見出し画像

実はそんなこと望んでいないのかも

多くの人が、「年収1000万円こえたい」「高いクルマを乗り回したい」「早く結婚したい」といった、あらゆる欲望をもつ。そういった欲望というものは、果たして自分の内側から湧き出る欲望なのだろうか?というお話をする。

まず、例に挙げた「年収1000万円こえたい」「高いクルマを乗り回したい」「早く結婚したい」という欲望は、まちがいなく自分の外側の何かから形づくられたものだと考えられる。

「年収」「クルマ」「結婚」というものは、現代社会に偶然存在する概念やモノである。歴史上、存在しなかった時代が大半を占めている。そして、存在しなかった時代には、そういった類いの欲望は考えられもしなかった。

米を通貨としていた時代においては、「年収」とか「円」という言葉も概念も存在していなかったので、「年収」に関する欲望が存在することはありえなかった。同じようなことは「クルマ」「結婚」にもいえる。

だから、始めに例に挙げた欲望たちは、自分の外側の何かによって形づくられたものであると言える。

そして、例に挙げたもの以外にも、多くの欲望というのは実は外側の何かによって形づくられている。

そういった欲望をもつこと自体は、良いことでも悪いことでもなく、自然なことである。ただ、それら欲望たちは、じぶんの中から湧き出るのではない。いくつかの選択肢から選ぶことによって、選んだものを、"じふんがほしいもの"として認識したものたちなのである。

就職活動なんかはその典型的な例で、まず自分が雇われる側という前提で話がはじまり、そのあと、だれかが勝手に形つくった"業界"という何個かの選択肢のなかから、1番いいとおもうものを選び、その中からすでに存在する会社を選ぶ。

就職活動というものは、じぶんの意志100%で選んでいるようで、実は、外側から作られた"欲望"の候補たちから選ぶものである。

そういったことに気がつくことができれば、もはや既に存在する選択肢から選ぶ必要はなく、むしろ自分で選択肢を増やしたり作ったりするという"選択"も考えられるようになる。また、そういった'選択"も検討した上で、既にある選択肢から選ぶという"選択"もできる。

そして、どの"選択"が良いかどうかなんていうのは、他のだれにもわからない。正解なんて存在しないから。

だから、だれかに相談なんかして解決することではない。"キャリアプランナー"なんてものは、ある種のパフォーマーでしかない。もし、キャリアプランナーといわれる人に相談する機会があるなら、「このキャリアプランナーは、ぼく(わたし)という人物を使ってどんな物語を語るのだろうか?」という感じで楽しむのがいいと思う。

とにかく、社会から縛りつけられる"鎖"みたいなものをじぶんの身体から取ることが大事だとおもう。すでにある"枠"なんて、存在するように見えるだけで実際は"飾り絵"でしかない。

つまり、「すでにある選択肢から選ばないといけない」という信仰を捨てることで初めて、じぶんの人生をじぶんで選ぶということができる。



里芋です。