ヒスロム

ヒスロム「仮設するヒト」展レビュー2

へら鹿の角のような

 たらいで水を撒く、と、水はヘラジカの角のような形になって、粒々になって地面に吸い込まれていく。

 ヒスロムの「仮設するヒト」は、そんな展示だ。2018年12月28日までせんだいメディアテークでやっている。

 ヒスロムは普段、たらいの中の水のように一緒に居る。それが、今回の展示では、ある時の形を、残響としてくれる。そして、見ているヒトの仮初めの時間に染み込む。

 この展示には搬入が8日間と1日あった。その過程でみたヒスロムは、3人3様に展示に向けて動き、立ち止まり、ヒトと話していた。僕の見た、ヒスロム(加藤至、星野文紀、吉田祐の3人によって構成される)ヘラジカと粒々の話をするのが今回のレビューだ。マイアミのレビューに触発されてから、何度目かのトライだから上手くいきますように。

 ゆう君が、あんなにも建築家だったということに驚いたことがある。それは、「高台」と呼ばれる大きな坂道を有する構築物の下に見られる。建設現場に有りそうな資材が、美術館にはなさそうな場所においてある。
 しかも、ちょっと変だ。砂利がこぼれている現場はよくあるだろうが、ここは建設現場ではない。建築現場でも、石を持ち上げることはあるだろうが、ゴムで持ち上げることはない。
 でも、高台は仮設の現場の資材で作られているので、歩くと少し揺れる。揺れると、下にあるものが振動し、鳴る。それは、仮設の状態を楽しんでいるようだ。
 誰かが歩いているのを見ているだけで楽しい。でも少しドキドキする。落ちないだろうかとか思う。屋根屋さんの仕事とか、ビルの窓ふきの人とか。

 日々、街は建設されていく。それを維持する人がいる。ホントは、道もそうだった。陽が登れば台を出し、道具を少しばかり広げ、往来の中、仕事をした。そういう街や、建築を建築たらしめるヒト、音、目と目が合うことを、ゆうくんは高台の下に表現している。

 ぷーちゃんの、あんな楽しそうな顔が見れて良かった。ぷーちゃんは、ビッグワンパイプの磨き上げと、ハトの羽の磨き上げと、映像の編集の磨き上げをずっとずっとやっていたので、過程はあまり見れなかったけど、オープンの10分前に「バネ持ってきたよ」ってたくさんのバネを持ってきて、開場を待つちょっとの間のぼんやりしていたみんなが、一気にまた設営モードに切り替わり展示物の人形にバネを引っ付けた。

 きっかけを、嬉しそうに運べるようなヒトに僕は憧れる。出来上がった映像のフラッシュは、もう少し大人なヒスロムとして表れているけど、あの瞬間を忘れることが出来ない。
 きっと、ヒスロムが撮った映像たちは、そんなきっかけで始まって、少し大人な感じで撮られている。

 至くんは、あんなに透明なものを見ていたんだって思ったな。消えてしまうことと、忘れてしまうことと、透き通っているけど少し見えるものは、ちょっと違う。記録は、撮ろうとした瞬間に、その違いをあわてて一緒にしてしまいそうな気質があるな。
 そこでちょっと停まって、また歩き出す。前の文の、「て」と「ま」の間にある読点のような間を、コンクリートや板に展示されている写真に覚える。普通の写真より、コンクリートや木の板に張り付いているんだから、ずっとマッシブなはずなのに、それはとても透明に見える。
 写真を横から眺めたら、何も見えないはずなのに、何かその写真の映したものが見える。

 これは、アーカイブの話だ。見る人に届けるために、なにがしかの堅牢さと、近づきやすさが備わっているアーカイブの話だ。それはシステムではない。
 システムではないこと、もう一度同じことをやれないってことは、次の人に「初めてだけど思ったことやってみようかな」って気持ちを渡せるってことなのかもしれない。

 普段、3人は一緒にいるけど、そんな広がりが今回の展示にはある。

 12月21日から28日までは、その3人が展示会場でパフォーマンス。実は、展示物は、展示物ではなくてヒスロムのフィールドプレイの足掛かりだってことを見た人は気づくだろう。僕は、その時そこに居ないけど、見た人の話しを聞くのが楽しみだ。

はやしごうへい 
於:シャンティニケタン

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