教科書を開けない君へ

教科書を開けない君へ学校は私にとって牢獄そのものだった。
小中高と私立の一貫校に通っていた私は学年最下位の劣等生として過ごした。
6歳当時、一見利発そうに見えていた私をうっかり入学させた母校にも同情を禁じ得ない。
幼稚園まではわりとしっかり者だったはずなのに、小学校に入学した私は何故だか、授業中に教科書を開けなくて、筆箱も家に忘れてきて、宿題なんてたった一度も出せない落ちこぼれだった。机の中はぐしゃぐしゃだったし、落し物箱は私の私物入れと化していた。
反省文なんて書かされすぎて何回なんて覚えていない。ただ、反省していないことに対する反省の言葉がなかなか出てこなくていつまでも埋まらない原稿用紙をぼーっと眺めていたことだけを覚えている。
褒められたことなど、ただの一度もなかった。入学して嬉しかった記憶といえば、学芸会で衣装の可愛い端役のひよこになれたことだけだ。
それでも何故か4年生になるまで一日も休まずに学校に通い、小学校4年生の冬、私はぷつりと糸が切れるように学校にいけなくなった。親に引きずられるように連れて行かれた校門の前で盛大に嘔吐した。私を構成する全ての細胞がその門をくぐることを拒んでいた。いじめとか、体調不良とか、周りの大人が求めるような大した理由はなかった。ただ、学校にいると生きている価値も生きている甲斐もないような気がしていた。
あの頃、10歳の私は毎日とても怒っていて「いるも地獄、やめるも地獄なんだ。」と泣いて、母を責めた。1:1:8の虚栄と愚鈍と愛する我が子の人生に幸いあれと願う母親らしいひたむきな願いからこの校舎だけは見栄えのする牢獄に幼子を放り込んでしまった母を責めるほか、私には何もすることがなかった。私は長いこと何もできない子だと思い込まされてきたが、今は、そんなことはないと自信を持って言える。名前も忘れた先生に宿題も出せない人間に将来、何ができるんだと言われたが、私は本を出せたぞと大声で叫んでやる。
11年前の私はどこにでもいる劣等生だった。今もどこかの小学校や中学校にはたくさんの私がいると思う。
会社に行きたくないサラリーマンで満員電車が溢れているように、学校に行きたくない子供がいることは全然おかしくない。現在、不登校の小・中学生は12万人いるという。およそ東京都の小金井市の人口と同じくらいだ。小金井市出身だからといって驚かれることがないように不登校だってありきたりな時間の過ごし方だと思う。
学校に行きたくなければ行かなければいい。家の中でゆっくりしていたければ、そうすればいい。でも、学校に行かない自分を恥じて、外へ出て遊んだり、自分のしたいことをできなくなるのはあまりに勿体無い。私は、あんな学校にいってやるものかと啖呵を切りながら、心のうちで学校にいけない自分を誰よりも憎み、責めていた。何故、私は皆と同じことができないのか。外出することも怖かった。街行く人が平日の昼間にいるべき場所にいない子供を侮蔑の目で見てくる気がして恐ろしかった。11年経って一番後悔しているのは、不登校の時期に心から解放されて遊べなかったことだ。だから、これから不登校になる子供たちには思う存分、不登校を楽しんでほしい。
不登校はある種の「眠」だと思う。蚕はある一定の月日を過ごすと「眠」と呼ばれる脱皮の期間に入る。昨日まで滑らかに白く輝いていた蚕の肌は水分を失ってしわしわと茶色くなって、まるで時間が止まっているかのように蚕達は動きを止める。死んでいるように見えるけど、蚕の成長にはとても大事な期間なのだ。同じ虫でも眠の期間を必要としないものもいる。学校に行ける子と行けない子の差もそんなものだと思う。そこに優劣は存在しない。ただ、成長の過程で休む時間が必要な子供がいることを知っておく必要はある。眠に入った蚕を無理やり起こそうとすればそのまま本当に死んでしまう。こんなことを書いておいて私もいつか「周りの大人」になったら、不安でいっぱいになってしまうかもしれない。でも、学校に行っている状態が必ずしも「元気な子供」とは限らないのだ。眠に入った蚕をつつき回すことは自分が安心するためだけの独善的な行為に過ぎない。だから、もし、あなたの周りに不登校の子供がいたら、そっと見守って、望まれたらその子がしたいことを手伝ってあげてほしい。
もし、私が昔に戻れたら、11年前、不登校だった私に教えてあげたい。今、私は一度も教科書を机の上に置かないまま、慶應義塾大学に入学し、難しい論文を幾つも読んでそれでも楽しく大好きだった昆虫の研究をしていることを。学年で唯一九九のテストに受からなかった私はQさまというクイズ番組で優勝し、学力王になることを。宿題は出せなかった私だけど、夢だった本を2冊も出して、重版出来と叫んだことを。今だって辛いことはたくさんあるけれど、手帳は信じられないくらい素敵な予定で埋まっている。
私の机の上には教科書も筆箱もなかったけれど、夢だけは溢れていた。あと、11年するとそれが少しずつ叶っていくんだよ。だから、どうか、その小さな体で死にたいなんて気持ちを抱えないで。

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