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「痴」(三)~『聊斎志異』


「痴」

」は『説文解字せつもんかいじ』に「不慧也」とある。「かしこくない」ことを言い、元来は、頭の働きが鈍い精神的疾患を指した。

派生して、精神が凝り固まった恍惚のさまを表し、さらに一つのことに心を奪われ、耽溺して、のめり込んで、周囲の目に愚かしく映ることを表すようになった。

『聊斎志異』の「痴」

清・蒲松齢ほしょうれいの怪異小説集『聊斎志異りょうさいしい』には、「痴」の性格を備えた者が数多く登場する。情に溺れて愚かしい行動に奔る「情痴」、あるいは「書痴」「花痴」「石痴」など特定の物に心を奪われる「痴」の男たちである。

阿宝あほう」篇の孫子楚そんしそは「情痴」の典型的な例である。仲間から「孫痴」と呼ばれる孫子楚は世故に疎いうぶな書生で、惚れた女の戯れ言を真に受けて、斧で自ら枝指を切り落としてしまう。

ほかにも「連城れんじょう」篇の喬大年きょうたいねんが女のために胸の肉を割いたり、「葛巾かっきん」篇の牡丹マニアの常大用じょうだいようが女の調合した毒薬をあおったり、「石清虚せきせいきょ」篇の荊雲飛けいうんひが珍しい石のために寿命を犠牲にしたりというように、「痴」の男たちは、一人の女性、あるいは特定の一つの物を直線的、盲目的に追い求めんがために、常軌を逸した行動に奔る。

「阿宝」篇末尾の論讃には、「痴」に関する作者の見解が述べられている。

性癡則其志凝、故書癡者文必工、藝癡者技必良、世之落拓而無成者、皆自謂不癡者也。
性情が痴であれば、その志が凝る。ゆえに、書痴は必ず文章が巧みであり、芸痴は必ず技が優れている。世の零落して成すところのない者は、みな自分は痴ではないと思っている者たちだ。

何事においても「痴」であることが事を成す原動力であると語っている。
正に「痴」の讃歌である。

文人精神としての「痴」

『聊斎志異』の中で描かれている「痴」は病理的なものではない。主人公の男たちは、いずれも書生(科挙の受験生)であり、精神的な異常者などではなく、むしろ学問のある優秀な若者である。

作中に描かれているのは、文人精神としての「痴」であり、それは蒲松齢の性癖と少なからぬ関わりがある。

『聊斎志異』の序文「聊斎自誌」では、

牛鬼蛇神、長爪郎吟而成癖。
長爪郎は、牛鬼や蛇神を詩に詠むのが病みつきになった。

と語って、怪異の世界にのめり込む自分の姿を鬼才李賀りがに投影させている。

さらに、下文では、

遄飛逸興、狂固難辭、永託曠懷、癡且不諱。
たちまち逸興を飛ばすがごとく狂の心情が抑えきれず、永く曠懐を託して、痴と言われようともあえて意としなかった。

というように、「狂」と「痴」を並べて怪異小説を執筆するに当たっての心境を記している。

蒲松齢が「痴」という語を好んで用いた背景には、当時の時代思潮との密接な繋がりがある。

明末清初は、精神文化史の上では、きわめて特異な時代であった。明末は、一部の思想家や文人たちの間で性情の解放が唱えられた時代である。

朱子学に対抗して陽明学が台頭し、人欲を去って天理を存する「理」の倫理体系を退けて、人の自然な心情の発露を尊ぶ「情」の倫理体系を唱導した。

「情」は、戯曲『牡丹亭ぼたんてい還魂記かんこんき』や小説『紅楼夢こうろうむ』に代表されるように、文学の領域においても盛んに語られたテーマである。そうした「情」を正面から取り上げ頌揚する思潮の中からしか「痴」に対する肯定的な認識は生まれてこない。

明末清初は、価値観の揺れ動きの激しい時代であった。諸々の既成の価値を正から負へ、負から正へ顛倒させる奔放な思想が、一部の文人の間に現れるようになる。

「痴」は、元来は負価でありながら、小賢しさや小利口さのない純真な心を表すというように、プラスに解釈される要素を文字自体が内包しているゆえに、正価への転換が許されたのである。

さらに、この時代に個性尊重の人間論が盛行したことも少なからぬ関わりがある。円満で調和のとれた人間よりも、偏屈で欠点のある風変わりな人間がもてはやされる風潮があった。

袁宏道えんこうどうの「拙効伝せっこうでん」、袁中道えんちゅうどうの「回君伝かいくんでん」、張岱ちょうたいの「五異人伝ごいじんでん」など、迂拙者や放蕩者の伝記が著され、礼教道徳の枠の外で生きる自由人が、虚飾のない真の人間として称揚された。

当時流行した「小品文」と称する短編の随筆集からも、そうした状況を推察することができる。

張潮ちょうちょうの『幽夢影ゆうむえい』から数例を挙げる。

曰癡、曰愚、曰拙、曰狂、皆非好字面、而人毎樂居之。
曰奸、曰黠、曰強、曰侫、反是、而人毎不樂居之、何也。

痴と言い、愚と言い、拙と言い、狂と言い、みな字面はよくないが、人々はつねに喜んでその境地に身を置こうとする。
奸と言い、黠と言い、強と言い、侫と言い、これらは、その反対であるが、人々はつねにその境地に身を置こうとしない。なぜだろうか。

情必近於癡而始眞、才必兼乎趣而始化。
情は痴に近くてはじめて本物になり、才は趣を兼ねてはじめて立派なものになる。

花不可以無蝶、山不可以無泉、石不可以無苔、水不可以無藻、喬木不可以無蘿、人不可以無癖。
花には蝶がなくてはならず、山には泉がなくてはならず、石には苔がなくてはならず、水には藻がなくてはならず、喬木には蘿がなくてはならないように、人にはへきがなくてはならない。

『聊斎志異』に登場する大勢の「痴」の男たちも、こうした思潮の延長線上にある。

「狂」と「痴」

「狂」と「痴」は、円満を欠いた人格、常軌を逸した性癖を表すという点で一致しており、文人精神を体現した概念として相通ずる概念である。

その一方、両者は極めて明白な対照性を持っている。

「狂」は「外」(社会・世俗)へ向かって激しい発散的な性質を持つのに対して、「痴」は「内」(自己の内面)へ向かって鈍く凝集的な性質を持つというように、両者の間には、精神活動の方向性・運動性において顕著な違いがある。

社会性という観点からは、「狂」は社会の規範から意識的に逸脱するものであるから「反社会的」であるのに対して、「痴」は外の世界に全く関心を示さず個人の精神世界に閉じこもるのであるから「没社会的」である。

やや乱暴な分け方をするならば、「狂」は「陽」であり「動的」であり、「痴」は「陰」であり「静的」であると言えよう。両者は、対立しながら、また補完しながら、中国の思想・文学に彩りを加える存在となっているのである。


*本記事は以前投稿した以下の記事を簡略に改編したものである。


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