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私の信じる Tango が Barrio のタンゴな理由

夜明けから起き出して、日本の DJ Tomo さんが主催するオンラインミロンガで、彼の選曲する Tango 達に、その音に、その流れが与えてくれる幸福感に満たされながら今この時間を過ごさせて頂いている。

100年以上の歴史があるのだ。
誰も「Tango とは」の答えを導き出せない。でも、それぞれの中に信じるタンゴがある。

私の信じるtangoは Barrio(下町)のタンゴ。
日本にいる頃憧れていた、美しくてエレガントな世界とは大きくかけ離れている。(そのtangoも、勿論好きだし、できるコトなら、あの頃に戻りたいとも思う。)

※正しく言えば、Barrio = 下町ではないし、優雅でエレガントな Barrio もある訳だけど、いわゆるブエノス・アイレスで Tango が愛されてるあの街の感じ。San Telmo とか、Boedo とか。

私の師匠の一人、Lidia Borda はバリバリのペロニスタ(政治的な事なので詳しく説明する術を未だ持ちませんが)だ。
常に民衆に寄り添い、貧しい人、苦しんでいる人に心を砕く姿を、レッスンで話す中で垣間見るようになった。

私の愛する、師匠を越えた存在になった Sandra Luna は、どの政治的思想にもつかないものの、「不条理と闘う」といった徹底した哲学を持っている。

だからこそ、彼女達の歌うタンゴは胸を打つ。

貧しい底辺の世界から生まれた Tango、黄金期こそ華やかだっただろうが、常に民衆の大半は貧しかったり、ささやかな暮らしを守るために闘ってきた。

その中で唯一、自分が誰で、どんな仕事をしていて、どんな生まれ育ちなのかを忘れさせてくれるのが Tango だったのではと思う。
私がそうだったように。

人生の、どうしようもない悲しみや辛さを、美しい音楽とともに流すことができるのが、そういったことを忘れ、ただただ友人達との再会を喜び、音楽を楽しみ、踊りながら愛情を分かち合うのが Milonga だと思う。
(少なくとも私にとっては)

海外のタンゴ界は、ブエノスアイレスから見ていると、国の経済格差そのままに、とても華やかに映った。今は皆、同じ苦境に立たされているかもしれない。

この街の片隅で、暖かい色合いの外灯にひっそりと照らされる夜に、隠れ家のように現れる秘密の場所のような会場に響くタンゴの音色は、今後、生き延びることができるだろうか。

今、日本の Tango を愛する皆と繋がりながら、それを信じたいと思う。
こんなに広い地球の反対側でさえ、その美しさにこんなに感動する人達がいるのだ。

久しぶりに会えた Tango 好きの友人達と話すことができる、
こうやってオンラインで繋がっている先もまた、私の Barrio なのだ。

Vamos, Argentina! Vamos los tangueros!! Viva el tango!!!



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