いたみを伴う青春の話

青春の前日譚であり青春の始まり

 友人とバカをしたり、人を好きになったり喧嘩したり笑ったり、そんな毎日を繰り返しながら甘酸っぱさを感じる高校生活。
 青春という言葉が似合う年頃であり、青春そのものを具現化したような存在でもある高校生。しかし、全ての高校生がそのような生活を送っていたり考えている訳ではない。友達を作らず独りで行動する高校生だっているのだ。そんな高校生が春休みにとあるきっかけで友達ができ、怪異に巻き込まれていく話。今回泣いた映画は「化物語」の日譚に当たる、「傷物語鉄血編」だ。

主張と言い訳は紙一重

 阿良々木暦は友達を作らない。作らないのかいないのかには大きな違いがあるが、彼の言い分としては「友達を作ると、人間強度が下がるから」というものだ。友達を想えば想うほど、友達が自分の弱点になってしまう。友達がいなければ自分のことだけを考えていればいいから、結果として一人の方が強いという屁理屈混じりの主張だけれども、どこかしら芯を突くないようであり、高校生としては若干心配になってしまう。友達を作らないのではなく、友達ができないの間違いじゃないのか?性格的に問題がなんて考えてしまうと心が痛くなってしまう。ここが最初の涙ポイントだ。物語の内容云々ではなく、主人公の阿良々木くんのこれまでのこれからの将来を考えてしまうと泣けてしまうのだ。
 そんな阿良々木くんだが、春休みに偶然あった羽川翼と友達になるのだ。頑なに友達不必要論を曲げない阿良々木くんに対し、羽川は一方的に半強制的に友達第一号になったというのが正解にはなる。これを友達だと言っていいのかは疑問に思うところだが、もともと友達自体が言ったもん勝ちのようなところもある曖昧な定義で成り立っているようなものだと思うので、これはこれでいいのではないかと思う。何にせよ友達ができてよかったじゃん阿良々木くん。そんな気持ちで泣くこと2回目、序盤から飛ばしている。

少年と吸血鬼と

 友達はいなくとも、健康的な男子高校生。性に対しては当然のように興味があり、コンビニでエロ本を買うことだって行う高校生だ。そんな夜中のコンビニ帰りに出会った、いや出会ってしまったのが、四肢をもがれ瀕死状態にありながらも、高貴な存在感を放つブロンズヘアー吸血鬼だ。鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼「キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード」理から外れた存在、怪異である吸血鬼をみた阿良々木少年は例外なく泣いてその場を逃げ出したのだ。何も間違っていないし、普通の行動をとった少年だが自分よりも勝っている種族である吸血鬼が命乞いをしている姿を見て、心の中の葛藤を押し殺し、友達のいない自分なんかよりも目の前の吸血鬼を命を引き換えにでも助けるべきだと判断し、自分の首を差し出すのだ。
 葛藤しながらも人助けのために(人ではないけれど)自分の命すら犠牲にするなんて普通はできない。少なくとも自分にはできない。そう思うとやはり泣けてくる。
 自分の命を差し出し死を覚悟した阿良々木くんだが、吸血鬼の眷属となり死ぬことなく目覚めたのだ。命拾いしたことにはなるが、眷属になってしまったということは簡単に言えば人間を辞めたことになってしまう。吸血鬼の眷属である以上、日の光を浴びることができない身体になってしまい、日にあたることは死を意味する。そして追い討ちをかけるように、吸血鬼ハンターに命を狙われることになるのだ。一難さってまた一難どころの騒ぎではない。難が去る前に次々と難が押し寄せるなんて、例えるなら地獄そのものだ。友達がいないとはいうが、半強制的で一方的ではあるが友達第一号ができてすぐにこんな目に会うなんて、涙なしでは見られない映画だ。

序盤というまとめ

 物語も大きく動き出したと思った矢先、突然のエンドロール。え?ここで終わり?なんて思ったのではないだろうか。実際私自身見たときには思ったことだ。しかしお忘れかもしれないが、この映画には副題がついている。「鉄血編」という副題が。鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼の鉄血である。つまり熱血編と冷血編もあり、この映画三部作なのだ。そして一本が60分ほどの映画になっており、最初に話した友達論が繰り広げられる日常会話に過ぎないようなものが、この鉄血編の大半をしめているといっても過言ではない。三部作全体を見れば序盤から飛ばして泣いていることになるが、鉄血編だけでみてみると、序盤なのか怪しくなるが、多めに見て欲しい。



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