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自己紹介

SNSで情報収集の必要に迫られて、SNSばかりやっていると長文を書く能力がどんどんおとろえていってしまうので、なんとか書きたいと思っている。

noteにおいては、まず自己紹介をするというのが定番だそうだが、自己紹介というのはいったいなにを書けばいいものか、好きなものについて書く、自分の性格について書く、自分の考えについて書く、などさまざまに考えられる。

自己とはなんなのか。
おそらく一人の人間として規定されている、身体を伴った一人の人格を有する私が乗っている乗り物を指しているのだろうから、それについての紹介をするべきなんだろうが、もうこうやって少し客観的に分析的に書くと思考実験じみた鼻につく感じが出てきて、こういうのは誰に受けるのかというと哲学とか思想とかそういうものが好きな人に受けるのだろうが、そういう人に受けても、そういう人たちとは仲良くなれないだろうと思ってしまう。

思想実験というのは、その場に座したり、横になっていたり、立っていたり、しながら暇つぶしに、あるいは、頭の中に浮かんでしまう考えをひたすらに処理する、対応する必要性に迫られてするものであり、つまり、これをしている時、私の身体はほぼ静止している。

「学思行、相まって良となす」と儒学者が言ったように、学んで、考えて、行動するという一連の流れにこそ価値があるとするならば、考えてばかりのこの時間になんの意味があるのははっきり言って不明で、よくわからないんだけども、同じようなことを考えて困っている人の役には立つのかもしれない。

そして、一応書いておくと、儒学者の言葉を引用したからと言って、儒学者が好きなわけではない。

自己紹介というテーマで、自己を紹介しない、というのは、どうなのか?
そもそも自己紹介とはどのような目的でされるのか。
自分について知ってもらう、親しみを持ってもらう、仲良くなる、などが考えられるが、私は人と仲良くなるのが、親しくなるのが滅法苦手だった。また、結局のところ、親しくなる、ということがどういうことなのか、わからないでいる。そのような思いがあるからなのか、親しくなるために自己紹介、自己開示をしたい、という気持ちも薄れてしまい、日々、自己開示したくなさに苦しんでいる。自分を知って欲しい、という気持ちは、相手に自分を投げ出せるくらいにはある程度の漠然としたなんの根拠もない期待が必要で、そのような期待を、私はもはや失っている。

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