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容姿コンプ握りしめてミスターコンに出て考えたこと

noteでまだ言及していなかったのですが、現在、自分の所属キャンパスのミスター慶應SFCに出場しています。ミスター慶應SFCNo.2篠原かをりなのでよかったら覗いていってください(https://campusone.jp/contests/6/candidates)

ミスター慶應SFCに出場して、ミスコンやミスターコンについて少し詳しくなった。
女性として産まれながらミスターコンに出場している理由に関してはいつか書くかもしれないし、書かないかもしれない。私には順番に物事を進めるという機能が搭載されていない。
ミスコン・ミスターコンには私が勝手に抱いていたイメージとは異なり、過去の垢抜けない自分にコンプレックスを感じている人が多くいることを知った。
大体「ミス(ミスター)で一番垢抜けたのは自分だ」とか「昔はこう言われていたけれど」という趣旨の文言でビフォーアフターの写真が並べられるのが定番だ。見る人はそれに驚いたり勇気をもらったり、モチベーションをあげることもあると思う。もちろん、この世に生をうけた時から今の瞬間までまばゆい美しさを放ち続けている人も存在している。
でも、私には彼ら彼女らが過去の姿として否定的にあげている写真のどれを見てもただただ愛らしい若者だと思うのだ。
ある人は今より地味だったり、ある人は太っていたりする。
私も昔の姿から大きく変わったタイプの人間だと思う。ぽっちゃりくらいの体型から12kg痩せたし、自分に似合うと思う服やメイク、髪型を見つけられたと思う。
そんなところで張り合っても仕方ないのだけれど、私により大きく変容した人は今のところいないだろうと思っている。
何故なら、私は25歳だから。与えられていたプレイ時間が大抵のミス・ミスターの2倍はある。ただのやり込んだ古参プレイヤーだ。

頑張ってなりたい姿を目指すことはケチのつけようもなく立派なことである。成果はいくらでも見せびらかしてほしい。あなたが戦った年月に惜しみない拍手で祝福させて欲しい。

でも、少し年の離れたミスターである私からお節介かもしれないけれど、伝えさせて欲しいことがある。あなたは批難される容姿だった瞬間なんて一度もないのだと。
ミスターコンに出場しながら、今も昔も容姿コンプレックスを酷く拗らせた、まだ一番弱いところにいる人間が偉そうに言えたことじゃないなあと思いながら何度でも言いたい。
誰かの容姿を揶揄するような言葉にのみ醜さが宿っていて、それを浴びせられたからと言って自分の容姿をよくないと思う必要はないのだ。頭上から落ちるカラスの糞のようなそれをうっかり浴びてしまっただけだと思って欲しい。洗えば落ちる。

容姿に自信のなかった人が垢抜けて容姿端麗な人間の集まる天下一武闘会みたいなところに出ることができたというのは1つの希望のストーリーである。
私は正直諸々の事情肩書きなどなどを加味して容姿で選ばれた人間ではないと思うのでこの話題に関しては曖昧な笑みでさらっと流していきたい。

今までのnoteにも容姿コンプレックスとの戦いの日々を綴っているが、私はパラノイアともいうような容姿コンプレックスを抱えている。少し長く生きて、容姿が理想とされるものから離れていることよりも、それを揶揄する発言の方がよほど見苦しいものであることを理性では知っている。今の自分が昔の自分よりはなんかのテストで得点を取れる見た目であることもわかっている。
でも、昔の自分の容姿すらも否定されるものであってはいけないと思う。
このことについて考えるとかつて、私に似ていると言われショックを受けた人を「篠原かをりさんを整形してめちゃくちゃ小顔にして目も変えたら似ているかも?つまり似てないってことだよ!」と慰めていた人を思い出して今でも胸がギュッとなる。
容姿に対する揶揄が前よりずっと少なくなった今でも自分の容姿に対する否定的な気持ちがガラス片のように突き刺さり眠れずに泣き叫ぶ夜がある。
優しい言葉の方がずっとたくさんもらっているのに嫌な言葉だけをなんども反芻してしまう。たくさんあるイチゴ味やレモン味のガムを噛めばいいのに、わざわざ部屋の片隅からグリーンピース味やパクチー味のガムを探し出して苦いと泣いているようなものである。
論理的であることにかけてはちょっとした自信を持っているくせにこればかりは全く自分でも理解ができない。
因みにミスターコンの宣材写真の撮影の前日には、急に眩い容姿の人々に囲まれて写真を撮ることが恐れ多くなり、知人に私は醜いか聞いて回った。それもかつて私の容姿を揶揄した人限定で。あまりに非合理的な行いである。江戸時代なら妖怪として描かれていたと思う。口裂け女の面倒臭いバージョンである。

私は今も昔も自分の容姿を認められていない。でも、ミスターコンに出ることにした。
背も高くないし、一重で三白眼で頬骨が高くて鼻先が丸く広がっていて、顔は左右対称じゃなくて今美しいとされているバランスから豪快にスリップしているけれど。
たかだかそれくらいのことでカッコ良くないなんて決まってたまるかよって思っている。
太っていてダサい眼鏡をかけて歯並びの悪かった過去の私だって不正解にしてたまるかよって。

私の顔は人目を惹きつけたり喜ばせたりするものではないけれど、違うかっこよさを目指して行くことはできると信じている。
生まれ持った容姿が悪いからただ弁えてピエロに徹することが唯一の道だと信じていた過去から自力で抜け出して配られたカードが弱くても今必死にかっこ良くあろうとする私がかっこよさにたどり着けない訳がないと信じている。

まだ過去現在を含めた自分を心底信じることすら全然実現できていないのだけれど、私はミスターコンだけでなく、この先の人生も通して、かっこよさや美しさや可愛さに正解がないことを伝えたいと思っている。
この先もいくらでも容姿を揶揄されることはあると思う。でも少なくとも私はそんなことを言う醜さを持ち合わせない美しさを持っている。

人は自分がこう在りたいと思う姿を目指す権利がある。
でも、いくつかの正解に当てはまらないからといって批判を受け入れる義務もない。

例えば、太っていたり、服装が垢抜けなかったりしても否定されたり馬鹿にされたりするべきではないのだ。

冴えない自分の歩いてきた道を踏みしめながら分不相応って書かれている看板蹴り飛ばして最高にかっこいい私になっていきたい。

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