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水面を見る人きく術概論綱要

序論

・・・われわれ手のひらをよく眺めている。電気の水面ばかりでは目がケイレンしてしまう

土と陽光がちょっと、これが時だ。
収穫を求め天候に呼ばれ、体に聞きながら畑に立つ。

時に不作もあり、思い通りにいかぬ当然に腹を立て、聞こえる声で気持ちを吐く。傍にいてくれた人だけでなく、山も空も海につたい、私に聞こえる。

だいたい、何もできないと最初は思う。だけど、一人でないということがどれだけ状況を変えてきたろう。だから、聞こえた声が自分が生きていることなんだと念をのむ。

時に声がうるさく思う。そんな時は、水面に目をやる。空からは色んな音がする。だいたいは、代替品であることすら意識せずにスマートフォンをながめ、なでて、意識から脱走する。

とけていった時に苦さを感じる。苦しさや逃げたさの出口が苦さなのは辛い。

草冠に水面をのぞき込む人、これが藍だ。

きく術は、水面のゆれをのぞく術だ。


水面見る人きく術の興隆

・・・なぜわれら水面みる人の聞く術がいま起こらねばならないのか

われら時を運ぶヒトであることは、今も昔も変わらない。
その時が、どうも底抜けにインターネットという意識の収集空間に流れ出ることが止まらないのだ。望んでその加速に加担しているのが今のわれらだ。

その空間につながる装置は、水面のように暗く、光り、さわるとゆれる。よくできた水面の代替物となっている。

集中という体に伴う浮遊状態は、電気のような一定の波に触れすぎていると共振し、焼けついてしまう。やけついた意識の空洞は、虚ろな穴として、ものたりなさと焦りを残す。

水に入り、虚ろの泡を一度、体の外へ浮かべ、次に息をするときには、その音が聞こえるよう、周りにある生きものの火に耳をすまそう。

水面にふれる。中に入る。その中を見つめる。きく。これは、生きている火を燃やすことだ。受信、発信を電気空間のなかにおいておくだけにせず、時に、ほんとの水に、火にきいてみよう。

水面見る人きく術の本質

・・・あらうことと、あらわれること、これが本質だ。

日常の大変容をみることができるのは、台所や洗濯の水場にある。水場は人の集まる処であり、暮らしの根となるものである。水の音の中に、人の声や風、生きものの音、そうした穏やかな、ざわめき、にぎわいがある。

水道がひかれ井戸端はなくなり、エアコンがひかれ、炉端はなくなった。

暮らしの端はすぐにちらかるし、しょっちゅう修繕を必要とする処だから、たいそう楽になった。ただ、道端のない道で立ち止まることが難しいように、一呼吸いれるところがなくなっていっているのは確かだ。

一呼吸つく場所として、手のひらの液晶の水面をながめ、ふれる。

時々でいい。呼吸をあらおう。きっとみることや、きくことや、ふれることが、生きてあらわれる。

水面見る人きく術の原野

・・・水のある処にその術はある。瞳の中にも水面があり、合わせ鏡のように水面を映す

ぼんやりときいているように、水面を眺める。

そこに枠はなく縁がある。つかれやすいというのは、すでにつかれているのだ。休もう。困難なことは、初めてが始まる兆しだ。声に出して周りに耳をすまそう。


水面見る人きく術の泉

・・・エネルギー密度で言ったら人は太陽よりも熱い

湧水は手を入れていないと別なところに移ってしまうという。

わければわけるほどふえる。つかえばつかうほどみがかれていく。

必要なものはきっとそばにある。難問をたのしむ。

チャンスの時に一度地に足をつける。

水面見る人きく術の制作

・・・貯蔵における技に目を凝らせ。大いなる雪の蔵、ヒマアーラヤにねむる地の声を聞け

あきらめを次の一歩の足場とする。

ころがるように心を研げ。たましいの熾火が集まり、火が立ち上がる。

細胞の中の水のふるえでねむり、起きたときに思ったことをやろう。

水面見る人きく術の産者

・・・みなもにうつる、みなおもしろい雪の中の蒸気

こころふゆるふゆ

芽吹きの木々が帰り道では、なおのびていることを見る。
春の風、雪で倒れた木々を次の薪とし、土に種を今年もまく。

陽射しのおもさを感じる夏。拠点を整備し、月の秋に来たる冬、去りし人を思う。

水面見る人きく術の批評

・・・相場というのは、相う場で生まれる

偶然に出くわす人々は、その場で起きた時のことを、ことばにすることができる。言葉が生まれたことで、その出来事は時空をこえた概念となる。

そうした概念を一つの星とすると、次々と生まれる星々は、星座のような関係を結ぶことが出来る。そうした空間を概念空間とよぶことにする。

その空間は、局として新たな未踏の地への足がかりとなる。その進路を吟味することが批評である。かつての井戸端が担っていた相う場をつくる。

端は路であり、工房である。

水面見る人きく術の総合

・・・やはりわれら水面を見つめるだろう

目のケイレンは、ほんとの水をみることでおさまる。時に一度水を見よう。瞳にうつる童の姿を思う。

ことばは寸法となり、それは規矩術となる。

水面見る人きく術の結論

・・・カチカチとする音は、時計か、それとも何かがかみ合った音か。それが価値だ。

ちゃぷちゃぷ、ざーざー、ごうごごうご、きいてみよう。耳には石があり、それは眠っていてもいつもふるえている。

理解をおへばわれらはかかる論をも棄つる
ここには林剛平二〇二一年のその考えがあるのみである。

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