえ神は気にかけているよ、まして人間のことはなおさらだよ、と。

「♏24野の花を見よ」とトラインになるのは「♋24三角関係」。蟹座は水の活動サイン、はじめの水。その数え24度は南向きの日だまりにいるひとりの女とふたりの男。♋23の文学会ミーティングでお題になりそうな光景。ふたつの対照的な選択肢の間で揺れる三角関係はドラマの基本。

蠍座は水の固定サイン、まんなかの水。その数え24度は山上の垂訓。♋24はひとりの女がふたりの男の間で揺れる古典的三角関係だった。♏24でも説法者が「人間の価値観」と「神の価値観」を並べてみせる。どちらを選ぶ?は♏24ではクリアになっている、本質を見る方、神の方だ。

「♏24野の花を見よ」とスクエアになるのは「♌24面壁九年」。獅子座は火の固定サイン、盛夏の火。その数え24度は服はボロボロ髪ボサボサの男。彼は壁に向かって9年も座り続けた達磨大師のような修行者。本質の追求のため、本質以外は全部捨てている。服なんかどうでもいい。

蠍座は水の固定サイン、仲秋の水。その数え24度は山上の垂訓と、それに耳を傾ける人々。面壁九年の♌24も、山上の垂訓の♏24も、本質に目を向けている。それ以外は重要ではないとする。♌24はひとりで本質を探す途上にあり、♏24は本質を見ることを人々へ説いている点が異なる。

「♏24野の花を見よ」は蠍座後半(復路)第2グループ(まんなか)第4度数(マスオ)。同じ蠍座後半の第1グループ(はじめ)第4度数と比べてみよう。「♏19オウム返し」は人間のことばを聴いて、そっくり真似るオウム。オウムが何を言い出すかは周囲の人間のことば次第。

♏19ではオウムが人間のことばを聴いて真似をしていたが、♏24は人々が山上の垂訓を聴いている。♏24ではオウムが人々で人間がイエスだ。イエスは説く。本質とそうでない物事を分けなさい。本質を見ようとしなさい。なぜなら神は本質の方を見ているのだから。

蠍座後半第2グループ第4度数「♏24野の花を見よ」を蠍座前半(往路)から裏打ちするのは同じ第2グループ第4度数の「♏9文明病の治療」。歯医者は蝕まれてしまった歯を削り、詰物や義歯へ置き換える。♏24では蝕まれてしまった物事の見かたを削り、別の見かたへ置き換える。

うまれたときのホロスコープで「♏24野の花を見よ」はどのハウスにある?2018年11月15日の太陽はそこを照らした。穴埋め #アストロ短歌 で確認しよう

「○○○○で(五音・ハウス) 根本的に(蠍座) 生きていく(太陽) 野の花を見よ本質を見よ(♏24)」

#サビアンシンボル物語

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