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ドイツ コロナ禍の始まり
これまで記事を読んでいただいた方、フォローやスキしていただいた方ありがとうございます。大変感謝しております。
前回は少し暗めなテーマの話だったので、今回はドイツで人の優しさに触れた時の話を書きたいと思います。
最近、また新型コロナが急増してきている、というニュースを見ました。第11派とのことですが、コロナが流行り出した当初、私たちはまだベルリンにいました。
2020年の初め、まだベルリンでは感染者は公表されておらず、周りの友達もそんなに心配している人はいませんでした。私は日本のニュースを見ていたのと、自分自身が気管支喘息持ちなので人一倍心配していました。
そして、3月についにベルリンでも感染者が出てしまいました。娘は、お友達のお誕生日会に招待されていました。迷いましたが、断るのも気が引けて予定通り参加させました。
しかし、3月中旬からベルリンの学校も幼稚園も休校になると連絡がありました。ロックダウンの始まりです。また家庭保育の日々が始まりました。
さらに、同居家族以外の人と会える人数の制限が出されたり、レストランも閉鎖、子供の公園も封鎖されてしまいました。大きな公園でのピクニックも禁止されました。
休日に公園に散歩に行った際、疲れて少しだけ休んでいたら、見回りの警察官に
「長い滞在は許可されていないの」
と注意されてしまいました。
その当時、日常生活が不安に溢れていて、お友達と会うのも控えていました。しかし、同じマンションのドイツ人のお友達が連絡をくれて、子供と一緒に外に行こうと誘ってくれました。
最初は、その前の週にも他の子の誘いを断っていたので、本当に心苦しかったのですが、同じように断りました。しかし、その子供のお父さんからも連絡があり、ほとんど他の子と会ってないし距離を保たないといけないことも分かってるから心配しなくていいよ、と言われました。
そこで夫にも相談し、そのお友達と一緒に出掛けることにしました。
ほぼ1ヶ月ぶりに家族以外の友人と外出をして、
コロナ前まで当たり前にできていたことが、また普通にできたこと
それが嬉しかったです。すごく心が軽くなりました。
また、コロナに対して不安に思っていることも友人に話しました。
私「私と夫が万が一コロナで病院に入院なんてことになったら、娘はどうしよう」
友人「そうなったら私たちが預かるよ」
私「でも私たちが感染してるってことは、娘も感染してる可能性があるってことだよ」
友人「だから、どうしたの?」
最後の一言、自分が逆の立場だったら言えるかな、と思いました。その当時コロナはまだ未知の病気で重症化するリスクも高いものでした。
海外で暮らしていて、非常事態が起こった、他に頼れる家族や親戚が一緒にいるわけでもない、そんな状況で彼女の言葉は本当に心の支えとなりました。
今でも思い出すと心が温まるのを感じます。
それから、また少しずつ他のお友達家族と遊べるようになったり、幼稚園にも登園できたりと、コロナ禍でも友人との交流は続けることができました。
振り返ってみると、コロナが流行してから、付き合い程度の人間関係がなくなり、本当に仲の良いお友達との絆が深くなったと感じました。
私たちを外に連れ出してくれた友人には、今でも本当に感謝しています。
彼女の心の大きさに触れ、自分自身も周りの人が困っていたら、さっと手を差し伸べられる人間でありたいと思います。
また、他のエピソードも書きたいと思います。
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