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手を抜いても気は抜かない(一般公開)

人というのは日々様々なことを感じます。感じたことをインプットし、それをアウトプットするというのは、本当に大切です。メンバーシップを対象に1000文字から1500文字の記事を毎日発信しています。興味を持たれた方は、是非ともメンバーになっていただけると嬉しいです。


歳を取ってくればくるほど 若い年代の子達と話すことは少なくなります。もちろん機会はまったくないということではありませんが、ごく限られた機会しかなくなるというのも事実です。若い子と話す機会がないということは、自分の考え方を伝えるという機会が少なくなるということです。 ですので、


定期的に若い子と話す機会がある私は幸せではないのかなと思っています。



もちろん私は人格者でもありませんし、教育者でもありません。そんな私が定期的に教壇に立って良いのかということを考えるときも多いのですが、若い子たちと話ができるというのは、私自身が本当に学びの場を与えてくださっていると思っているので、とても感謝を持って教壇に立たせて頂いております。もちろん私が教壇に立つ意味は、


教育することではないと思っています。


以前授業の様子を書かせていただきましたが、私自身が特に大掛かりな準備をして行うのではなく、学生さんが主体になれるような進行をしています。はたから見ると、見る人によっては手抜きをしていると思う人もいるかも知れません。しかし私には本業があり、その合間をみて授業をさせてもらっています。その他にも個人的に勉強もしており、大学でも勉強をしていますので、


一つのことに時間を割けないのは事実としてあります。



なのでぶっちゃけを言ってしまえば、手抜きをしているのは事実です。そしてここが大事な部分ですが、手抜きが明らかにわかってしまう内容で授業を続けているとするならば、私はとっくにその任を解かれているはずです。もちろん他を抜いているのは事実です。ですが授業として成立しているのは、とても大切なことである、


気は抜いていないということです。


手を抜いたとしても、気は抜いていないので、もし足りない部分があったとしても、そこで補うことが出来ます。気を張るということは、何が来ても返しが出来る準備をしておくことであって、それがきちんと出来ると、例え手を抜いたとしてもきちんと成立することが出来ます。
私が若い子たちに伝えたいのは、



何事においても気を抜かないということです。



常に全力でやれるのが理想です。ですが常に全力でやり続けるというのは、いつか垂れてくると思います。ですので手を抜けるところは抜くことも必要です。手を抜いてそして気を抜いた時、その結果被る影響というのは、人の信用も失う行為に発展します。ですがどんな時でも気を抜かないという姿勢を見せ続けることが、


今の私の役目ではないのかなと思っています。

サポートしていただいたものは、全て天国に旅立った愛犬(怪獣)のお供物に使わさせていただきます。