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ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

どうやらアメリカでめっちゃ大ヒットしているらしいのだ。そんな報を受けて約2カ月前に見たこの映画を今さらながらレビューしてみようと思う。と書いてからさらに1カ月経ってしまった。

ストーリーは行方不明になった弟ルイージを、兄マリオが探しに行くという、まあ王道な展開。個人的にビックリしたのはマリオ一家ってアメリカのNYに住んでたのね。イタリアじゃなかったのね。で、普通ににアメリカのNYに住んでたマリオブラザーズがひょんな事から、クッパとピーチ姫のいる異世界?に迷い込んでしまい、しかもその異世界で兄弟が別れ別れになってしまって、さあマリオどーする?!という冒頭。そこでいろいろあってルイージはクッパ手先に囚われ、一人になったマリオはピノキオ王国にたどり着く。キノピオ王国でマリオはピーチ姫と出会うんだけど、ピーチはピーチでキルギスの誘拐婚さながらのかっさらい婚を狙うクッパに手を焼いている状態。ルイージを助けに行きたいというマリオにピーチ姫が手を貸してくれて、一緒にクッパを倒しに行こうというあらすじ。

見終わって一番最初に思った感想、もう最初からピーチ姫だけで良かったんじゃない?ってくらいとにかくピーチ姫が強い。全部彼女に任せたら良かったんではないかと、そんな結論に行き着いてしまうんだが、それじゃあマリオブラザーズの話にならないので、なんとかマリオも一生懸命弟ルイージのために頑張っている。最終的にはメデタシメデタシはい大団円という結末なんだが、私からすると、既存の価値観に挑戦しているというか、やっぱりポリコレに影響されているなって思った。女性を男性より強く描いたり、逆に男性であるマリオブラザーズを気弱に描いたり。

しかしだ。日本人である私がポリコレに影響されていると感じたこの映画がアメリカではポリコレフリーの映画として受け取られているらしい。ポリコレフリーとはポリコレから解放されたとかポリコレ表現がないとかそういう意味。ポリコレの過剰な押し付けがないこの映画をアメリカ人はたいそう安心して見ているのだ。

この映画はは登場人物がゲーム内に出てくるキャラに限定しているため、キャラの何%が黒人でなければならないとか、LGBTQやプラスサイズの人を積極的に使わなければならない、と言ったアメリカで映画を制作する時のルールや同調圧力とは無縁で、それがポリコレに日々気を使い、気疲れしたアメリカ人に癒しを与えている。それくらい昨今のアメリカのポリコレがいかに行き過ぎている状態なのかが分かる。

外の人間がそれを見て異常と思うことは良くあるが、内側にいる人間も気を使って生き、心の端で疲れ、秘かに異常だと思っている状態であることを、図らずも表面化させてしまった映画だったのだろうか。

実際この映画のメインキャラに黒人が少ないと非難しているアメリカの人権団体もあるようだ。Nintendoがこの圧に折れてゲームのメインキャラにゲイやら黒人やらを入れたりすることが近い未来に訪れるかもしれない。この映画はアメリカの歴史問題に端を発した、行き過ぎたポリコレの波に飲み込まれる前の最後の作品なのかもしれない。

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