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八月納涼歌舞伎 第3部「東海道中膝栗毛 弥次喜多流離譚」感想

八月納涼歌舞伎 第3部「東海道中膝栗毛 弥次喜多流離譚」
2022.08.12

日本最高峰の"身内ネタ"を観た。
歌舞伎初心者の私でも分かりやすい内容で、踏み込みやすかった。

・事前準備
本公演の構成である杉原邦生さんから事前に楽しみ方を(恐らくちょこっと)教えてもらい、それに加えて自身でも「東海道中膝栗毛」の意味だったり成り立ちを勉強した。
当日、劇場にてチラシをいただき開演まで見ていたが、また新たに(今回の)弥次喜多のあらすじが記載されており、期待とワクワクが増していった。

・俊寛のパロディ
邦生さんの楽しみ方①として「俊寛」のパロディから始まる。これは恐らく歌舞伎の演目を知っている人、もしくは私のような事前に教えてもらった人にしか分からないだろう。それもおり、とても楽しむことができた。俊寛の悲しい物語とは裏腹にとても喜劇的に構成されており、そのギャップがツボだった。(最近、ジョニーデップがDV問題で話題ということのご時世的ギャップもあった)

・シーンの転換
第一部の海のシーンから次のシーンの転換が思ったより長く、かといって繋ぎもなく若干現実に戻された感じだった。その後は花道近くやや幕の前で物語が繋がれており集中途切れることなく見れた。

・身内ネタ
物語が展開していくにつれ、血縁を用いた"身内ネタ"がぽんぽん出てきた。これは邦生さんから教えていただいた楽しみ方②で、弥次⇔オリビア/梵太郎、喜多⇔お夏/政之助の血縁関係を事前に教えていただいており、正直知らなかった事だったことで、また物語には関係ないだろうと思ったが全くそんなことはなかった。公演序盤を除いて、全体に張り巡らされていた。
ふと、一歩引いて考えると、この国の芸能の歴史において歌舞伎の存在は必ず通る。先日、"興業"(主に松竹)の成り立ちの本を読む機会があり、歌舞伎(座)の存在は自分の人生と同じ秤で測れないほど大きな存在ということは知っていた。それもあり、歴史的知名度も加味し、日本最高峰の"身内ネタ"を観ることができたと思う。家族商店店長(寿猿さん)の鳩の精霊のシーンもいわば"願い"という感じでとてもアツいものを感じた。終盤、オークション終わりのシーンも言葉による"歌舞伎"への願い、このご時世との共存についてアツく述べていて、自分ですらアツいものを感じたが、周りの方々は特に胸熱くしていたのだろう。(いつもこんな感じなのか..? そうであれば私は初めてだったためアツかった。)

・聞き取れなかった..
ところどころ言い回しが難しく、そもそも声量的に(特に猿之助さんが)聞き取れない場面があり、前者は私の知識・経験・リスニング力不足によるものだが、後者は周りの方よりも長けていたかと思うので周りの人が不安になった。(これは一等席を使用したり、視聴覚サポート機能をすると、解消できるのか..?)
ただ、前回見た「コクーン歌舞伎」よりかは聞きとれたので、物語への理解力も遥かに高まった。

・女形の方が綺麗
遠目からでも完成された妖艶さ。持参した双眼鏡でみるとなお綺麗だった。特にオリビア(染五郎さん)はずば抜けて綺麗だった。もはやエロさする感じた。お夏(團子さん)は声がとても綺麗だった。グリーンバナナ夫人のおつきの方の腕(体型も)とても女性的でなにかと感動していた。

・内容
邦生さんに教えていただいた楽しみ方を踏まえて、とても楽しめた。
冒頭のサワガニが去った後の弥次の登場シーンはよく分からなくても拍手してしまう感じが"おきまり感"があってとてもかっこよく、気持ちよく拍手できた。
ジョニーテープのくだりはパロディに全振りしている感じがあって、そこで初めて「力を抜いてみていいんだ」と思った。やはり敷居も(金額も普段観ているものに比べれば)高く、背筋が伸び観劇に意気込んでしまうが、余計な緊張は必要ないなと思えたので、この緊張の解きはとても良かった。その後のヒトデの側転は少しヒヤッとした。
文明堂のシーンもとても面白かった。ギリギリ文明堂のCMを知っていたから、なお面白かった。オリビアの登場もかなり沸いた。舞台奥に描かれている教会がよしもと新喜劇風のタッチで笑ってしまった。(よしもと新喜劇がかなりハマっていたため連想してしまった。)
釜掛もとても面白かった。亀蔵さんは全体的に安定しているというか安心して観れるというか、常に笑い袋をふんわり掴まれているような。最後まで悪者に見えなかったのは私だけだろうか。
お墓参りから段々と"身内感"が増してきて、楽しみ方がわかってきた。(中車さんと猿之助さんが似ていたとずっと思っていたので、そこまたツボりました..!! 王道かもしれないですが😂)
そしてその後の転換も見応えがあった。屋敷のシーンは特に新喜劇感があって、なにより演者が楽しんでいる感じが伝わってきてとても良かった。内容は薄いかもしれないが、1番体の力を抜いて観れたシーンだ。
本水のシーンはまぁすごい。以前 邦生さんから木下歌舞伎(?)の映像を見せていただいた際も本水の演出があり「すごい!!何トン!?」と思ったのを覚えている。内容も見応えあるのはもちろん、演出のド派手さが 私が持つ歌舞伎への固定概念とのギャップと相まってとても面白かった。幕が閉じる前、1人が水辺へ連れてこられていたが下手で1人 短刀を持って静止していたのがジワジワきた。
第二部のつかみがもうすごい。家族商店は思いつかない。私自身、そういった現代(現実世界)と混ぜ合わせるのがとても好きなので、ハマってしまった。ある意味、歌舞伎が知らない人でもわかる、けど外人や子供にはわからない。そんなちょうどいい"身内"的共感が笑いを生んだのだろう。ただ、梵太郎と政之介の自己紹介を聞き逃してしまって「誰だ?」となってしまった。「おまえはソメでいいか」と言われていたのが流されていた(?)気がした。
ダンスシーンや立ち回りもとても素敵だった。(昨日、神戸で行われている創作ダンスの全国大会の映像を見ていたこともあり、群舞としてみてしまい、若干横目で踊っている方やフラついている方がいて気にはなった...)
双眼鏡を持っていったおかげで家族商店の細かいディテールが見れてよかった。
「すたっふおんり〜」はひらがななのに、「粉ジュース」と「ホリデント」はカタカナなのがなぜかわからなかった。
店長(寿猿さん)の"新喜劇の座長"感がとても良かった。平和の象徴である鳩の精霊シーンは、冒頭から机上をチラチラみており、それが許される役回りなのだなと思った。(白石加代子さんのセリフ忘れのエピソードを思い出しました。)
その語りもかなりアツく、この歴史に立ち会えて良かったと、喉元にかなり込み上げてきました。(「翼をください」からの「カノン」が壮大すぎたのもあります笑)
その後も展開される江ノ島の岬のストーリーはよくわかり、染五郎さんと團子さんの早着替え・早移動も思わず拍手。呼吸ひとつ乱さず素晴らしかった。
一旦、オークションのシーンはところどころ歌舞伎座紹介もありわらったが、暗いセットとお客さんの盛り上がり方で少し落ちてしまったかと思った。しかし、その後の歌舞伎座の提灯(シャンデリア)が上に上がったので、うぉーーー!っとなった。そこからの盛り上がりはとても良かった。だが、グリーンバナナ夫人の背景とその後が分からず少しモヤモヤした。
そして現実に戻り、キャスト総出のユニゾン。
東海道歩いてきたにしては弥次喜多はピンピンしてて、もう少しへたって弱味みせてもいいかと思った。それかバイクに乗っていくとか..。

・商業的
最近、お金を少しずつ稼げるようになってからちらほらと商業演劇なるものを観に行く。そのおかげもあり色々な知識やつながりを得ることができた。
客観的に、商業演劇に行くモチベーションとして「あの人が有名だから観る」「あの人のドラマでの演技が好きだから観る」と、有名人の知名度で足を運びにくる人も多いと思う。実際、有名人が知り合いにいたら自慢するものだ。
代わっていわゆる小劇場演劇(ダンス含)では、キャストとのつながりや時間があるからフラッと立ち寄る的なイメージ。名前の通り金銭的価値よりも関係者の幸福度的な価値を求めているイメージ。もちろん稼げたら万々歳だと思うが..。
そんな感じで、今まで見てきた小劇場の演劇やダンスと商業演劇を比べることが多くあった。
そんな中で、本公演はまた違った分類に思えた。
それは先に述べた"身内"的な芸能であるということだ。各お家による伝統を見せる舞台として存在しており、観客はその伝統に立ち合い、共に成長していくものだと。
だれしも最初は歌舞伎やその他伝統芸能の口上や台詞回しなど聞きとれなかったはず。(決めつけはよくないか..)
それもまた回数を重ねるごとに聞き取はことができて、なにより楽しみ方がわかってくる。それは伝統が引き継がれていく様子(襲名など)を追ったり、同じ作品(戯曲)を様々な役者で演じている様子を見比べたりと、人それぞれだと思う。「ヨッナリタヤ!」というタイミングは経験と慣れが必要よ、と友達の母も言っていた。
そういった意味で、役者・観客が"身内"になり、劇場が"家"となり、"身内"で楽しむ。その様がとても素晴らしく思えた。カンパニーでは括れない、血縁の絆。

総じて、また歌舞伎座に足を運び、より"身内"になりたいと思った。

明日は富士山に登る予定だが、膝栗毛となり馬の如く(安全第一で)駆けたいと思う。

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