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オレンジ色のその後

いつかのオレンジ色の、その後日談。

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4次会を経て渋谷駅までの帰り道だった。
年の瀬、終電前の繁華街は浮かれていて、それは忘年会を大満喫した我々も御多分に洩れずで、帰り道までもなお好き勝手に騒ぎ倒して、何がおかしいのかわからないくらい全部おかしくて楽しくて、そんな緩んだ空気に、つい魔が刺した。魔が刺して、隣を歩くその人に「わたしって何色?」と聞いてみた。その人は改めて私を眺め「むらさきだね」と教えてくれた。

むらさき。

知り合いにムラサキさんという方がいて、ムラサキは紫ではなく村崎なのだが、背が高く、うす顔の美人で、おっとり小さめの声で喋る。か弱そうに見えて実は意外と力持ちで、それも含めて「むらさき」なお方だった。紫とは、そういう色。

そういう色を、私がもらってしまった。
パワフルでフレンドリーでエネルギッシュ。大きな声でペラペラ喋る。いつだってオレンジ色のエネルギーを放散している、そんな私が。

油断していた。
と言ったら、それは嘘になる。


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ここまで書いて、もう、勘が良ければバレているだろうが、これは言ってしまえば浮気の話だ。
浮気という言葉はあまりにスキャンダラスなのでびっくりされるかもしれないが、これは確かに浮気の話なのだ。

まず「わたしって何色?」とは「あなたにとってわたしはどういう存在なの?」と言い換えられる、まずもって思わせぶりな問いかけ。
さらにこれは、答えの色次第で、脈アリか脈ナシかも分かる、試金石の質問なのだ。

そして、紫。
まずい、これは「脈アリ」だ。
なんてったって、紫は、最も高貴で、複雑で、ミステリアスで、アンニュイで、そして、オレンジの補色だ。
底に隠した紫に、いつの間にやら気付かれてしまっていたのだ。

紫をわたしに授けたその人が、はっきり惚れた腫れただのを言った訳ではない。
「付き合ってる人、いるの?」だとか、机の下で手を繋ぐだとか、そんなこともしない。
そのような野暮でシンプルな言動はもう明らかに始まっている見え透いた恋愛に対し確信犯的に判を押す分かりきった確認作業でしかなく、恋愛というものはこのような、例えば「あなたの紫色に気付いている」と告げるようなごく僅かな機微であり、それを察知することで始まってしまうのだ。

むらさきだちたるくもの、ほそくたなびきたる。


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オレンジの愉快で晴やかで楽しい日々を、わたしはとても好いている。
よく日が差してオレンジに輝くあたたかな原っぱを、わたしは手放したくはない。
その原っぱに紫は入り込めない。
複雑で、ミステリアスで、毒々しくて、捉えどころのない紫色のアメーバが流れ込んでしまったら、そこは安全地帯ではなくなる。たちまち彩度を失って生命の実らない荒野になる。それが恐ろしくってたまらないので、わたしはいつもオレンジに輝く。底にある他の色を隠してさらに燦々と輝く。

オレンジ色は、パワフルなようでその実とても脆い。なんたって、命を燃やして発光しているのだから、燃料が尽きてしまえば炎は消えてしまう。
なのでいつも、二週間かけて燃料を補充し、充分な燃料を携え意気揚々と支度をして、会いに行く。ほどよくあたたかくあかるく炎が保たれるよう、燃料を燃やし尽くして底が見えてしまわないよう、細心の注意を払いつつ、つつがなくその日を終える。電車に乗り込み、ほっとため息をつき、ひとりの家へ帰ってゆく。オレンジ色の安全運転。

穏やかで楽しい日々は、安全運転によって守られる。世界は誘惑と混乱に満ちていて、うっかりしていると惑わされる。つい気を取られたが最後、後に待つのは木っ端微塵だ。前方に「むらさきだちたるくも」を認めたならば、煙に巻かれないように安全な道へとなめらかに方向転換する。引き続き安全運転を続ける。
愛しいオレンジ色の日々を守るために、安全運転をし続けること。続けることに意味があるのだ。こうしてオレンジ色は今日も光る。


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夕焼けの空を並んで眺めてる普通のことを幸せと呼ぶ

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