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くいしんぼう仮面自叙伝【17】大阪プロレス編3(デビュー30周年記念本販促)

2001年4月に実家の徳島から兵庫県尼崎市に引っ越した。
その年から大阪プロレスと正式に所属契約選手になったのだ。
実は長州力さんのファンになってプロレス好きになったんやけど
高校2年の時に徳島市立体育館でユニバーサルプロレスを観戦した時にスペルデルフィンさんに一発でハートを射抜かれてしまった。(マスクを通販で購入したり、みちのくプロレスさんやデルフィンさんの個人事務所に履歴書も送ったな…返信まだきてないけどw)
大阪プロレス入って2年経過した頃その話をデルフィンさんにしたところ…翌日試合用マスクをプレゼントしてくれたんや(泣)
未だにファンですよ僕は。
何故関西に住んだかというと…大阪プロレスがどんどん大きくなってきたとこで「大阪に住んだらもっと仕事増えるで~」と言われからなんや。
給料以外にイベント出たりCM出たりした収入があり生活には困らなかった。
プロレスだけで生活するのはプロレス入る前からの夢だったから既にこの時に夢や目標を達成したのかもしれん(それで満足しときゃ良かったのにな)
えべっさんとの抗争?でリング上はますます充実していた。しかし当時もプロレスのお笑いという特殊なジャンルにはプロレス界隈の目は厳しかったんちゃうかな?まさに賛否両論であった。
それを認めさせたという試合は忘れもしない2003年2月1日大阪プロレスの大阪城ホール大会(大阪ハリケーン3.2.1)ではなかろうか?
くいしんぼう仮面VSえべっさん。その日初めてえべっさんに負けたんやけど…生涯一のベストバウトだった。


その試合をキッカケ?にえべっさんは新日本プロレスさんや全日本プロレスさんに引っ張りだこになるほど大ブレイクした。
くいしんぼう仮面もそのおこぼれを頂戴した2003年~2005年あたりが人気もピークだったんちゃうかなー。
しかし2005年4月大量離脱が起こる。沢山選手が抜ける中…残留した。当時の事はよく覚えてない。
最大のライバルえべっさんが居なくなり自分自身かなり苦しい立場になった記憶がある。

つづく…



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