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共によつばを育ててきた人たちへ

 1ヶ月に渡り連載してきた「共によつばを育ててきた人たちへ」もついに最終回。誰が読んでいるのかもわからないような記事だったが、今回は「よつばとこれから」と題し、今後の展開予想、また拾いきれなかった要素などを取り上げていきたい。

■子育ては引き継がれていく

 先日、友人にこの連載の感想を求めたところ、こんな話があがった。

「風香に牛乳を届ける回の最後、よつばを迎えにきたとーちゃんがよつばを殴ったのが衝撃的だった。なぜかとーちゃんはそういうことをしない人だと思っていた。もしかすると、自分がそういった子育てを受けてこなかったからかもしれない」

 非常に興味深い話だと私は思った。このシーンに対して私が違和感を覚えなかったのは、私自身この程度の体罰は経験があったからだ。読み手によって「それくらいはある」「それはありえない」の線引きは異なるだろう。ちなみに私は、よつばがスーパーでウナギのパックを手にし「これおいしいよー!」と叫ぶシーンはさすがにないだろうと思っているのだが、もしかすると、読み手によっては共感を覚える場面なのかもしれない。

 体罰の話に戻ると、とーちゃんが初めてそういった仕草を見せるのは4巻休憩「よつばと4コマ」の『尻叩き』と題された回である。ボール遊びをしていたよつばが窓硝子を割ってしまい怒られる、という回なのだが、とーちゃんの「言葉だけで叱る」ときと「手を出す」ときの境界線が垣間見える。

 そしてとーちゃんの叱り方のルーツは、当たり前ではあるが彼の母、ばーちゃんにある。初登場の回しかり、ばーちゃんは作中でいくどもよつばの頭をはたく仕草をする。彼女の中ではそれが当然で、そのようにして子育てをしてきたのだろう。
 作者が体罰に対して肯定的であるかどうかは測りかねる議題でもある。しかし、初回でお話した「あずまきよひこのためのよつば」でなくなったいま、彼が無自覚にこのシーンを描いているとは考えにくい。世の中には引き継がれていくものがあり、それは必ずしも肯定的なものばかりでなく、時代が移りゆく中で淘汰されゆくかもしれない文化も含まれている、というメッセージとして受け取りたい。

 ここでひとつ、これからのよつばについて考えてみたい。これは完全に私の私見でしかないが、これから「よつばと!」がより確立された漫画となるためには、よつばが他者に対してなにがしかの害を与えてしまう、という流れである。これまでのよつばは、他人に迷惑をかけることはあれど、怪我や取り返しのつかないミスを犯したことはない。そこまでをこの作品で取り扱うかはわからないが、もしそういったシーンが描かれることがあれば、「よつばと!」の特異性はまた確固たるものとなるだろう。

■漫画に流れる音のこと

 漫画という媒体には、「音」という要素をつけるのが非常に難しい。まれに他の漫画作品において、この人物は〇〇な声をしている、という表現がされることがあるが、「よつばと!」においては邪道なやり方だろう。

 かつて、「あずまきよひこブログ」というサイトが存在した。そのブログはあずまきよひこ自身が更新をしており、「よつばと!」に関する宣伝であったり、「あずまんが大王」の情報なども定期的に掲載されていた。
(そのサイトは現在見ることができない。ローカルで保存しておくべきだったと、ひどく後悔している。)
 その中で、「よつば」の発音について言及された回がある。確かに言われてみれば、「よつばと!」はアニメ化もされておらず、彼女の名前がどんな発音、アクセントで呼ばれているのかなど我々は知るよしもないのだ。
(「よつばと!」は一度NHKにて特番が組まれており、その中で金田朋子が漫画にアテレコをする場面があるのだが、それはあずまきよひこの発音に関する発表の前なので考慮しない)

 作者曰く、「よつば」の発音に関する見解はこうだ。
 とーちゃんを含めた周りの大人たちは、「よつば」を「トミカ」と同じ発音(「よ」の音にアクセントがくる)で呼び、よつば自身のみ「さんま」と同じ音(すべての音が平坦)で話している。
 この設定を知ったとき、私は衝撃を受けた。あずまきよひこは同ブログで、「よつばと!」のアニメ化はないと公言している。(コマとコマの間にあるはずのよつばの動きは、それぞれ読者の中で補完されており、それをアニメーションで再現するのは難しいという見解からアニメ化は断っているようだ。それはまさに正しい判断だと思う)
 つまり私たちはよつばの発音を知ることは、本来永遠になかったはずなのだ。しかし彼はブログにて、「周りの人間と本人では発音が異なる」という気づき得なかったディテールを公開した。創作をする者として、見えない部分を作り込む大切さは、やはり彼から教わったと思わざるを得ない。

■よつばとこれから

 今後の展開について簡単に予想を立ててみたいと思う。
 まず現在の季節は冬。よつばは登園こそしていないが、年齢は5歳で、来年の4月には小学校に通うことがわかっている。
 あずまきよひこは「あずまんが大王」をサザエさん時空にすることはしなかった。(歳をとらず延々に日常が繰り返される状態)
 「よつばと!」はよつばが小学校に通い始めた時点で終わりを迎えるだろう。それは、「わたしたちのよつば」でなくなるということだ。彼女が彼女自身の世界を見つけ、大人たちの庇護から卒業すると同時に、誰のものでもないよつばへと変わってゆく。作品は終わるかもしれない。けれど、よつばの生活が描かれなくなるということは、ある意味無限の広がりをもってわたしたちの中で生き続けてゆくことと同義である。いずれ訪れるであろうそのときまで、わたしたちは幸せな時間を共有させてもらうことができるのだから。

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