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共によつばを育ててきた人たちへ

 漫画というメディアは、長く続くことがよしとされている。
 だからこそ常に変化を伴うし、面白い回があれば、面白くない回も存在する。しかし、「よつばと!」は類を見ないほどに、面白さを更新し続ける漫画だ。今回のテーマは「よつばを包む気配のこと」である。あずまきよひこがいかに「具体性」から「抽象性」へと物語を変容させてきたのかについて語っていきたい。ちなみに私は、この回を書くために「よつばと!」という漫画を取り上げたと言っても過言ではない。

■周囲が感じるよつばの存在

 「よつばと!」は主に、アバンタイトルの技法が用いられる。(アバンタイトル=映画やドラマ、アニメや特撮などでオープニングに入る前に流れるプロローグシーンのこと)
 9巻第56話「よつばとよてい」で言えば、なにげなく自室の窓を開けた風香が、よつばの声を聞くシーンから始まる。パンツマンとなったとーちゃんとよつばがふざけ会っているという場面なのだが、風香にも読者にも彼らの姿は見えない。夜の住宅街の中を二人の楽しげな声だけが漏れ出ている、という演出で、風香はよつばたちの「気配」だけを感じ取っている。
 また、9巻第59話「よつばとやきにく」では、花屋の店先に立つジャンボが焼肉屋の店長(おかみさん?)と世間話をするシーンから始まる。(このシーンも非常に巧みだ。花の話題と焼き肉の話題が絶妙に入り交じり、彼らが本当にコミュニケーションをとっているように見える)
 焼き肉屋が半額のキャンペーンをやっていると知ったジャンボは、花を数秒見つめ(わざわざよつばを思い出すために、無言のコマが用意されている!)「じゃあ席取っといてよ 4人で」と告げる。そして小岩井家に電話をかけるのだ。
 ここで注目したいのは、普段よつばが接している人たちが、どこかしらでよつばを「感じている」ということである。その形は夜に声を聞く(受動的)であったり、よつばの喜ぶ姿を思い浮かべて予定を立てる(能動的)であったりと様々だが、確実によつばの歩む人生とつながっている。これは私たちが現実世界で感じている「気配」と同じものである。誰かを思い、誰かに思われることで世界が回っている。その理をさらりとやってのけてしまう作者の筆力たるや。真骨頂と言ってもいい。

■「いない誰か」こそ、人を形作る

 これは「よつばと!」に限った話ではないが、先に名前だけを登場させて、後々そのキャラクターのビジュアルを公開するという手法がある。それは伏線と呼ばれることもあるが、「よつばと!」の場合は少しニュアンスが異なると思っている。

 「よつばと!」において上記の手法がとられたのは、「やんだ」「ばーちゃん」「小春子」などである。やんだに至っては第1話で名前だけ登場しているが、実際に姿を現すのはずいぶん後である。また、名前だけ出てビジュアルが公開されていない人物として、「じーちゃん」「諸岡」が挙げられる。諸岡は、「よつばとやきにく」の回にてとーちゃん・ジャンボ・やんだの共通の知り合いとして名前が挙がった人物である。
 今後、じーちゃんの登場はほぼ確実と言って良いだろう。(よつばと小春子は正月に実家で会う約束をしている)
 それに反し「諸岡」の登場は怪しい。読者に与えられている情報は「結婚している」「ハゲている」ということくらいだ。しかしここで大切なのは、彼が実際に登場するかどうかではない。とーちゃん・ジャンボ・やんだの過去はほとんど明らかにされていない。(昔からの知り合いであり、やんだとばーちゃんは面識がある(地元が一緒だった?)というくらい)
 彼らがどうやって今の関係性を築き上げてきたのか、それは過去回想や自分語りをさせてしまえば簡単ではあるのだが、あずまきよひこはそうしない。諸岡という共通の知り合いを名前だけ登場させ、「同じ過去、共通の記憶を持っている」という表現だけでその親密度を示したのだ。これは他の漫画ではあまり見られない。というか、御法度のように扱われているだろう。読者には関係のないところで、顔も知らない人の話をされるのだから。
 けれども、これでいいのだ。彼らが築いてきた関係性、時間の重みは、回想なんてヤボなものを持ち出されては色あせてしまう。「私の知らないあなたの記憶」に寂しさを覚えるのは誰も彼も同じだろう。あずまきよひこはその「寂しさ」すら表現してしまっている。彼らを形作っている記憶を断片的に見せることで、果てしない奥行きを実現したのだ。

■「うれしい」でも「かなしい」でもない。名前のない感情

 10巻以降、「よつばと!」は言語化が不可能な領域に踏み込んでくる。
 ここで行っているのは「よつばと!」のレビューという名の考察なので、漫画が表しているものを言語化するのが役割なのだが、作者はそれを許さない。よつばはひとりの人間として、あまりに複雑で生物的な感情に振り回されていくことになる。

 私の考える「よつばというひとりの人間」が顕著に表れるエピソードを、以下に抜粋した。
 ・10巻第64話「よつばとホットケーキ」
 ・10巻第68話「よつばとうそ」
 ・11巻第75話・76話「よつばとともだち」「よつばと・・・・・・」
 ・12巻第78話「よつばとあおいろ」
 ・12巻第82話「よつばとキャンプ(後)」
 ・13巻第85話「よつばとよる」
 ・13巻第89話「よつばとくろいおばけ」
 ・14巻第93話「よつばとおひめさま」
 ・14巻第95話「よつばとはらじゅく」

 名前のない感情とは何なのか、上記の回をかいつまんで読んでもらえればすこしは伝わるかもしれない。

 名前がない、と散々言ってしまったが、最も近しいものは「葛藤」かもしれない。よつばは理不尽な出来事に対して、「葛藤」することを覚えていくのだ。時には泣いて、怒って、その理不尽に立ち向かっていく。これは個人的な話だが、ばーちゃんとの別れが描かれる「よつばとくろいおばけ」は教科書に載せるべきエピソードだと思う。何の教科書かはわからないが。しかしあの回で表されていることは、もう「よつばと!」という漫画に収まっていない。読者の記憶に直接触れてくるような、狂気的なリアリティを孕んでいるのだ。よつばが私になり、ばーちゃんは私にとっての祖母・祖父となり、はたまた読み手の立場が逆転すれば、私がばーちゃんともなり得る。大切な誰かと別れなければいけない瞬間、たとえそれが今生の別れでないとしても、純粋なまでの「別れ」を突きつけられたときのあの感情。「よつばと!」は、名前のない感情を掬い上げたと言わざるを得ない。

 ここまでで1~14巻までの総括は終わりとなる。この程度では「よつばと!」の良さは1%も伝わっていないと思うが、本作を読んだ人は、こういう見た方をする人間もいるのだ、ということだけでも知って欲しい。
 次回は最終回「よつばとこれから」と題し、取り上げきれなかった部分と、今後の「よつばと!」がどうなっていくのかを予想していきたい。

▼次回「よつばとこれから」


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