青柳拓監督「東京自転車節」2021年公開 映画レビュー

2021年、東京の街には2020年東京五輪・パラリンピックの旗がたなびいている。
虚構、とはこのことで、感染症対策のために延長された非常事態宣言下で、映画を見た。
「東京時電車節」
映画を撮っている監督が主演と言える映画で、主人公は、映画が撮りたいということは劇中では言わず、必要に駆られてインターネットを介した宅配業を行う。フィクションといえるのは、この「映画を撮りたい」ということに関する言及がないこと、それくらいで、これ以上ないくらい場面場面は現実だ。時々映り込む、元首相に向けて当時自分自身が思っていた気持ちなどを、たった一年前の話なのに、過去の話のように思い出す自分のほうが、偽物の気持ちで何かを演じていたのではないかとすら思ってしまう。近過去という手法が、この虚構性を画面越しに突き刺してくる。そして、今日の昼間にも見た、2020の旗が、おそらく、今日のことだって虚構性の中で生きていたのだろう?と一年後の自分を想像して重層的に問いがやってくる。
 出てくる人物も、主人公が駆け回り、時に空を見上げていたから出会ったのであろう人物だ。そうした人に出会うべくして出会っている時間の積み重ねは、先ほど指摘した、「映画を撮りたい」という本音を、迫力でもって見せてくる。名が売れるのは、何万人に一人であること。たった75年前は焼け野原であったこと。東京という都市が持つ、本質的な虚栄と虚構を、いよいよ情勢が悪化していくかのような焦燥感の中で、ふいに俯瞰するシーンの抜けの良さは、あざやかだ。自分に言い聞かせているの。というせりふは、対話の多くの場面が、手のひらのスクリーン越しに気持ちを動かしている現代に特に響く。
 映画を見終わり、外に出ると、LEDのやけに透過性のいい信号機の色が、主人公の目に映っていた色と同じかもしれないと、思った。忘れていたけど、カメラワークもよかったのだろう。
 完成したものを見るのは、快楽でもあり、くやしくもある。見た後の感じをこぼさないように帰路についた。

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