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【小説】陸と海と空と闇 (第3話)

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第2章 あおい(1)

 翌朝、雨は上がっていた。
入院患者の一人、十四歳のあおいは暇だったので、ラウンジで本を読んでいた。
葵にとってはごく普通の行動だったが、本を読むその姿を見た看護師たちはひそひそと噂話を始めた。
「嵐の前の静けさ、ってやつ……」

おとなしく本を読んでいた葵を誰もが目撃した、その二十分後。
葵は本に飽きて、自動販売機横のリサイクルボックスの蓋を開けた。
飲み終わったアルミ缶を捨てるボックスだ。
そこからアルミ缶を何本も出し、テーブルの上に縦に積み、タワーを作り始めた。
一つ、二つ、三つ……
近くのベンチに座っていた患者の山口さんが葵の手元をじっと見ながら、自分の両耳をふさぐように押さえる。
四つ、五つ、六つ、七つ……

ラウンジから大きな金属音がいくつも響いた。
なにごとかと、看護師や事務職員たちがラウンジに集まってきた。
リハビリをしていたリクも、理学療法士とともに、リハビリルームから顔を出してラウンジ方向を見た。

アルミ缶のタワーが崩れ、ラウンジ中に散らばって転がっていた。
「何?どうしたの!葵ちゃん」
葵の担当看護師の川田が駆け寄ってくる。
アルミ缶が転がっていて、葵がけらけら笑っている。
山口さんがおびえた顔をしていた。
子ども用マットで遊んでいた、小児科に入院中の恵麻えまちゃんが母親にしがみついて大声で泣いている。それを見て、葵は喜んで笑っていた。

「葵ちゃん!みんな怖がってるから、ああいうのはやめようよ。さあ、帰りますよ」
川田が笑い続ける葵をうながし、山口さんたちに頭を下げながらラウンジを出ていった。他の看護師や事務職員たちがアルミ缶を拾ってボックスに戻し、こぼれたジュースなどを拭いている。

「もう、まったく葵ちゃんは……」
川田は葵の肩を抱えるようにして歩きながら病室に連れて行った。
歩いているうちに、つかんだ肩が熱くなっていくのがわかった。
ベッドに寝かせて体温を測るとすでに三十八度。
興奮して熱を出す、いつものパターンだ。

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 この後のスケジュールが、川田の頭の中には、はっきり浮かんでいた。
数日たって熱が下がると、葵はパティスリー大江屋の白桃ゼリーを食べたがる。川田が両親に差し入れをお願いするのだが、なかなか電話がつながらない。留守電に入れても返信がない。二人ともお忙しいとのことだ。

少し体力が回復してきた葵は、白桃ゼリーが届かないので、泣き叫んだり、ベッドテーブルの上のマグカップやティッシュボックスなどを投げ飛ばしたりして怒る。

毎度のことなのだから、ご両親は、白桃ゼリーを買い置きして病室の冷蔵庫に入れるとか、葵が勝手に食べると困るならナースステーションに預けるとか、考えてほしいと川田は思う。もちろん口には出さないが。

そのうちやっと白桃ゼリーが届き、やがて葵は平熱に戻る。
川田はアルミ缶タワー事件の報告書を提出するよう、看護師長の大和やまとから命じられ、慣れない文書作成に苦労する。
大和に何度か修正を命じられて、やっと提出したその報告書に院長印が押されるころ、きっと葵はまた何かやらかしてくれるのだ。

(先輩方が担当を降りたくなるわけだ……)と川田は思う。
でも新人の自分には、担当を降りて葵を押し付ける、もとい引き継いでもらうような後輩はいないのだ。

(つづく)

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