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占いは「放課後」のものである方がいい

2014年3月7日のツイートまとめ。10年前からずっと思っていること

あらゆる占いは、それがどんなものであれ「学校では教えてくれないこと(占いを教えることが専門の学校は別)」「公共放送であるNHKのニュースでは取り上げないこと(ひとの興味を惹いて物を買わせてナンボの民放は別、というか、どうしようもない)」として存在した方がいいと私は思っている。

占いは「課外のもの」「休み時間のもの」であった方がいい。占星術的に言うと、占いは海王星や天王星のものだから。学校や公共放送は、土星の世界。混ぜるな危険。学校が子供に教え、公共放送が視聴者に伝えるべきは土星的な冷静さと論理性、科学的な事実。

学校や公共放送は、土星的な冷静さと論理性を教え伝える立場に徹した上で、休み時間・放課後のこと(占いや内心の自由や宗教や、ファンタジーも含まれる海王星の世界)には口をさし挟まない。そういうのがいいと思う。占いは放課後のものであった方がいい。

【10年後の2024年に当番が思うこと】
これもいつかどこかの時点でツイートしたことなんだけど、元ツイートを探し出せないのであらためて今の当番の語彙で書きます。

占い師、あるいは当番のように鑑定はしないけれど占い関連の業務でお金をいただいている者は、たとえ確定申告をして納税している社会の一員・個人事業主であったとしても、ある一面ではどうしてもやっぱり「土星の埒外にある民」「放課後の民」です。つまりまあ、ある意味「カタギではない」。

当番は勤め人をしながら当番業務をしていることもあって、ひと昔くらい前までは「占い関係者はカタギではない、土星の埒外にいる民」のような見方に半分納得、半分カチンときていました。だって占い稼業をしていたって「この社会という土星」の範囲内でお金を稼いで法を守って、まともな占い師は帳簿だってつけて確定申告して納税してるまともな市民なんですよ(まともじゃない占い師はひょっとして帳簿を誤魔化しているかもしれなくても、です)。そしてその残りでごはん食べて生活しているのに「土星の埒外」「カタギじゃない」はひどい偏見なのではないかと思っていたんです。

今は「土星の埒外にいること」「ある一面では『カタギではない』こと」について、当番なりに心の交通整理がついたので、もうカチンとくることはありません。

いわゆる狭義の占い師――依頼主の相談事を聴いて、占いを経て何らかの助言を返してお金をいただくひとのところへは、色々な相談事や悩みごとを抱えた依頼主がやってくる。中には心身の深刻な健康問題や対人関係の問題、お金の貸し借りのトラブル、労働環境でのトラブル、暴力の話だって含まれている。「それはお医者さんの管轄では」「それは弁護士案件では」「労働基準監督署へGOですねえ」「おまわりさーん!!」「どうにか福祉に繋がることは……?」って、「この社会という土星」の一員でもあるようなまともな占い師なら思います。

そして占い師は「占い師」であって、「お医者さん」でも「弁護士」でも「労働基準監督署員」でもないのです。「警察」でもなければ「ソーシャルワーカー」でもない。

上に挙げた職のひとたちと占い師、どこがどう違うかと言えば「占い師もクライアントの相談には乗れるけれど、占い師はクライアントの代理人・代弁者として何らかの改善を公的に要求できる立場ではない」というところが違います。

たとえばクライアントがブラック企業に勤務していてパワハラを受けていて精神的にボロボロで、更に近しい誰かから身体的暴力を受けている上にお金を毟られていた場合、お医者さんなら診断書が書けます。弁護士なら内容証明を送れるし訴訟では代理人として発言ができます。通報があれば警察はクライアントを殴ったヤツを逮捕できるし、労働基準監督署はブラック企業へ乗り込んでいける。ソーシャルワーカーは今後の生活について具体的なプランを立てて様々な支援へ繋いでくれる。

占い師、そのどれもできません。「やる能力」の問題ではなく「やる資格が公的にないので、そういうことをやれない立場」です。相談を聞き、占いをし、何か助言を返すことができたとしても。

主治医や弁護士だったらクライアントのブラックな職場に電話をして「もしもし、私、Aさんの主治医/顧問弁護士のBですがAさんが御社のパワハラで体調を崩し、勤務継続が不可能な状態です。追って書面を送りますね」と話すことができる。でも、たとえば当番が占い師だとして勤務先に電話をかけて「もしもし、私、Aさんの顧問占い師の当番ですが」とやることはできない。たとえクライアントに頼まれても、できない。正確には「たとえやっても医師・弁護士・警察・労基署と違って占い師ではまともに取り合ってはもらえない」です。

「公的な力」がない。「公的な資格」がない。「社会的信用」が、(医師・弁護士・警察・労基署に比べて)ない。それがつまりは、「占い師は(ある意味)土星の埒外にいる」「占い師は(ある意味)カタギではない」ということの中身なんだな――ということに、当番はある時点でたどりつき、そして心の整理がついたわけです。

なるほど確かに占い師には土星力が足りない(土星力に溢れる医師・弁護士・警察・労基署と比べて)。宮廷に陰陽寮があって、陰陽師が国家公務員だった平安時代には陰陽師に土星力(社会的強制力)はあったかもしれないけれど、2024年の占い師は国家公務員ではない。

だから、相談を聴き占いをする以上の支援がクライアントに必要だったり、クライアントの公的な代弁者としてトラブル発生源とクライアントとの間に立ってくれるような土星力(社会的信用と社会的強制力)に溢れた誰かが必要だったりした場合には、占い師は自分よりも「代弁者になれるようなカタギの資格持ち」へ繋がるようクライアントへ促す必要がある。なぜなら占い師はそういうカタギの仕事と比べて、土星力(カタギ性)が弱いから。

最初の「占いは『放課後』のもの」へ話を戻せば。こどもたちが放課後に一喜一憂しながら占いの本をめくり、カードを並べたとしても、現実的なトラブルへの対処は占いの本やカードではなく、現実的な対処力を持つ現実のおとな――保護者や教師やスクールカウンセラーを頼った方がいい、という話です。

現実のおとなたちが土星、占いは土星の埒外のもの。土星(社会)に土星としての仕事をしっかりやってもらうためにも、占いは、占い師は(少なくとも21世紀の日本では)「土星ではない」ことに自覚的でありたいと当番は思っています。放課後の民ですよ、当番たちは。

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