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「執着、それを引き起こした罪」


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 この泉が中心にある何とも清々しい町には、それを中心に様々な店が立ち並んでいる。花屋にレストラン、一風変わって薬屋...ともかく、泉に行けば何かある。そんな町には少し珍しい機織りの店があった。それも木製の機織りを使って手作業で織るのである。反物を織るということは、着物や帯を仕立てる前段階を担う。華やかな町、発展した町に古き良き反物屋がある。それだけで人々はなんともいえない風情を感じたのである。その上、織られる反物はこれでもかというほどに美しい。
 その反物で仕立て上げられた着物はというと、例えば黒に映える鶴の羽。桃色のかわいらしい花が散っている、まさにあらゆる草木が咲き誇る春を想像させるもの、そしてその春の到来を告げる梅の花。これはさりげなくも白い単に赤い梅の花ならば、格式高くもさりげない、でも目を引く寒紅梅を想像させる。なんとも古い、よく言えば老舗らしい店から溢れる華やかなものたち。そしてその古い建物自身さえも、町なみにエッセンスを加えるようでまた人の心を狂わせる。もちろんあまりにも刺さる、惚れ惚れしてしまう人も少なくなかった。その中でも、一部の者たちは心底惹かれてしまう。ああなんと罪なひと...。

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 もちろん、老舗という訳だから何代も弟子たちが継いでいく。その弟子がまた師匠になってできた弟子を育てその弟子がまた誰かの師匠となり...と技術を伝えて今に至るのである。
 そして現在。この店を仕切っているのは四代目だ。名は西川公。「にしかわ こう」と読む。女性だった。艶々の黒髪をつげの櫛で梳かし、そして玉結びにして蘇芳の細い紙で括っていく。その所作ひとつひとつが流れる川のようでまた美しい。
 作業場に篭もる仕事ゆえ、肌は白く華奢に見える。しかし手を見ると、意外とがっちりしていて、彼女の長年積み重ねてきた機織りの歴史が一瞬で駆け巡る。切れ長の目で瞳は髪と同じ黒。化粧はせず、指で朱を唇に塗る程度であった。人前にめったに姿を表さず、ふらりと黄昏時に月を見たり、朝焼けに目を細めたりしている。その姿を見ることができた者は幸運だ。仕事から離れて少し柔らかい表情をした彼女。簡単な梅の反物で仕立てた着物を帯で軽く締めている。そして見ることが出来た幸運の持ち主の中から次の弟子を選びとるのである。それが彼女のやり方であった。

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 ある弟子も同様の経緯を経て弟子入りすることになった。夜、月光をヴェールのように纏ってほおっと息をつく公を見て、というか惚けていたその時、公とばちりと目が合った。流し目は艶やかで、興奮と喜び、恍惚な感情の渦に巻き込まれていた。あの時の胸の高まりは想像を絶するものがあったのだ。畏れさえ感じさせる。もはや自然に対する畏怖に似た感情さえ沸き起こった。そうして凛とした声で、あなたは、弟子になる気はありますかと問われ、泣きながら応えたのである。
 彼も彼女の噂は知っていた。しかし目の当たりにすると、目を合わせられた、鈴より響く声。佇む背筋の伸びた姿勢、それでも儚ささえ感じとってしまいそうな姿に恋に落ちかけるほどだった。こんな方があの古い店で反物を織っていらっしゃる。高貴な方とさえ錯覚する公が、古い店に住んでいるということも、そしてこのひとの手で織られた反物を纏う人々の様子が浮かんでなんともいえない苦しみと驚きに塗れてしまった。
 そんな彼の名は栃。「とち」である。弟子として心を入れ替えるケジメとして、二つ目の名を持ったのである。それが「栃」であった。

 初めは、公の仕事について行くのに精一杯。公に見られようものなら足が震えてペダルが踏めない。簡単な綾すら織れなかった。なんてったって憧れの人の前だ。しかもとんでもない世界を見てきたであろう技術が、教えられる言葉ひとつひとつから感じ取られる。栃がのめり込むには充分であった。公を失望させたくない。継がせたいと思わせることができたら感無量だが、今の栃にはありえないこと。正直なところ、店よりも、公の魅惑に取り憑かれてしまったようなものだ。

3
 そしてついに、栃が公に心酔する出来事が起こる。今までも心酔していたようなものだが、技術者としての公に不純な思いをさせたくないとの一心から、機を降り続けていた。
それをがらりと変え、ついに栃は公に落ちた。

 それはある朝のことだ。早朝。朝焼けもまだ姿を見せないほどの暗さ。その中で今日も稽古に励んでいた栃は障子の隙間から公の姿が見えた。
 公は、窓を開けて左足は伸ばしたまま、右足を折ってラフな雰囲気でもたれて、窓の外を眺めていた。そして煙管(きせる)を持って吹かしていたのである。はぁとため息をつく彼女はまさに悲哀と憂いを帯びた姫。
 窓枠に肘をかけ、姿勢は崩れているものの、様に成りすぎて絵画のようだった。公の部屋だけがスローモーションのようで、公の所作ひとつひとつがゆらりと見えた。煙管を弄ぶ指先。足を少し動かした。そして切れ長の目が、流し目でこちらを見た。栃は見てはいけないものを見てしまったような感覚で陶酔していたが、公にばれてしまったらしい。どうしようもなくただ口を空けていると、公がちょいちょいと煙管を揺らした。こっちへ来いといいたげだ。
栃は部屋に入る。

「栃、あなたは熱心なひとですね。」

 名指しで褒められて頭がショートする。尊敬する師匠でありながら、心酔しかかっている対象の公がそう言ったのだ。

「そう、言っていただけて、幸せです。」
「ふふ、そんなにかしこまらなくてもいいのよ。」
「いえ...すみません、休息を取られている間にお邪魔してしまって。」
「いいの。さみしかったの。ねえ、わたし、そんなに嫌われているのかしら。」

とんでもない誤解だ。

「公様、あなたはあまりにも素敵な人だ。雲の上の方、高嶺の花。その上です。もうお声がけすることすら躊躇ってしまう。」

「そうなの。あなたはわたしを放っておいて他の人に楽しく話しているから。すこし淋しくて。」

こんな弱気な公を栃は見たことがなかった。
そして、栃にねだるような仕草をする。

「ねえ、もしわたしがこの仕事から離れると言ったらどうする。」

「はっ。」

そんなの、そんなの考えたくない。

「あなたはわたしがいなくなることを淋しく思ってくれるのかしら。」

「当たり前です。あなたほどの腕前を持っていながら凛として、芯を持っている、今、この時だってあなたはひとを、あ、わたしを魅了する。」

「実は求婚されているの。この町の地主のご子息から。でも、淋しくて。」

 許せなかった。そんなの、地主の息子だかなんだか知らないが、まだまだ現役の公を職から降ろすだなんて町のことを何も分かっていない。公の言う言葉だけで奴の人となりが感じ取られた。そして乱暴なものと確信した。

「公さま。」

「迷っているの。」

 そうしているうちに、今日の稽古が始まる時間になってしまって会話は打ち切りだ。
 しかし栃には許せなかった。あんな奴に公さまを差し出すものか。栃は、公ほどの技術者を機織りから遠ざけることに怒っていた、のだが、そう思いこんでいるだけで実際はただの嫉妬心だった。僕がもっと成長していれば、僕がもっと強い権力をもっていたら。公さまを、ここから離したくない。もはや取り繕えなくなっていることに栃は気づかない。愚かな罪人であった。

4
 それ以降、栃と公は少しずつ、早朝に会話することが増えた。

「機織りはたのしいの。師匠に教え込まれてもう幾年が過ぎたのでしょう。師匠も死んでしまったわ。師匠の形見はこの機織りの技術だけ。」

「淋しいの。あなた、わたしがお願いしたらなんとかしてくれるの。」

「はいします。なんでも。領主の息子を...」

「それ以上は言ってはいけない。そう育てた覚えはないの。でも。そう。なんでもしてくれるのね。」「ふふ、楽しみです。」

「公さま、あなたは、私があなたに執着してしまっていることに気づいてらっしゃる。それをわかった上で、私を利用しようとされている。」

「さぁ、どうなのかしら。」

「でも、そんなあなたがわたしは好きだ。その人を誘惑する仕草。誘導も素敵だ。あなたは、自分は技術しかないと言いながら、ご自身の魅力をわかっていらっしゃる。
罪なひと。」

そう、思い返せば公の仕草はあまりにも心を掴んだ。目の前で淋しさを見せ、嫌われてないか不安がり、そして少しの嫉妬心を差し込む。煙管を揺らして人を迎え入れるなんて自分の魅惑を分かってないとできない仕草だ。少しずつ引き込んで利用する、それこそ公の真の姿でもあった。

「でも、わたしの思いだけは見誤ったのではないですか。もう、あなたを離しません。これからは僕が主人となります。」

公は驚いていた。

「まあ、そこまで想ってくださって...。」

 そうして眠りについた公は、目を覚ましたときには手を縛られていた。口には猿轡。部屋の隅に楔が打ち込まれていて、そこから鎖で繋がれている。これでは飼い犬だ。

「公さま。いまからあなたの足を少しだけ傷つけます。ご容赦を。」

 とか言いながら公は口を封じられているためうんともすんともいえない。足にズキっと痛みが走り少し呻く。

「あなたは今日から死にます。死んだ人になります。そして、人に悲しまれながら葬儀をされることになるでしょう。」
「でもご安心ください。私はあなたを死なせません。あなたはきっちり、この機織りの畳の部屋で生き続けるのです。」

「あ、そうそう、食事の際はちゃんとお好きなトーストを持ってきます。でも駄目ですよ。栄養バランスを考えなくては。」

「ではこれで。私はいまからこの公さまの血を山道に撒いて、偽装して参ります。」

「少しは待てますね。公さまなら。」

「あ、そうそう、これは言っておかなければ。僕をこうさせたのは公様、あなたですよ。人を弄ぶのも程々にしないといけませんね。まあ今更釘を刺したところでもう手遅れですけど。」

 そして成り行きとして栃が反物屋を引き継ぐことになった。初めはお前に公と同じ働きができるものかと懐疑的だった町の者たちも、栃の腕前がぐんぐん上がっていくのを見て少し尊敬しつたあった。当然だ。死んだことにされ監禁され続ける公に、常に今現在も機織りを習っているのだから。
 結局は、公自身にも、公の技術にも、その全てに執着していた。栃はそこで、公の全てをこれから知っていく。織り方も、人を利用する蠱惑的な仕草も。  結局は公に見出され信じて教えられた機織りを捨てることなどできない。それが巡り巡ってこうさせたのだ。栃は今でも、公のことを罪なひと、と呼んでしまう。

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