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日本人が英語をほめられるとき

答えにくい質問をいただきました

昨日の記事に、ベタさんから質問をいただきました

ベタさん質問


・・さすがピンポイントでスルドイ・・
(私も、仕事がらみで知り合う機会のあった旧ソ連圏や旧ペルシャ出身の人々が、恐らくロシア語・現地語・英語・その他、プラス、ビジネス日本語を操るマルチリンガルだったことに驚愕した覚えがあります。)

はぐらかしたい、「逃げたい欲」「波風立てたくない欲」をぐっとこらえつつ、ガチでお答えします。

ひとことで言うと
Qバタコさんの英国での英語は実はネイティブから尊敬されていたり?
A(自分で言うのはものすごく抵抗ありますが)
 おっしゃる通り、そういう側面あります。
   ※一方で、すでに「英語ネイティブとして育ちつつある子供たちに
    英語を訂正されたり、言い負けたりしてる」現実もある。
 耳から入った学び方ではなく、中学1年生から「文字で」学習しはじめた世代。結果、「口語表現が少なく端正」な英語になりがち。
(裏目に出ると「カタい」「青臭い」となります)
  
バタコは10代で当時の人気イギリス俳優だったヒュー・グラントに憧れ「オクスフォード文学専攻」な彼の英語を意識。必然的に (実際の出自とは無関係に) なんとなくアッパークラスっぽくしゃべる傾向に・・

初めて会った人には「どこでどうやってそれ勉強したの」って言われることも。


ネイティブに間違えられることは決してない

でも。英語に限らず、だと思いますが
「ネイティブが、非ネイティブの習得した言葉を聞いて
『うわ~全然わからない、ネイティブだと思った』」
と100%だまされるということはほぼ、無い。でしょう。


鹿児島出身のバタコが、薩摩を舞台にしたドラマや映画をみてて、
非・鹿児島県人の俳優さんがしゃべる鹿児島弁
「ぜんっぜん説得力ないな」と (生意気にも) 思ったものでした。

薩摩藩はことばが独特で、よそ者が入ってくると一発で分かるため
スパイ活動ができない土地と言われたとか。

「ネイティブに間違えられる」というのは基本的に無理芸。
かなりハードル高いと思います。

ネイティブをあきらめて「ソーシャルクライマー」?

その一方で、ベタさんの質問である
現地人に「尊敬?される」英語を話す
というのは、「やればできる」芸です。

たとえば、地方出身者が首都圏に進学・就職・転勤などした末
「どこの地方出身か全く察することのできない」程度の
「標準語」を身に着けることは可能だと思います。

■(日本) 地方出身の、全国放送アナウンサー
■(イギリス) 田舎出身者または海外育ちの人が
 Oxford大学やCambridge大学を経て
 エリートアクセントでエリート街道を生きる
■出身地や階級が異なる男性と結婚する・政略結婚させられる「よそ者」
 の女性が
 時とともに完全に「その世界」の言葉を話すようになる、などなど、
世界中で、千年前から今この瞬間にも起きている現象でしょう。

有名どころでは「マイフェアレディ」という映画も有ります。

「標準語」というのは露出が高く、お手本にする人物が身近にも
マスメディアにもたくさん居て、研究材料が豊富ですし
「上昇・キャリア志向」「立身出世」というスパイスもあって
上達が早いのでしょう。

だから、珍しいことじゃないと思っています。

バタコが中学・高校くらいの頃に大流行した
リンボウ先生 こと 林望著「イギリスはおいしい」1991年
通説として「イギリスの食べ物はまずい」だったのをくつがえしたのは
代々の学者家系ご出身で日本文学に造詣の深いリンボウ先生。
外国語を話していてもにじみ出るなにかがあるのでしょう。
そもそも「書誌学者としてアーネストサトウの蔵書目録を作る」
という学術調査研究目的で渡英 (1984 - 87年) しているため
イギリスで出会うヒト、紹介される人々も軒並み「学のあるヒトたち」
かつリンボウ先生にいろんな気づきをくれたりするのです。

 ※リンボウ先生は「日本文学のエキスパートとしてイギリス人を助ける」立場です。これが「イギリス人や他国出身者をライバルとして、イギリスで教授などの職に就くことを目的に渡英」だったらまた全く違う反応だったのかも・・くわばらくわばら

どの視点から見るかでその国の印象は変わると思う

どの視点から見るか (+誰のフィルタを通してみるか)、でその国の印象って変わるでしょう。
林望さんの視点から見たイギリスは、教養のある人々が
つつましくも「おいしい」「うつくしい」ステキ生活を送る様子。
(そしてそこに惚れたのがバタコのイギリスかぶれの一つの原点。他に児童文学の影響も有ります。そして児童文学も「ええとこの坊ちゃん嬢ちゃんの暮らし」が下敷きになっています。くまのプーさんしかり、秘密の花園しかり) 

一時、大流行したマークス寿子さんが
(イギリス大手やや高級スーパー「マークスアンドスペンサー」の
御曹司であるマークス氏と結婚したことで貴族の一員となった例)
著書の中でイギリスをほめまくっているのは
イギリスの「お金持ちだけに開かれている住みよい世界」を見た結果
では、と思っています。

例「イギリス貴族と結婚した私」1986「大人の国イギリスとこどもの国日本」1992「ゆとりの国イギリスと成金の国日本」1993
wwパワーワード満載タイトル・・

パンクロックな世界に憧れてイギリスに来て、どっぷりそちらの人たちと仲良くなると、全く違った見え方になるでしょう。日本人が書いたその分野の本もいくつか拝読したことがあります。

日本について「体験ルポルタージュ本」を書くとしたら・・
■ドヤ街のフィールドワーク
(ホームレス・日雇い労働で食いつないでる人たちに密着取材)
■(昔の) 日本赤軍の潜入ルポ
■「●●道家元」のご家庭にホームステイ
■殺人事件に遭ったイギリス人女性の軌跡を追う
              ブラックマンさん、ホーカーさん
■新興宗教団体に潜入ルポ
■バブル期日本の思い出
 等、切り口を変えることで

「日本ってずいぶん振れ幅が大きい国なのね」という印象になるかも。

(世界的に見れば、他の国で見られるほどのえげつない貧富の差はないと思ってるけど)

というわけで、バタコは日本もイギリスも
(住んだことないけど他の国も) いろいろな側面を持ってるんだろな
と思っています。そういうものだろうと。
良いところも好きになれないところも入り混じってるのが世界。

適当にいいとこどりして生きています

私自身は、HSPの嗅覚と一種のずる賢さで「それなりに住みやすい」環境を見つけ、その中でのほほんと暮らしております。(日本が恋しいことも多々あり)

・・偉そうなことは言えません。
人をけしかけたり導いたりすることも一切できません。

そんな「独断と偏見に満ちたレポートです、あなたはどう思いますか」
ってスタンスでいつも書いてます。
そして、違う環境で生きてる方の考えてることを読んで「へぇー、ほぉ~」とうなったりするのも好きです。


あなたはどんなところでどんな思いで暮らしてらっしゃるのでしょう?

最後まで読んでいただいてありがとうございます!