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山の話

さて、山に毎日行くようになってから半年が過ぎた。思っていたことと違うこと、いろいろあるので、少しずつでも書き起こしてみたい。
何から話そうかと思うけど、おおまかなところから。
あぶないし、賃金は安い。
でも、外にずっといるというのは初めてのことだった。それがとても心地よい。秋の雨冷たいし、冬の朝は寒い。でも、山に行きたいなと思って道を上っている日がほとんど。
チェンソーの切削によるけがの予防のための服のチャプスは重たい。ヘルメットも重い。防音のイヤマフはなかなか慣れない。

木を切る時に、この木の生きてきた時間を、数十秒で搬出可能な大きさにしていまうざいあくかんを感じる。罪悪感っていうほど感じられてはいない。ただ、このままではだめだと思う。
勝手な話で、体の脱力が上手く行っていると、チェンソーの振動が横隔膜を揺らす共振が起こる。その時、切削の切っ先がどこにあたっているか、年輪のどこを通過しているか、自分を水の池にして見ることができる。

休憩の時間、鳥の声や花の香りに持ってかれる。
日向で木に座っていたり、幹に寄りかかり木の葉で雨宿りしていたり。

そういえば、眼鏡外して仕事をしている。木の切子が目に入るのを除けば、不都合はない。
吹雪の日があった。その時はまだ眼鏡をしていて、フェイスガードもしていた。雪がフェイスガードにすぐ積るし、切削面を見ようとすると風にまかれた切子が不思議なくらい眼鏡の隙間から目に入った。目が開かないまま切り進めると、バーの先端がどこにあるかが分かった。目を飲み水で洗っても、なかなか目の中の切子は取れず、次の造材のターンがはじまる。これ以上入ってほしくないからもう切削面は見ない。それでも、面を通るようにバーを進める。それから、眼鏡をはずした。その時は、家に帰ってからの残業が多くデスクワークの時間が長かった。そのため、目の痙攣を山の仕事の間で癒すには、裸眼が一番だった。

山の仕事を春から事業体登録しようという話が、年末に出たのをうけ、行政書類を作成していた。公社、公団、県森連、林災防、総合支庁、県庁、林野庁、組合。これらの組織の相関が理解できず、なんなんだこのルール、ってなってた。
大きく分かったことは、森林経営計画という五カ年計画を立てれるかどうかが、重要ってこと。うちの現場は、次の現場も決まっていないのが普通だよ。って。このギャップ。どっちの言うこともわかる。計画は重要だ。現場が終わらないことには計画も何もない。たしかにそう。
だから、両方やろうとして、家に帰ってきて事務仕事。このループはよくないって気づいたのは、すすめられて尺八を習い始めてから。

一日十五分の練習すらしない。こんなにも、時間を意のままにできないのはまずい。と気づいた。いまでも、少し重なるだけで、すぐに練習をしなくなる。この一週間も吹いていない。でも、いつも呼吸や、骨や軸には気を付けてる。そのもう一つ先の、ラグジュアリーが尺八の練習で、そこは是非習慣にしたいものだ。

ArcGIS、という一番時間を一緒にした地図ソフトがある。地図作りは、思い出深い技術で、原発事故後、故沢野先生にならった。そのときにインストールしたPCは、今はほとんど動かない。ハードディスクが熱を持ち、ファンが鳴りっぱなしの機体だ。ただ、ArcGIS10.1を使いたいときは、立ち上げていた。重たくなっていたし、いつ落ちるかもしれないのに、良く動いてくれるPCだった。新しいPCには、QGISしか入っていなかった。

林業の計画を立てるには、地図を作るのがすぐに思いつく。ただ、仕事で使うには環境が心もとなかった。そんな中、先月末ArcGISproが非商用利用のライセンスを出しているのを見つけた。数か月間、いかにしてライセンスを手に入れるかを考えていただけにうれしかった。準備ができ次第、導入した。キーボードもUSBのジャックが錆びていたので十二年ぶりに買った。そしたら何か書きたくなって、この文章を書き始めた。
しばらく、毎日書くと思う。







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