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霊柩車を見かけたら「おつかれさまでした。これからもあなたの愛する人たちを見守ってください」と言おうと思う

          ※トップ画像はフリー素材ですがドイツにて撮影のようです。出典

先週、ジョーさんの葬儀に出席してきました。

   ※ジョーさんについてはコチラのマガジンにまとめています。
   ※ご近所住まい70代の友人でアメリカ出身、
    イギリス人夫と50年以上添い遂げ、妻・母・祖母として生きた方。
    7月ごろまでピンピンしていつもお茶してたのに
    急に末期がん診断され11月末にホスピスで亡くなりました。
    バタコにとっては
   「これがソウルメイトという存在なのかもしれない」というくらい
    打てば響く会話が成立するとても大切な方でした。

イギリスで葬儀に出たのは2回目です。
いろいろなことを感じ考えたので、忘れないうちにそちらについても書いておきたいと思いますが・・ 今日は、霊柩車を見かけたハナシ。


さっき見かけた霊柩車。地元のお馴染み?

さっき、運転中に、霊柩車を見かけました。
おそらくジョーさんのひつぎを運んだのとおなじものです。

ジョーさんの葬儀は、地元の葬儀社が執り行いました。
恐らく、創業者である先代 (昨年亡くなった) の後を継いで
息子・甥・いとこなどが運営している、典型的な、
地域密着・家族経営・零細企業なのかな~と想像。
      ※女性社員は受付だけ?
       社員のうち葬儀の場で見かけたのは男性のみでした。


ちなみに、バタコがイギリスで出席した葬儀は2回とも、この葬儀社の取り扱いです。


バタコは、イギリスに住んで15年目に入り
その間、ロンドンで賃貸・会社員をしていたこともありますが
圧倒的に「いなか」暮らしが長いです。

コドモ達は地元の公立小学校に通い
このままいけば、ハイスクール、そして就職または大学進学するのかな?
その間バタコ自身も、(コドモの) 習い事、PTA、勤め先、いろんな場所で人間関係ができていきつつ

(ちょっとまだ先のことはわかりませんが)
このままこの地であと30年くらい生きて、そして
家族や知人をひとり見送り、ふたり見送り・・

もしかしたら、そうやって最後はこの葬儀社が、バタコのお葬式をしてくれるのかもしれないですよね。




人生も折り返し地点を過ぎつつあるいま
そんなことをふと思うのでした。



霊柩車を見かけたら、親しみを込めてあいさつしたい

日本で過ごした、コドモ時代、そして若い頃。
霊柩車を見かけると、
「縁起の悪いもの見ちゃった」とでもいうような、
どこかザワっとザラっとする感覚を持っていたような気がします。

それは、お墓であったり、葬儀場であったり、
「死」の匂いのするもの全般に関しての反応と言っていいのかもしれません。

初期反応は「恐怖」。「見たくない」だったと思うのです。


ですが、ちょうど先週、まさに同じ曜日の同じ時刻に、大切な方の葬儀に出た身でもあり、

もう、死は「未知のもの。考えたくないことがら」ではない

と、感じました。

(先のことはわかりませんから) 自分も思いがけない近いうちに、あの霊柩車に乗っているのかもしれないわけです。

いつか必ず行く道。戦いの後に赴く安らぎの場所。


そう思ったときに、出てきた言葉が

「おつかれさまでした。
これからは愛する人を見守ってあげてくださいね」

でした。

(※バタコは、特定の宗教を信じているわけではないですが、
 死後の世界はあると思っている/思いたいヒトです。)

おつかれさまでした「ハイさようなら」ではなくて
「死後の世界から、あなたはきっと、あなたの愛する人を見守ってくださってるんですよね。お勤めご苦労様でございます。
私も、コチラの用が済んだら行きますから」
そんな気持ち。





妥協・堕落の産物か、処世術・知恵か

子供の頃、ノストラダムスの大予言とか、
ある日、母の寝顔を見ていて唐突に
「いつかはこのひともしぬんだ」と思ったときの底知れぬ恐怖はありありとおぼえていますが

40年以上生きてきて、大事な人を見送る経験もして、身に付いた
(にんげんの根源的恐怖である「死」を「いなす」)「処世術」の一種として
死への親和的・友好的感情を覚えるようになったのだ、という言い方もできるかもしれません。


●ヒトはおぎゃあと生まれて、だんだんピュアさを失いながら老いて死ぬ、
という見方もできるし
●生々しい感情に揺さぶられ翻弄されつつ生きていたコドモが、
平常心を保つための「生きる知恵」を身に付けた
とも言えるし


・・そのあたりの評価はお任せしたいと思います・・あなたはどう思いますか?


最後まで読んでいただいてありがとうございます!