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なぜ手放そうと思ったか(年末から起きたこと)

よく、鬱にならなかったものだ。

と書いて、思い出した。
昔、ある日、従業員と話ができなくなった時があった。

お客様は普通にできるのに、事務所に行くと、
気分が悪くなり、動悸と震えが出てくるようになった。

初めて、心療内科というところを受診した。
なんという診断名だったか忘れたが、
2週間、仕事を休めと言われ、思い切って、従業員にカミングアウトし
2週間、会社に行かなかったことがある。

それも乗り越え、私はさらに強くなった。
いろんな出来事があった。
いいことも嫌なことも、すべては私が経験しなければいけなかったこと
だったのだと思うようにしている。

じっさい、何の後悔もない。
息子に、やめるという話をしたとき、
小さいころ、私がいなくて寂しい思いをさせたのでないかという
私からの質問に

地域のみんなに育ててもらったと思っている。
そんなことは、なかった。

と、本当の気持ちはわからないけれど
そういってくれる優しい子に育ってくれたことも
私の生き方が間違っていなかったと思える。

去年の秋から、給料体系を変えるために
あるコンサルタントの先生に出会わせてもらった。
その先生と相談しながら、やっと、年末に出来上がった
給料体系を従業員一人一人に説明していく時間を作った。
それも、相当のストレスではあった。

その時に、ものすごく反発する従業員がいた。
今までよりも、上がるというのに。
もっと上げてもらえるものだと思っていた。

という内容の、厳しい言葉に、愕然とした。

12月27日。私は友達のとても大切なものを無くした。
なぜ、それがなくなったのか、いまだに出てこないけれど
どれだけ考えても、なくなるシチュエーションがない。
本当に、不思議な、なくなり方で、まるで自分から姿を消したように
どこかえ消えてしまった。
年末の忙しさと、従業員から伝わってくるひりひりした感じと、
積もり積もったストレスに、情緒不安定になっていたのか
悲しくて、申し訳なさに泣いた。大人なのに。
違う次元を行ったり来たりしていたのではないかと思っている。

そして、12月31日から正月休みに入った。

その日から、私は悶々と、悩んだ。
従業員の気持ちを考えた。

そうだよね。頑張ってくれてるもんね。
いろいろと納得いかないよね。

と、自分に言い聞かせた。その子のために、
また、給料体系を考えた。

1月1日、あの大きな地震が起きた。
私のところも揺れた。避難勧告も出た。
母のそわそわに、いらいらし、心乱された。
知り合いの方が何人か、被災され、その地域を取りまとめる役職に
なっている私のもとに、
いろんな関係ない人からの問い合わせがあり
それも、私の心に大きな影響を与えた。

もし、私が被災者の立場だったら、
私はもう、頑張れない。従業員に保証なんてできない。
また一から、作り上げることなんてできない。

でも、また、天災は来るだろう。必ず。
そんなことになったら、もう、一貫の終わりだ。

正月休みが明け、給料に文句を言ってきた従業員に
「あなたの気持ちをわかってあげられなくてごめんね」と
謝ることから始まった。そしてさらに新しく考えた、給料体系を説明し、
何とかなっとくさせ、私はというと嫌な気持ちだった。

1月初めの毎年恒例の市を上げての
大きなイベントが終わり、私たちは、本来ならやっと、ほっとできるときなのに
今年もまた、クレームが来た。

そのクレームに関することも大きな決め手にはなった。

やらかした従業員のために、いつものように謝る。
でも、今年は、何もかもがひどかった。
もう、この子たちのために、頑張れないと思った。
このまま続けたら、私は、確実に、死ぬ。
とはっきりと思った瞬間があった。

家に帰り、食事をしているとき心より先に、口が勝手に
「私、会社、やめる。」
と母に告げていた。

決めたら私はとにかく行動が早い。
自分でも驚くほどに、サクサクと頭が働き、
やるべきことをどんどんピックアップした。

そんなときに、また、あるものを見てしまった。
というよりも、見せられたんだと思う。





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