見出し画像

父の日に。KCAFLからのメッセージ

今日は父の日。私達みんなの父に感謝をする一日。

アメフトにも父と呼ばれている偉大な先人がいます。今、日本で私達がアメフトをプレー出来る環境を作ってくれた父と呼ぶに相応しい人をこの父の日にご紹介しようと思います。

一人目はアメリカンフットボールが競技として普及するきっかけを作った人、二人目は戦後、日本のフットボール振興に大きな貢献をした人、そして日本に最初にアメリカンフットボールを持ち込んだ人。

まずご紹介するのは「アメフトの父」ウォルターキャンプ。

1890年代にイェール大学でプレーし、その後、母校の監督となった氏は今のアメフトの礎となる多くのルールを定めた事で米国でアメフトの父と称される人物です。

ウォルターが学生としてプレーしていた時のアメリカンフットボールは15人制、スクラムからプレーが始まり、フォワードパスは禁止、とラグビーとの競技性の差異が曖昧なスポーツでした。

キャンプ氏はこのスポーツを進化させるべくルールの改革に着手。このスポーツを特徴づける画期的な二つのルールを編み出し飛躍的にアメフトを魅力的、戦術性の高いスポーツに進化させます。

一つ目はスクリメージライン。

プレーが始まるまで相手のコンタクトを受けないスクリメージの概念はセンターからのスナップやダウン制を編み出し、現在のフォーメーションの基礎でもある7人のラインマンに4人のバックフィールド選手(QB、RB、FB)が誕生することとなります。

ニつ目はブロッキングの概念。

これによりボールキャリアをタックルしようとするディフェンダーをボールキャリア以外の選手が邪魔することが可能となり、またフォワードパスを解禁したことでオフェンスプレーの種類を格段に増え、現在のアメフトのルール、戦術の基礎がここに生まれたのです。

更にはフィールドサイズの制定、スコアリング、試合時間、審判団の配置、ヘッドギアの使用などのルールを整備したウォルターは、いってみれば近代フットボールを発明したまさに”アメリカンフットボールの父”と呼べる人物と言えます。

二人目に紹介するのは日本のアメリカンフットボールの父、と称されるポール・ラッシュ博士。

ケンタッキー州ルイビル出身の博士は関東大震災後にYMCAより日本に派遣。日本の青少年のリーダーシップ教育をYMCAや立教大学において施します。更には戦前、戦後を通じて、青少年教育に留まらず、酪農の普及、農村復興に力を注ぎ、青少年教育のキャンプ地として定めていた山梨県の清里村を開墾。地域産業創生を行い、また関東大震災や第2次世界対戦で被害を受けた聖路加国際病院の復興にも力を注ぐなど日本で多くの社会事業に尽力された人物です。

博士は学生スポーツの普及にも力を注ぎます。

立教大学在職中に東京学生アメリカンフットボール連盟を設立。敵性スポーツとして戦時中は中止されていた競技の再開にもGHQの一員として尽力。戦後は昭和21年に再開された全国中等学校野球大会(現在の甲子園選抜高校野球大会)復活にも携わり、1948年に博士の尽力によって開催された第1回ライスボウルでは始球式のキックを務めました。日本アメフト協会はその業績を讃え、84年からはライスボウルの最優秀選手にはポールラッシュ杯が贈られるようになり、日本のアメリカンフットボールの父として広く知られることになりました。

そして、もう一人、是非、知っておいてほしい日本人のアメフトの父がいます。

「争うのではない。競うのだ」

近代コーチの祖として近年、再評価が進む岡部平太は日本人で最初に米国でアメリカンフットボールをプレーし、競技を日本に紹介した人物です。

シカゴ大学に留学し、学内ではボクシングやスキージャンプ、そして日本人として最初のアメリカンフットボール選手として現地でプレー。後に自著「世界の運動界」(1925年出版)の中で、日本にアメリカンフットボールを紹介。根性論ではなく、科学的な理論を大事にした岡部は日本に「コーチング」や「トレーニング」の概念を持ち込んだ最初の人物とされ、日本のスポーツの近代化に大きな影響を与えた人物です。

「もう戦争は終わったのだ。ここをスポーツによるピースヒルにしたい」

戦後、第3回の福岡国体の用地に困っていた時、彼はGHQに接収されていた土地(現在の舞鶴公園)に目をつけ折衝するも奪還は難航します。しかし岡部のこの最後のひと言が決め手となり、ピースヒル=平和台陸上競技場設立にこぎつけた話は岡部のスポーツに掛ける思いと強固な意思を示すエピソードとして知られています。

早すぎた“選手ファースト主義者"として旧態依然の組織としばしば対立。強固な意志を持ち、相手が誰であろうと自分が納得しない限りは立ち向かっていく反骨精神は時に軋轢を生み、波瀾万丈の人生を過ごした彼は決して広くその名を知られる人物ではありませんが、NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公で、日本人初の五輪マラソン選手、金栗四三などと共に日本の近代スポーツの幕開けに重要な役割を果たした人物であり、日本にアメフトを持ち込んだ功績を讃え「日本アメフトの父」と称して良い偉人と言えます。

私達は今日という”父の日”にご紹介した3名を筆頭に競技の普及に携わられた多くの先人に感謝、敬意を称し、私たちに課せられた未来へこの競技を紡ぐ自覚を持ってこの父の日を過ごしたいと思います。

Thank you Dad!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?