『心が叫びたがってるんだ。』について 廃墟のお城で何が起きたのか
※この文章は、アニメ批評同人誌・アニメクリティーク『vol.1.5 岡田麿里特集2012−2016』に寄稿した、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』の感想です。
http://nag-nay.hatenablog.com/entry/2015/08/20/184648
この頃は、twitterで「超成瀬順を性的な視線で見る奴バスターズ」(言うまでもなく、超平和バスターズのもじり)というアカウントネームを名乗って『心が叫びたがってるんだ。』について半年くらい呟き続けていて、地元の友人から真剣に精神状態を心配されていました…。ここさけの舞台の秩父に聖地巡礼をして、名物のみそポテトがすごく美味しくて好物になったのを覚えています。
改めて感想を読み直すと懐かしくなったので、当時の寄稿者名のままにしておきます。
超成瀬順を性的な視線で見る奴バスターズ(wak)
1、はじめに
山の上にあるお城の形をしたラブホテルを本当のお城だと思い込み、王子様が自分を迎えに来てくれる妄想に耽り、喋ることを止められない少女・成瀬順。彼女は、お城から父親と知らない女性が出てきた光景を母親に話すことで、家族の絆が壊れる後押しをしてしまいます。当時、小学生だった彼女にとっては、父親がお城から知らない女性と出てくる光景が何を意味するのか、理解できません。
「そのことは、誰にも喋っちゃダメ…」お弁当を作っていた母親が、彼女を黙らせるために口に卵焼きを押し込むと、そこから彼女は妄想を発展させます。
彼女は自分のお喋りが他人を傷つけてしまうことを恐れ、玉子という空想の存在を作り出し、玉子によって自分の口にチャックを締めてしまう…お喋りするとお腹が痛くなる呪いを自らにかけてしまいます。
月日は流れ、少女は小学生から高校生になりました。彼女は、他人とお喋りが出来ず、携帯メールでしかコミュニケーションを取れない風変わりな子として扱われています。
ある日、彼女は担任によって、「地域ふれあい交流会」の実行委員に選ばれます。「地域ふれあい交流会」は、地元住民を学校の体育館に集め、出し物を行う地域と学校の交流イベントです。
「そんなの、イヤです!」表舞台に出ることを厭う成瀬順と共に、今まで交流の薄かった三人が実行委員として選ばれます。
音楽好きな父親の影響で音楽を始めたが、普段は寡黙で本音を言わない坂上拓実。
チアリーダー部部長かつクラスの中心人物であり、坂上への恋心を持つ仁藤菜月。
肘を痛めて甲子園の夢を断たれ、苛立ちと捻くれを隠せない野球部員・田崎大樹。
成瀬順は、彼等彼女等と共に「地域ふれあい交流会」の出し物として、ミュージカルの準備をします。幼い頃に思い描いていた、「夢みがちな少女、少女が喋れないように呪いをかける玉子…そして、少女を迎えに来る王子」の妄想を元に、成瀬順はミュージカルのストーリーを担当します。成瀬順は夢みがちな少女、坂上は少女を迎える王子、田崎は少女に呪いをかける玉子を演じます。
果たして、お喋りによって人を傷つけることを恐れ、自らに喋れない呪いをかけた少女は、呪いを解いて再び叫ぶことが出来るのでしょうか…?
・・・
この文章を読んで下さっているみなさんは、『心が叫びたがってるんだ。』という映画を観ましたでしょうか? 「もちろん、観たよ!」という方もいるでしょうし、「まだ、観てないよー」という方もいると思います。
この作品の主人公は、成瀬順という一人の高校生の少女です。目に髪がかかりそうな程度のショートカットでいつも俯きがち、お喋りができないのに表情豊かで何を考えているのかが分かりやすく、妄想癖が豊かな女の子です。この作品を観た方は、「成瀬順かわいい!!」という感想を持つ方が多いと思います。もちろん、私も同じ感想を持ちました。しかし、作品の感想を書く時に、成瀬順というキャラへの愛を何千字も書いてしまうというのも芸がありません。なので、今回は『心が叫びたがってるんだ。』という作品について私が感銘を受けた、もう一つの点を中心に感想を書こうと思います。
それは、成瀬順の幻想が反映されたミュージカルと、ミュージカルの筋書きが反映された地域ふれあい交流会当日の展開についてです。
2、ミュージカルを作り上げるまで
この映画はミュージカルを題材としていますが、ミュージカル映画ではありません。地域ふれあい交流会の実行委員に選ばれた四人の高校生が、『青春の向う脛』という劇中劇のミュージカルを作り上げるまでを描いた作品です。四人の実行委員の中で最も重点を置いて描かれているのは、ストーリーを作り上げる成瀬順であり、彼女が幼い頃に山の上のお城を元に作り上げた幻想が、劇中劇へ大きく反映されます。
『青春の向う脛』第1幕
ヒロインは、とても貧乏でとっても夢みがちな少女。
お城で毎夜おこなわれている、すてきな舞踏会にあこがれている。
こっそり舞踏会を覗き見していた少女……そこで知る、衝撃の事実。
ここはお城ではなく処刑場、紳士淑女はみな罪人達。
彼らは踊りたくもないのに、永遠に踊り続けなくてはいけない
『罰』を受けているのだというー。
彼女の幻想の中のお城が、山の上のラブホテルだとしたら、お城の舞踏会で踊り続ける罪人達はラブホテルの利用客のことでしょう。紳士淑女の中には、王子様としての成瀬順の父親と、その不倫相手としてのお姫様も含まれています。「こっそり舞踏会を覗き見していた少女」は、木陰に隠れて父親の不義密通を覗き見していた幼い頃の成瀬順自身でしょう。ちなみに、成瀬順は父親の不義密通以外にも、音楽室でアコーディオンを弾く坂上や、ふれあい交流会前日の坂上と仁藤の会話など、覗き見する機会が多いです。
『青春の向う脛』第2幕
舞踏会の真実を知り、動揺する少女。
しかし、家に帰れば身寄りもない寂しい一人暮らし。
孤独の中でじっと耐える生活。
やっぱり、あの舞踏会に参加したい。
たとえそれが、非道で非情な罰だったとしても……。
『青春の向う脛』第3幕
貧しいながらも真っ当に生きてきた少女は、
どんなことをすれば罪になり、罰を受けるのかがわからない。
そんな少女の周りに、わらわらと集まってくる悪い妖精たち。
「城下町に放火してみたらどうか」と、耳元でささやいた。
『青春の向う脛』第4幕
少女は街に火をはなった。
これで捕えられ、罰を受けることになるはず……ところが。
とつぜんの炎に人々は大騒ぎで、犯人探しはあてずっぽう。
少女は「わたしが犯人だ」と叫びまくるものの、まるで無視される。
誰からも罪に問われずに、絶望する少女。
そこに、謎の玉子がやってきてそそのかす。
この世でもっとも重大な罪は、『言葉で誰かを傷つける』ことだとー。
『青春の向う脛』第5幕
思いつくありったけの悪口を、いろんな人に言いまくる少女。
しかし、やはり罪には問われることはなかった。
そのかわり、みんなの心を傷つけまくった少女は、
みんなに嫌われて村八分にされてしまう。
あまりのショックに、気づくと少女の声は出なくなってしまった。
あたりには、玉子の邪悪な笑い声が響きわたるのだった……。
『青春の向う脛』第1幕から第5幕までは、「父親の不義密通を母親に話すことで家庭崩壊をもたらし、玉子の呪いによって喋らなくなった幼い頃の成瀬順自身の体験」を元に、彼女が一人で作り上げた幻想が描かれています。ここでは、お城=ラブホテルの真実を知ってもなお、罪人として舞踏会に参加したい少女に対し、玉子が「言葉で誰かを傷つけること」をそそのかす展開となっています。
しかし、第6幕以降は、幼い頃の成瀬順の体験が反映された展開ではありません。
『青春の向う脛』第6幕
声を失った少女は一人森をさまよい、
絶望のなかでバッタリ倒れてしまう。
そこに、ちょうど森での狩りを楽しんでいた王子様が現れて、
少女を助けてくれるのだった。
王子様は、少女が「言いたいことがあるのに言えないのだ」と解釈して、
彼女の心をとかすように優しい言葉をかけてくれる。
第6幕では、「玉子の中にはなにがある」という曲を、王子が歌います。この曲は、担任の音楽教師がいる音楽室へ成瀬順が赴き、実行委員の辞退を申し出ようとした際に、音楽室でアコーディオンを演奏する坂上が歌う曲そのものです。つまり、『青春の向う脛』は、「成瀬順が父親の不義密通を母親に喋ったために、玉子の呪いで喋れなくなる幼い頃」を反映した第1幕~第5幕(前半)と、「『青春の向う脛』という作品のストーリーを、成瀬順が作り上げていく過程の、周囲との交流」を反映した第6幕~最終幕(後半)という、二部構造となっているのです。
特に第6幕~第7幕は、ミュージカルの準備を進める実行委員達の活動が、リアルタイムに反映されます。
『青春の向う脛』第7幕
王子様と出会って、王子様を好きになって。
少女のなかに『愛の言葉』がどんどん生まれていく。
喋ることのできない少女は、それを伝えられなくはがゆく思う。
そんなある時、事件がおこった。
王子様が暗殺されそうになり、
玉子の策略により犯人が少女とされてしまったのだ。
声がでないため、みんなの誤解をとくことができなかった少女は、
今まで自分が傷つけてきた人々に捕まり、処刑されることとなる。
王子様は必死に少女をかばおうとするが、それもかなわず。
処刑台に連行されながら、少女は心のなかで歌う……。
第7幕は、お喋りができない成瀬順が実行委員にいるから、ミュージカルを作り上げるのは無理だと言う田崎(玉子)に対し、野球部の後輩達から使えない奴と陰口を言われていることを暴露した坂上(王子)が、 野球部部長の三嶋に詰め寄られた体験がモチーフになっていると思います。成瀬順から見ると、この時点の田崎は自分に対して乱暴な言葉で批判する人物であり、劇中後半で明らかになるように、実は義理堅く繊細な人物だということが分かりません。
このように、『青春の向う脛』は、現実の成瀬順の体験が、虚構としてのストーリーに反映される構造となっています。
3、ミュージカルの先へ
(1)逆転1 虚構から現実への反映
ところが、地域ふれあい交流会当日の展開は、虚構のはずの『青春の向う脛』のストーリーが、現実の成瀬順と坂上の行動に反映される構造へと、逆転しています。
交流会の前日、教室からクラスメイトの鞄を取りに行った成瀬順は、体育館へ戻る途中で坂上と仁藤の会話を盗み聞きしてしまいます。その際、坂上は成瀬順に対して恋愛感情を持っておらず、単に実行委員として頑張っているから応援したくなること…そして、坂上が本当に想いを寄せているのは、成瀬順ではなく仁藤であることを知ってしまいます。その結果、交流会当日に成瀬順は学校へ行かず、山の上のお城の廃墟へ向かい、一人でベッドの脇に倒れ込んで引き籠もってしまうのです。
仁藤との会話が原因で、成瀬順がミュージカルを降りたいことを知った坂上は、「お前はどうするんだ」と田崎に詰め寄られた後、自分が成瀬順を迎えに行くのだと決意します。仁藤は少女役を、DTM研究会の岩木は王子役を代役し、『青春の向う脛』の上演と同時並行で、坂上は成瀬順を探しに秩父市内を自転車で走り回ります。
体育館で上演される『青春の向う脛』と、坂上が成瀬順を探しに行く同時並行の展開は、『青春の向う脛』のストーリーをなぞっています。
体育館で第2幕を上演している最中、成瀬順はお城の廃墟の暗い部屋で、一人でじっと耐えています。
第3幕が終わった後、まるで劇中の悪い妖精たちにそそのかされたかのように、「もう、全部燃えちゃえばいいっ!!」と成瀬順は叫びます。
何故、『心が叫びたがってるんだ。』の後半では、『青春の向う脛』の上演と、廃墟のラブホテルにおける成瀬順と坂上との対峙が、同時並行で行われているのでしょうか? この映画が、「夢見がちで引き籠もり体質の少女が、クラスメイトと頑張ってミュージカルを演じきることで、自分の殻を破って成長する」というテーマなら、クラスのみんなで『青春の向う脛』を無事に上演すれば目的を果たせるはずです。でも、そうならなかったのは何故か。
そもそも、成瀬順がミュージカルを作りたい…歌を歌いたいと思ったキッカケは、「自分の気持ちを伝えたい」と強く願ったからです。自分の気持ちを伝える手段として、ミュージカルを選んだ際に、映画前半で描かれなかったある問題が、舞台当日に明らかになったと考えるのが自然です。
それは、「誰に、自分の気持ちを伝えるのか?」という問題です。
成瀬順が自分の気持ちを、恋愛対象でもある王子様=坂上に対して伝えたかったのであれば、何もミュージカルを作る必要はないのです。誰からも邪魔されない二人きりになれる場所で、愛する気持ちを坂上に告白すればいいのです。彼女が『青春の向う脛』の少女役を演じるのであれば、気持ちを伝える相手は、坂上一人ではありません。地域ふれあい交流会に来た周辺住民の観客や、一緒にミュージカルを作り上げたクラスメイト…「みんな」に気持ちを伝えることになります。
「自分の気持ちを伝えたい相手は坂上だが、ミュージカルという形式で気持ちを伝える相手は坂上に限らない」…成瀬順が気持ちを伝えたい相手と、ミュージカルで気持ちを伝える相手の分裂が、廃墟のお城と舞台上演の同時並行という形になったのだと思います。
自分と結ばれる王子様はどこにもおらず、幼い頃のお城に対する幻想が崩壊したこと…廃墟のお城はその隠喩でしょう。元々、『青春の向う脛』は成瀬順が作り上げたストーリーのはずなのに、少女(成瀬順)が王子(坂上)と結ばれる可能性が無くなったため、彼女は自分で作り上げた少女というキャラを演じることができず、魔法が解けたお城の中に引き籠もります。彼女は自分が作品として作り上げたミュージカルから逃避するために、崩壊してスクランブルエッグのようになった玉子としてのお城を必要としているのです。
(2)逆転2 罵倒する側にまわる成瀬順
坂上が成瀬順を迎えにラブホテルの一室へ到着した時、彼は「みんなが待っている」ことを強調します。『青春の向う脛』は成瀬順の個人的な幻想を元にストーリーを作り上げたはずなのに、クラスメイト全員で作品として作り上げていく過程で、成瀬順の個人的な幻想ではなくなってしまい、「みんな」のものとなってしまいます。
みんなが待っている地域ふれあい交流会と対比されるのは、王子がどこにもいないことを知った成瀬順の精神世界を反映したかのような、暗くて埃が舞う廃墟のお城です。お城の中には、成瀬順と坂上の二人しかおらず、みんなの目を気にしないで本当の言葉を相手にぶつけることができます。少女の精神世界の廃墟の中で、好きな相手と二人だけになり、本当の言葉を相手にぶつける…私には、これが根源的なコミュニケーションを描いているように感じ、成瀬順の罵倒を受けてとても高揚してしまいました。
FILMAGAの「『心が叫びたがってるんだ。』ヒロイン!注目の声優・水瀬いのりインタビュー(前編)」において、成瀬順を演じた水瀬いのりさんは、次のように述べています。
水瀬:順は、私がいままで演じてきたキャラクターにはいないタイプの女の子だなと感じました。やっぱりアニメのメインヒロインって明るかったり、元気だったり、好奇心があったり、どちらかというと太陽みたいなイメージがあって。それで、もう一人のヒロイン役がちょっと暗めな月のイメージっていう感じで。でも、順ちゃんは月のイメージなのに「この子がメインヒロインなの!?」って、ちょっと意外に感じたのが第一印象です。
成瀬順は、携帯電話やリュックサック、私服のパーカーなどに星のシンボルを使うことを好む少女です。廃墟のラブホテルで成瀬順が坂上と対峙した307号室の窓には、太陽と月のシンボルが描き込まれています。廃墟のお城を、成瀬順の幼い頃からの幻想の崩壊の隠喩としてだけでなく、成瀬順の精神世界の隠喩として捉えた場合、彼女の精神世界には、母親に叱られる時のように無口で暗い部分(月)と、坂上と一緒にいる時のように明るくて心がお喋りな部分(太陽)の、両方の性格があるのでしょう。
坂上視点から、成瀬順の正面を捉えたカットのうち、「迎えに来た坂上に対し、舞台や家庭が自分の言葉のせいで崩壊したのではないなら、何のせいにすればいいのか分からないと、成瀬順が暗に玉子を求める」シーンでは、背景の窓ガラスに月が、「本当の言葉を求める坂上に対し、成瀬順が心の底から叫びだす」シーンでは、太陽が映っています。これらのシーンは、成瀬順の精神世界の転換の演出であると同時に、太陽や月、星などのシンボルは、成瀬順が作り上げる童話的世界観の演出ではないかと思います。
自らの精神世界の象徴=廃墟のお城に引き籠もろうとした成瀬順を解放するために坂上が行ったことは、本当の言葉で自分を傷つけてほしいと、彼女に頼むことでした。「言葉で誰かを傷つける代償として、少女は言葉を失った」…成瀬順が言葉を失った根幹を否定するために、坂上は成瀬順の本当の言葉を傾聴することを選びました。山の上のお城で不義密通を行った父親の「お前のせい」という呪いの言葉を、「お前のおかげ」という感謝の言葉に転換することで、坂上は第4幕の流れを否定し、新たな流れを作り上げます。
この流れは、『青春の向う脛』第4幕で謎の玉子にそそのかされた少女が、『言葉で誰かを傷つける』罪を犯し、城下町のみんなの心を傷つける展開を形式的にはなぞりつつも、逆説的に少女の言葉がもつ肯定的な作用を取り出すために導入されたものです。そのおかげで成瀬順は、「自分の言葉は誰かを傷つけることしかできない」という玉子の呪いから解放されます。
「優しいフリして卑怯者!!おまえなんて時どきわき臭いくせにっ!」
「顔だって、そんなによくない!ピアノがちょっと弾けるからってモテるとか勘違いすんな、嘘つき者!」
「思わせぶりなことばっか言って、いいかっこしい野郎!!」
「あの女!!あの女も同罪だ!嘘つき、いい人ぶりっこだ!!ああいうのが一番タチが悪いっ!」
成瀬順は、祈るように両手を組み、小さな身体を前屈みにして、坂上を罵倒します。喋れない女が実行委員にいるのにミュージカルを行うなんて無理だと田崎に指摘された際、彼女は同様のポーズを取った後、歌を歌います。この罵倒は、坂上に対して伝える本当の言葉であると同時に、ミュージカルから逃げ出した成瀬順が、坂上に対して個人的に歌う歌でもあるのです。
・・・
最終幕で流す曲を決めるために、成瀬順が仁藤と一緒に坂上の家に向かう際、「ごめんなさい!ふれ交の委員として付き合ってもらってるのに友達などと大それたことを…!」と仁藤へ謝罪するエピソードが示しているように、彼女は自罰的な性格をしています。
坂上を罵倒する前に成瀬順が望んでいたことは、ふれあい交流会当日にミュージカルから逃げ出したことを、坂上から罵倒されることだったと思います。第4幕で少女が城下町の住民を罵倒した結果、住民たちから村八分にされた流れを本編の通りになぞれば、成瀬順はふれあい交流会の実行委員に選ばれる前と同じく、再び玉子に閉じこもる逃げ道を用意することができたのです。
それなのに、坂上は成瀬順を罵倒せず、むしろ彼女の本当の言葉を受け止めることを望みました。本当の気持ちを歌にしてくれた王子様に対し、罵倒する役割を与えられてしまった。成瀬順が過去の坂上を追想し、坂上を罵倒する時に流す涙には、恩人の坂上に罵倒されず、自分が坂上を罵倒する役割を与えられてしまった…そういう悲しみが込められていると思います。
とはいえ、罵倒する役割がもたらしたのは悲しみばかりではありません。成瀬もまた自らが罵倒する側に回って初めて、自罰的な性格を安全な殻として「本当の気持ち」を口にせずに済んできたこと(そしてミュージカルによって糊塗することでしかそれを表現できてこなかったこと)に気づいたはずです。誰かに対して心からの言葉を手向けることで、たとえその言葉のトゲがいかに鋭くても、言葉を与えられた相手に自分の気持ちが伝わることにも気づいたかもしれません。
成瀬順の本当の言葉を受け止めた坂上は、彼女の言葉に動揺しつつも、彼女の気持ちが自分に伝わったことに気がつきます。そして、普段は本音を言わない坂上自身も、成瀬順のように誰かに伝えたいことがあるのではないかと気がつき、彼女に対して感謝します。
成瀬順の本当の言葉に対して坂上が罵倒ではなく感謝を返したこと…そして、坂上による「成瀬順!」、成瀬順による「坂上拓実!」と本名を互いに呼び合うことで、自分達は少女でも王子でもないんだと認識すること…これが成瀬順にとって、廃墟のお城から解放されるために必要なことでした。廃墟のお城から解放された成瀬順は『青春の向う脛』において、王子の隣で少女として歌うことはできません。そのため、坂上が成瀬順を連れて地域ふれあい交流会に戻った後、仁藤が演じる少女役ではなく、少女(心の声)役を演じるのです。第5幕では、 成瀬順は少女 (心の声)役として、自分の声が出なくなった悲しみを、腹の底から声を出して『わたしの声』という歌にのせて歌います。
(3)玉子の呪いと、孵化について
玉子の呪いによってお喋りをするとお腹が痛くなった成瀬順は、ミュージカル前日に教室から体育館へ戻る途中、坂上と仁藤の盗み聞きすることが原因で、ミュージカル当日には喋ってもお腹が痛くならなくなります。成瀬順自身がお寺で坂上に対し、「喋るとお腹が痛くなること」を玉子の呪いと呼んでいたことを考えると、一見、ミュージカル当日には成瀬順は玉子の呪いから解放されていたように思えます。
しかし、ミュージカル前日の玉子の台詞を見てみると、成瀬順はスクランブルエッグという状態だと明らかにされます。
「お腹じゃないね。痛いのは胸だ。青春の痛みだ。封印を破ったきみへの」
「喋るなというのはね、言葉だけじゃないんだよ」
「きみは、心がお喋りすぎるんだ」
「坂上拓実が好きだ好きだ好きだ…」
「だからほら、きみの玉子はもうヒビだらけ。ああ…ほら出てくるよ。どろどろした白身、孵化しかけの黄身…」
「きみにはがっかりしたよ。もう、中途半端に閉じ込めるのは終わりにしよう…」
「さあ、いよいよ…スクランブルエッグだ」
このスクランブルエッグというキーワードは、幼少期の成瀬順が玉子の呪いを受けた際も、玉子が用いています。
「きみのこの先の人生、お喋りのために波乱に次ぐ波乱が待ち構えているだろう」
「そんな人生を歩みたくなければ、お喋りを封印するんだ」
「お喋りを海に沈めることができれば、きみはキャッチセールスに引っかかることなく、本当の王子様に出会えて、本当のお城に行ける」
「で、でも…お喋り、やめられなかったら」
「王子様もお城も、すべておじゃんだ」
「本当の本当に、おじゃんになっちゃうんだ。キミも、シロミも、ごっちゃごちゃのスクランブルエッグだ」
このスクランブルエッグとは、一体どのような状態なのでしょうか?
劇中では、スクランブルエッグに対する説明が特にありませんが、玉子の黄身を成瀬順、白身を成瀬順を取り巻く世界その物と考えた場合、お喋りのせいで自分も周囲もぐちゃぐちゃになることは、成瀬順のお喋りのせいで崩壊した家庭の象徴だと思います。つまり、成瀬順のお喋りのせいで、成瀬順自身も、成瀬順を取り巻く世界その物も、ぐちゃぐちゃにかきまざって崩壊した状態が、スクランブルエッグだと言えるでしょう。
幼少期の成瀬順=玉子は、言葉によるお喋りを封印しましたが、ミュージカル当日の成瀬順=玉子は、心によるお喋りを封印し、誰にも心を開かずに廃墟のお城に閉じこもります。既に、言葉によるお喋りの封印は意味をなさないため、成瀬順は廃墟のお城へやってきた坂上と会話することができるようになります。言葉のお喋りは不可能だが心のお喋りが可能な状態から、言葉のお喋りは可能だが心のお喋りは不可能な状態へと、遷移します。
しかし、幼少期のスクランブルエッグ=家庭崩壊と、ミュージカル当日のスクランブルエッグは性質が異なります。幼少期のスクランブルエッグは成瀬順のお喋りが遠因となって両親の離婚に繋がりましたが、ミュージカル当日、成瀬順はお喋りではなく、廃墟のお城に閉じこもることによって、白身=周囲の世界=みんなで作り上げたミュージカルを崩壊へ導こうとします。
「玉子の言うとおりだった!喋ったりするから不幸になった!」
「(玉子は)いないと!困るの!」
「舞台、めちゃくちゃにして…家のこともめちゃくちゃにして…」
「私の、お喋りのせいじゃなかったら!なんの!なんのせいのすればいいの!どうすればいいのよ!」
「もう、全部燃えちゃえばいい!私も!私の心も!私のお喋りも!」
王子様=坂上と結ばれることがなくなり、本当の王子様とも出会えず、本当のお城にも行けなくなった成瀬順は、偽物としての廃墟のお城に閉じこもり、主人公失踪という結果で舞台をめちゃくちゃにすることで、玉子としてスクランブルエッグを作り上げようとします。「玉子は私」という台詞通り、成瀬順はスクランブルエッグを作り上げる主体となってしまいます。
『心が叫びたがってるんだ。』では、玉子には複数の意味があります。
1.成瀬順を呪い、言葉や心によるお喋りを封印する、イマジナリーフレンドとしての玉子
2.「成瀬順=黄身」と「周囲の世界=白身」を殻で覆う、成瀬順の世界認識としての玉子
成瀬順が坂上と共に廃墟のお城を出て、『青春の向う脛』が上演されている体育館に戻った後、以下のような台詞を言います。
「ああ、本当に玉子なんていなかったんだ」
「呪いをかけたのは…私」
「玉子は私」
「ひとりで玉子に閉じこもってた、私自身…」
この台詞の後、玉子の中から成瀬順が孵化するイメージ映像が流れます。この台詞の中で使われる玉子という言葉に注目すると、以下のように言い換えられるでしょう。
「ああ、本当に玉子(呪いをかけるイマジナリーフレンド)なんていなかったんだ」
「呪いをかけたのは…私」
「玉子(呪いをかけるイマジナリーフレンド)は私」
「ひとりで玉子(殻)に閉じこもってた、私自身…」
成瀬順が自身にかけた呪いの状態遷移をまとめると、以下の通りです。
1.玉子の殻の中。幼少期の呪いから、ミュージカル前日の玉子との会話まで。キミとシロミは混ざっていない玉子の中に閉じこもり、言葉のお喋りは不可能だが心のお喋りが可能な状態。
2.スクランブルエッグ。ミュージカル前日の玉子との会話から、ミュージカル当日の成瀬順が坂上と体育館へ戻るまで。キミとシロミと殻がかきまざり、言葉のお喋りは可能だが心のお喋りは不可能な状態。
3.孵化。ミュージカル当日の成瀬順が坂上と共に体育館へ戻り、クラスのみんなに受け入れられた以降。
成瀬順が体育館に戻り、『青春の向う脛』第5幕で少女(心の声)役として『わたしの声』を歌うことは、それまでスクランブルエッグの状態で心を閉ざしていた成瀬順が、心の声を言葉に乗せて歌うことを明確に表現しています。ここでは、ミュージカル前日までの「言葉でお喋りできないが、言葉で歌うことが可能な成瀬順」と同じように、「心でお喋りできないが、心で歌うことが可能な成瀬順」という状態だったと思われます。
その後、ミュージカルの出演から逃避していたことをクラスのみんなに非難されることはなく、むしろ、みんなに心配されて優しく受け入れられることで、言葉でも心でもお喋りが可能な状態へと遷移します。これが、孵化です。
王子様=坂上と結ばれるのが、成瀬順ではなく仁藤であったため、『青春の向う脛』では成瀬順は少女役を演じることができずに舞台上からいなくなり、代わりに仁藤が少女役を演じることになります。成瀬順が再び舞台に立つために必要だったのが、少女(心の声)役という役柄であり、少女と少女(心の声)が並んで歌うクロスメロディ(悲愴+Over The Rainbow)という演出でした。
『青春の向う脛』最終幕
王子様も人々も、少女のほんとうの気持ちを理解した。
そして、少女がおかした『罪』を許してくれた。
みんなの優しさに、みんなのこころに感謝する少女。
この思いを、ありのままに伝えたい……と強く願ったそのとき。
少女に、失ったはずの『言葉』が戻ってきたのだったー。
こうして、第1幕から第4幕までは、廃墟のお城と舞台上演の二つの流れが同時並行していた『青春の向う脛』は、第5幕で成瀬順が少女の心の声として歌うことで一つの流れに統合され、最終幕まで成瀬順(心の声)と仁藤(少女)の二人の少女を中心に進みます。
クロスメロディとは、以下の二つの流れを統合したものです。
A.少女(心の声)=廃墟のお城=王子に向けた本音=成瀬順
B.少女=体育館=みんなに向けた統合前のミュージカル=仁藤
玉子が幼少期の成瀬順に呪いをかける際に、以下の言葉を述べています。
「お喋りを海に沈めることができれば、きみはキャッチセールスに引っかかることなく、本当の王子様に出会えて、本当のお城に行ける」
成瀬順が、自分の力でお喋りを海に沈めて封印することができないため、その代わりに玉子がかけたのが呪いでした。成瀬順が呪いを守り続けることで得られる対価は、「本当の王子様に出会えて、本当のお城に行ける」ことです。幼い成瀬順にとっての本当の王子様や本当のお城は、不倫をして家庭崩壊させる父親や坂の上にあるお城型のラブホテルではなく、彼女の妄想通りの素敵な王子や舞踏会が行われるお城でした。しかし、玉子がこの言葉を述べた際、「本当」という言葉は、「成瀬順にとって、妄想通りの王子と結ばれ、きんぴかのお城の舞踏会に行ける」という意味ではなかったと思います。
「坂上と結ばれなかった成瀬順」と「坂上と結ばれる仁藤」、「少女(心の声)」と「少女」が対比されているように、「廃墟のお城」と対比される「体育館」もまた、一種のお城です。廃墟のお城で成瀬順が告白し、その想いに応えられなかった坂上は本当の王子様であり、ミュージカルから逃げた成瀬順を罵倒せず、舞台裏で彼女を優しく受け止めてくれたクラスメイト達は本当のお城の人々と言えるかもしれません。つまり、「本当」とは、成瀬順の玉子の殻の外にいる人々のことです。
玉子の呪いの根幹は、自分のお喋りによって周囲を破壊してしまうことへの恐怖です。玉子の殻の外にいる「本当」の人達が、自分のお喋りによってめちゃくちゃにされ、自身も不幸になることへの恐怖から、成瀬順は玉子の殻の内に閉じこもろうとします。「本当」の王子様やお城の人々が、自分の願望通りではないけれど、成瀬順のお喋りを受け入れてくれることによって、成瀬順は自分に呪いをかけることの意味を失います。
「お喋りを海に沈めることができれば、きみはキャッチセールスに引っかかることなく、本当の王子様に出会えて、本当のお城に行ける」という流れが呪いだとすれば、「本当の王子様に出会えて、本当のお城に行ければ、成瀬順はお喋りを海に沈める必要がなくなる」という呪いを逆転した流れが、成瀬順の呪いを解くための条件だったと思われます。
クロスメロディは、成瀬順が心の声を捨てることなくミュージカルに戻り、「玉子は私」と認め、呪いを解く条件を満たして玉子の殻から孵化するために必要な演出でした。
王子と結ばれないので成瀬順が演じることをできなくなった少女(仁藤)と、王子と玉子の呪いから解放された等身大の少女(成瀬順)は、最終幕では並んで歌います。仁藤が演じる少女は、体育館で演じられる劇中劇に登場する「人々(みんな)」に、成瀬順が演じる少女(心の声)は、廃墟のラブホテルで「王子様(坂上)」に、ほんとうの気持ちを理解され、虚構と現実の両方で罪を許されることで、『青春の向う脛』はほんとうの終わりを迎えます。
『心が叫びたがってるんだ。』という作品では、地域ふれあい交流会の実行委員を中心に、劇中劇として『青春の向う脛』が演じられます。しかし、この作品の中における現実と虚構に、明確な境界線があるわけではありません。現実の反映として虚構が作られ、虚構の反映として現実が作られる…ここでは現実と虚構は双方向性を持つものとして扱われます。一人の少女が自身の幻想に呪われ、その幻想を元にミュージカルを作り、玉子から孵化して外の世界へと飛び立つ…夢見がちな少女の幼年期の終わりと青春の痛みを丹念に描くことで、成瀬順の言葉は妄想に耽る青春時代を送った私に刺さりました。最後に、同作のラストの成瀬順の言葉を引用し、筆を置くこととします。
ー玉子の中にはなにがある
いろんな気持ちを閉じこめて
閉じ込めきれなくなって
爆発して
そして生まれた
その世界は
思ったより綺麗なんだー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?