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"Black lives matter"を私ごとしてとらえた日。

先日、ダンサーの友達と昨今の"Black lives matter"の話から、
【cultural appropriatin:文化の盗用】
についての話題になった。

そもそも、ジョージ・フロイド氏の死後、激化する抗議運動について
95%は平和的抗議活動だが、残りの5%が暴徒化しているという。コロナからようやく立ち上がろうとしていた街は、破壊行為によって経済活動の打撃はかり知れない。自分なりにyoutube動画などで現地の人々の声を聞いて、新聞を読んで、アメリカ社会におけるレイシズム(=人種主義)の歴史をさらっていた。

ただ、当初、この問題について、
当事者で痛みのわからぬものが何も言うことはできないと発言を控えていたし、それ以上でも以下でもないと思っていた。

が、しかし、友人に言われ、はっとしたことがある。

Funk,JAZZ,BLUES,HipHop,Break,DISCO,WAACK,etc...
(私目線ですが)自分をカタチづくるものの多くがブラックカルチャーだったとするならば、
何も知らずに、例えばそれでお金を稼いでいたとしたら、もはや、cultural appropriatinと同義ではないだろうか。

恥ずかしながら
まったくそうだなと、ぐぅの音もでなかった。
そういえば、私の好きなものって全部そうじゃん、、
少なくとも、ダンスや音楽を愛するクリエイターの一人として、この問題に関してはもう少し自分事として知るべきだと反省した。
でも、盗用ってちょっと言いすぎじゃない‥??

、、そうじゃないな、これくらいの不和が生じているのは紛れもない事実で、受け止めて解決していくべき問題なのだと理解した。

そして、少し前だけど、
エンタメを例に、文化の盗用批判とその背景にある人種問題についての言及したこんな記事があった。

文末にはこうある。

"多様性時代の豊かで新しい文化を創り出す方法"

唯一、答えがあるとすれば、他者の文化への「敬意」を示すことだ。アリアナ・グランデは、日本文化は「喜びをもたらしてくれる」もので、自分には日本文化への「パッション(情熱)」があると語り、日本語のレッスンを受けていた。ブルーノ・マーズは自身の人種と音楽ジャンルの関係について寡黙だが、ブラック・ミュージックへの並並ならぬ敬意があることは、彼の音楽を聴けば十分過ぎるほどに分かる。
 文化の盗用を防ぐには、他者の文化をリスペクトし、真摯に、同時に喜びを持ってクリエイトすること。間違っても手軽なビジネスとして利用しないこと。特に日本における大マジョリティである日本人は、自身だけでは気付きにくいマイノリティの心情を、マイノリティと直接の交流を持って知ること。
 いずれも簡単なことではない。だが、これが文化の盗用を理解し、かつ異なる文化を融合させ、 多様性時代の豊かで新しい文化を創り出す方法なのだ。

まったくのその通りで、多様社会の中では、より想像力を働かせ、互いのリスペクトの上に、でも恐れずに新たなものを創造していく重要性を再認識する一幕だった。

最後になりましたが、世界のダンス界に大きな影響をもたらした、waackというジャンルのオリジネーターであるtyrone proctor氏がお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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