ヴァチカンのエクソシスト
続編が199本欲しい。
というかあるでしょ。ヴァチカンのエクソシストS5E1のふせったーの事見た気がするし、大人気ドラマシリーズの「一つ目の事件がついに明らかに…!」って文言で劇場版が作られてる気がしてきた。
本編見る前から「続編が199本欲しい!」っていうの見てたんだけどオタクの誇張表現とかではなくこれから199体の悪魔があの2人には立ち塞がってるので妥当な要求だった。作って欲しい!!ドラマ版とは言わないから…!毎年90分のを3話とかで良いから…!!
悪魔祓い
最初っからめちゃくちゃ面白かった。イタリアに住む子供が悪魔憑きになりサタンを名乗り始めたのでその解決に向かうところから映画が始まって、サクッと悪魔祓いするのかなって思ったらそうでもないのが良い。
「どうして悪魔憑きだと?」「英語を話すのです、今まで話したことなんてないのに」「この家にテレビは?」「…??」のやり取りからヴァチカンのエクソシストの話の厚みが始まっていた。悪魔は膨大な知識があり、過去を見通すことができる。人間は知ってることしか知らない。
「誰にでも取り憑くことができるのか?豚にも?」のあと様子を見てから豚を殺し「もう悪魔は立ち去った」とする茶番には信憑性があり、神父はこれらを本当に茶番だと思っているけどそのために様々な道具の入ったケースを持ち歩き、正装で現場に現れる。精神疾患にこれらは効かないけど、サタンを名乗る彼にはそういう儀式が効くので…。
十字架が刻印されたメダル(メダイ?)を目の前にかざして左右に振るの、つまり対象者が精神疾患だった場合サタンを名乗ってる以上十字架にはロールプレイの関係で逆らえないので効果的なんだな思ったてんだけど後半で「2%を見落とさないための確認」ってわかったのが本当によかった。
あと関係ないけど「べね」にしろなんにしろラッセルクロウが喋るだけでちょっと色っぽくてドキドキした…。イタリア言?は本当にわかんないんで字幕と音が似てるやつと「ベネ」しかわかんなかったんだけど、憑いてる人の妹に「祈りの言葉は分かるかい」「祈り続けるんだ」って優しく話しかけるところで「べね(音としては「でね」が近い)」って話を終えていて、なんか、余裕というか色気というか…ラッセルクロウってすごくて…。私はキリスト教に親しみがないんでまだ「かっこいい服装」レベルの認知しかありませんが、司祭の服装であることの文脈を理解した層がラッセルクロウのあれを浴びたら死んでしまうんじゃないですか?あんなムキムキな司祭がいるかよ。それはそうかもしれませんね…。
パルチザンと記者だった過去があるらしいアモルト神父の「98%の案件は私の管轄ではない、精神疾患であり『少しの』知識と理解、あとは茶番があれば解決する」「あとの2%は?」「本物の悪だ」のやりとり、この話をしておくことでこれから先の案件を全て残りの2%にできるのですごい。でもドラマ版は1シーズンに一回くらい精神疾患オチがあっても良いと思う。ないんですかドラマ版。あるでしょ。オタクが「トーマス神父の若い頃、ほとんど赤ちゃんだった」って妄言吐いてるの見た気がする。
職を退くように要求されるシーンで好きなの「ニーズに合わせなくては行けない」、で悪魔の存在を否定する若い教会の人と「私を退任させたかったらボスに言え」って立ち去る神父が言うところの「ボス」が教皇であるところ。教皇は確かにボスなんですけど…多分そう言うところがめちゃくちゃ浮いてて…。
今作では悪魔のことを「人の心に巣食う弱み」とかではなく実在する悪魔、この世に存在し教会の転覆を狙う組織として扱うのが一貫していてダイレクトな思想を感じた。人の心に巣食う弱みは悪ではなく、悪が狙う傷、としてるのもよかった。不道徳というか不謹慎なんだけど、クライマックス前に「悪魔に狙われるかもしれないから」と罪の告白を促せるの、あまりに脚本に優しすぎる。ここで事件の真相や黙っていた心境を吐かせることで最終決戦に重みがでる。本当にドラマ版ないんですか??ちょっと変なオチでも「神の行いの全てを知ることはできない」で笑ってまとめられる特典もあるのに?!?
曰く付きの修道院
アモルト神父が親子の前に姿を現した時の全てが「場慣れ」で凄かった。あと「神父」の力を感じた。
笑顔で挨拶をして、手を広げる仕草には裏表がなさそうで整えられた正装からは胡散臭さがない。「どうして司祭が?」の問いに「病院は欲しい答えをくれましたか?」と悪魔憑きの可能性は語らずに心に寄り添う姿を見せ、「私の見立てを聞くだけで良い」と頷くハードルを下げる全てに信頼感が滲んでいた。たぶんアモルト神父は家族へのアフターフォローもめちゃくちゃできる。
ヘンリーとの初対面のシーンめちゃくちゃ好き、冒頭の豚を使った「茶番」でもしていたメダルを左右に振る動きが相手が本物だった場合は本人の瞳の裏から悪魔の瞳が現れることが明らかになって、彼の行動にはこれまでの経験が全て生かされてるんだって分かるし本編が始まったのが分かるから熱かった。
あと日本だったら悪魔憑きを信じさせるターンが必要というかないとリアリティーラインが疑われてしまうと思うんだけどこの作品にはない。ヘンリーの豹変っぷりが本当に凄かったので疑うまでもないのはあるけど、家族の変調の可能性として「悪魔憑き」が「珍しい病気」くらいの距離感なんだろうなと思った。
悪魔祓いのシーンは全部好き!!!「咄嗟に唱えることのできる言葉はあるか?」「天使〜(忘れた)なら…」のところ、実質「何が使える?」「拳銃が少し…」だった。
このあとさっくり行われる罪の告白も独特の戦いの準備で、悪魔はそこを狙うからあらかじめ弱点を潰しておこう。って話なんだけど2人の司祭は割と終盤まで自分が殺してしまった女性を振り払えないし、今回の悪魔が強いこともありかなり暴力に訴えてくるバランスも緊張感があって「目の前にいる悪魔」と「神父たちの甲藤」が常に隣接していて「ちゃんと仕事をやれよ!」ってこともなく、全てに向き合っても負けてしまいそうになることがあるっていう人間味が出ていてこの辺がヴァチカンのエクソシストの好きなところだった。
終盤で罪の告白をした時に「今こそその重荷を下ろす時、神は許されました」ってトーマス神父に言われるシーンがあって、ここにめちゃくちゃ宗教性というか神様の必要性を感じた。
自信が許すことができず、悪魔も狙う罪や弱点を頼れる誰かではなく目の前に現れた新しい人でもなくもっと大きな存在に預けるって行為は確かにその身を軽くすると思ったし、だからこそ「神はここにいない!」が脅し文句として通用する。
途中、「やったか…?」の時にマリア様っぽいのが降臨するシーンがあって「それはちょっと、それはちょっとダメじゃない?!??」って思ったらちゃんと悪魔の仕業だったのが面白かった。偶像崇拝、ダメ(なこともあります)!
このシーンでアモルト神父が跪いてしまったことがあとの「神の前に跪け!」って文言からも心を折ってしまった分岐点なんだろうな〜。
終わったあとに「残り199件ある」「1人では一生終わらない、でも2人なら…」のところ、本当に嬉しいというか、仮に続編がなくてもこの2人の功績のことをお互いが認めてるからペアを組んだんだな〜!!って思えて嬉しかった。それはそうと続編は使って欲しい。
それはそうと〜!!それはそうと異端審問のことは認めな〜?!?の気持ちはある。悪魔のせいにするんじゃない!めっ!!って思った。気持ちはめちゃくちゃわかるし、あの悪魔祓いも負けたアスモデウスに勝てるのか…!?の振りなのも分かるけど異端審問のこと教会の罪って認めな〜?!?
今作は悪魔が「心に巣食う隙」ではないので尚更そうだった。
最高だった。ホラーの要素もたっぷりで、神父の言葉が生きてる経験から生まれている重みがあったからキリスト教を知らなくてもグッとくるところがあって「母の愛は神の愛に最も近い」とか「信仰は?」「子供の頃は守護天使が学校まで送ってくれると思っていた」「では守護天使に祈りなさい」とかが特に「生きた言葉」だなって思った。アモルト神父の人生に刺さる言葉いっぱい聞きたい。
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