見出し画像

PTAの必要不要を考えるための3つの事例について

PTA問題がマンション管理組合の抱える問題に似ていると感じ、その動向を追いなから共通する解決のヒントを探ろうと、PTA問題を取り上げています。


それまで慣例としてボランティアによる運営が続いていたPTAについて、代行サービスをどう考えるかという記事が目に止まりました。

記事では、PTAに特化したアウトソーシングサービスが登場して注目を集めていることを導入とし、保護者たちの声を紹介。

「事務的な作業の外注は理解できるが会議への代理参加は疑問」「資料作成と配布をデジタル処理することで負担は減るから、全部丸投げできる代行会社も選択肢のひとつ」「PTAには本来の業務とは異なる講演会の出席などもあり、個人的に有給を使ってまで参加したくない内容なら依頼するかも」「個人情報に触れるような業務でない限り、代行サービスの利用は許容できるのではないか」「マラソン大会の見守り、校外学習の低学生付添い、大掃除の手伝いなど、保護者でなければNGなものでなければアリだと思う」「PTAが必要なら、存続のためにすべてを委託してもいいのでは? ただし、お金と時間を費してPTAを続ける意味があるのかという問題にぶち当たってしまうが」等々、かなり手厳しく現実的な回答が寄せられていて、PTA問題が保護者たちにとって切実なものであることを感じさせます。

さらに問題を深刻にしているのは、「改革をする当事者になれない」という点。

コロナ禍で行事の中止が相次ぎ、必要不要が明確になった部分はあるものの、コロナ禍が明けつつあり「今後はどうなるのかわからないけど、今はPTA役員決めは従来どおり」となって、旧弊が復活してしまうというわけです。


AERA dot. では、旧弊を維持する勢力に立ち向かい、4年をかけて組織を解体して新しいPTAを立ち上げた千葉県船橋市PTA連合会顧問の宮下博氏の事例を紹介しています。

宮下氏による新PTAは、「やりたい」と手を上げた人だけが"コアメンバー"となって、主に生徒や学校への支援のみの活動を行うというもの。

必要に応じて計画外の活動も実施し、"サポーター制度"に登録した保護者に応援を仰ぐというシステム。

元々船橋市のP連会長だった宮下氏は、市議からPTAの存在の是否を問われたことをきっかけに、P連の考えを明確化しようと「2017アピール」を公表。そこでPTAの必要性と透明性を謳ったことが現在の改革につながっています。

当時、P連の会長に加えて中学校のPTA会長まで引き受けざるをえなくなってしまった宮下さんは危機感を募らせ、会員の意識調査を実施。400人からの回答を分析し、維持継続のための"断捨離リスドを作成するに至ったわけです。

そのリストのトップ項目がポイント制の廃止だったのですが、ポイントをためることで役員を免れると思って耐えてきた保護者たちから総スカンを食うことになったものの、説得を重ねてなんとか全廃にこぎつけます。

ただし、周囲から役員は去り、残ったメンバーも友だちから責められて苦しい思いをしたそうです。こうした正常性バイアスが改革の最大の抵抗勢力になることの見本のような話ですね。

再スタートを切った宮下体制では"サポーター制度"を立ち上げ、現在では5~6人のコアメンバーと100人以上のサポーターという体制でPTAが回っているとのこと。「必要とされる活動に対して会費を支払い、参加するのがPTAの正常な姿」という言葉には、理想を現実に落とし込んだ"重み"を感じます。


前段の宮下氏はPTA必要論を発展させてミニマムなシン・PTAを構築した事例ですが、一方のPTA不要論にも耳を傾けてみましょう。

このDIAMOND onlineの記事では、教職員の視点でPTA問題を取り上げています。

まず、教職員が強制加入となっていて、会費が給与の振込口座から勝手に引き落とされるというトンデモ事例が挙げらています。

そもそも支出のほとんどが一般教職員とは関係のない活動に使われるもので、"やらずぶったくり"の慣例が続いていたというわけです。

また、教職員には金銭的負担だけでなく、PTAの"雑務"も追加されるわけなので、任意であればこそ「参加しない」という選択をする教職員が増えるのは当然と言えば当然。

ちなみに、「参加と会費納入は強制」と騙された教職員が少額訴訟を起こして勝訴し、会費2年分と訴訟費用を取り戻した事例が紹介されています。

こうした「先生もPTAの一員 だから」と参加や会費納入を 強制する背景には「保護者も払っているんだから先生も払わなければズルい」という心理が働いているとしています。

記事では、まとめとして 教職員にも無償労働の提供を強制する慣習を断ち切るため、NOという声を上げる ことが大切としています。

私見では、NOだけでは旧弊を廃すことはできても、PTAの在り方を問い直したり、開かれた学校のための対話の場を作る方向に進めないのでは......と感じています。

さらに、児童・生徒が参加していない場での児童・生徒の生活にかかわる事柄が決定されていくシステムにも問題があるでしょう。

マンション管理組合では、権利者が所有者に限定され、会費にあたる管理費も所有者以外に請求されることはほぼありませんが、管理組合理事の無償に近い労働と成り手不足に関してはPTAに共通するところも多いと感じています。

PTAについては、慣例への追随が招いたと思われる不祥事も多く見られ、そうしたほころびから不要論が盛り上がってもいるようです。

引き続きPTA問題を多面的に考察しながらマンション管理組合問題の解決に活かせるよう、ウォッチしていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?