とていとて

なんといっていものか、徒弟制度は現代に可能か?


権威が疎んじられ、やりがいを搾取することは良くない、となると、ほぼ徒弟制度は成り立たないいんじゃないかとも思う。

ただ、あるにはある、それは技術が手に宿る以上、その手を見て、次の手を考えることが出来る。
モノを造るには、必然が必要で、それを用意することは容易ではない。その必然が先に用意さえていて、つくっていいよ、って状況があるのが仕事場だったりする。それは、つくるということが既にあるようなもので、現場があるということは、状況を用意した者、そこで状況をこなす者がいる。そこには、技術をあれこれ試す余地がある。

道場システム

先生と生徒ではない、教える仕組みに道場があると思っている。自分より少し出来る人に習う。もしくは、一人ではできないことを複数の身体を使い行う。場を開いた人がいて、そこに集うモノ同士が互いに教えあうこと、勝手に鍛錬することが出来る。そうした仕組みを道場システムと呼んでいる。

道、場とは大きく出た名前だ。作る場所さえあれば、道を志す者が好きにやるのか、師範がいればそこに集う者たちが場を作るのか。

開山って言葉がある。山はあったはずで、そこに一人やってきたものが開く。するとその山は修業の場になる。海開き、とは少し趣が違う。遊び、と修業はかなり近しく場に宿る。

弟子が師を語る


師曰く。書き物でもそうだが、弟子を見ればその師が何をやろうとしていたかが結構わかりやすい。人間個人ではとっ散らかっているが、うつしとられた要素は、抽象化されていてもはや、ヒトではなく、概念であったり技術になっていたりする。

前置きが長くなった。途中でやめる&オールスター直売にいって、モノとヒトをまとめてみる機会を得た。途中でやめるは、服のリメイクをしている。そこでみた、技術と考えの萌芽が「徒弟制度」の可能性をよい意味で感じさせたのだ。それの話をしたいのだけど、考えもまとまってないから、なかなか核心に入れない。

ところで、私は今、蟻鱒鳶ルというRC造の建築物の型枠工として働いている。固有名がどんどん出てきて、読むのが大変だろうけれど、現代が歴史になる前には、そういう語りが起きることは仕方がないことなんだと思う。まあ、蟻鱒鳶ルは、岡啓輔が20年に渡りつくっている建築物で、あと二年で一応の完成を迎える。そこで型枠をつくることを岡啓輔に習いながら、働いているのは、いわば徒弟制だ。
蟻鱒鳶ルの型枠は、びっくりするほど細かい木っ端でをも使い出来ている。もはや釘を打とうものなら文字通り、木端微塵になる朽ち木もある。それがなんとか形を保てるように、そっと細いビスを打つ。いわゆるコンクリートの型枠に、こんな弱い材は使えない。流動体として練り上げられたコンクリートをしばらく支える型枠として、側圧と呼ばれる力に耐えられないのだ。しかし、岡は、打設の高さを70㎝にすることによってその側圧を小さくするブレイクスルーを打ち出した。そして、完成にむけてステップを刻むように最近の型枠は50㎝程度の高さである。20㎝違うと何が違うかと思われるかもしれないが、側圧は、高さ方向に線形に効く力で、空気という流動体の中で当たり前に暮らせている我々からしたら、少し想像がしにくい。水圧をイメージしたらいいか。わずか30㎝くらいのシュノーケルでも息がしづらいのは、水圧に体が押されているからじゃないか?
そうなんだよ、技の話って細かくて、神話とかにたとえたほうがうまく伝わりそうな、現象の再解釈から始まる。
岡のブレイクスルーの一つに、側圧の扱い方があったことを覚えておいてくれたらそれでいい。そうそう、それによって、建材としての価値がほぼなくなっていた木っ端に、もう一度形の表れの機会が音連れたのだ。それは、リメイクと言ってよくないだろうか。

そうした、リメイクのとらえ方が、途中でやめると蟻鱒鳶ルに通じるものがると見て取れて、途中でやめる&オールスターズの4ブランドを横断してみていくうちに、自身の徒弟状態越しに、山下陽光を見ることが出来たし、世代が近しいということで、山下陽光越しに4ブランドを眺めることが出来た気がした。これは、手の内をさらしまくる、山下陽光のやろうとしていたことであろうから、応答を書き記したいと思ったのが、今回の大きな動機だった。ただ、発見が無かったのならば書くことはない。

先述した通り、何かあったのだ。それは、徒弟制度と呼んでいいものなのかは、現代の徒弟のイメージからすると判断は付きかねるが、このなんだか楽しそうに作っている感じは、昭和の建築物ときわ座と応答しているのではないか。と感じた。

とりあえず9時だ。仕事だ。

生乾き、発見の気配

ジンリキで作っていると、つくったものが乾いていく過程を見ている時間がある。服だったら洗ったり、建築だったら雨上がりだったり。生乾きな気って言葉は、生意気なガキと似ている。
あの日、関根さんは、ナデッフからときわ座に来ていて、オイルオンタウンスケープを持っていた。
中がまだ生なの、場合によっては何十年も
という油絵の具の物性を体感を持って想像することって、コンクリートの中で結晶が数十年も成長し続けることや、漆喰が時間をかけて石灰石になっていくのと似ている。
思いついたことをモノに移した時から、そういった別の時間、発酵や結晶化のような時間が動き始めるのではないだろうか。多くの場合、それは気にも留められていないだけで。
たとえば、散らかった部屋は、片付けられる。すると、さっぱりした気になるのは、そういった良くわからない時間の駆動が止むからではないだろうか。かように、意識はモノの変化を察知しているのかも。
ここで話は、徒弟に戻る。親方は、何の気なしにいろんなことをやり、子方は、意味わからんなりに聞いたり、勝手なことをやる。モノが勝手に動いていると、あれはどこ行ったと親方に聞かれる。この時の、親方の探しているものは、本当にそのものなのだろうか?多分、自分が招いてしまった共同性に伴う、モノの動作原理をも探っている。

群れと群生

共同性と言えば、

職人か作家か

職人は、これからも育つのか?竹細工職人に弟子入りを志願したことがある。「私の時代は、内弟子です。家族のように一緒に暮らしました。今は、竹の職人として生きていくことは出来ないので、弟子はとれません。竹の職人仕事は、段ボールとプラスチックにとってかわられました」
という答えだった。作り方が、家庭内手工業から、工場生産にかわると、内弟子でやる意味がなくなる。
船大工にも話を聞いた。「内弟子だったよ。何人か若いのがいて。私の最初の月の給料は石鹸一個だった。畑をやっていたから食ってはいけたけど」
この話を聞くと、貨幣経済にどのくらい生活を委ねているかによっても話は変わってくる。
みな、一世代、二世代前の話だ。でも、今なお徒弟制度を考えているのは、ノスタルジーではなく、なにかへ回路としての可能性を予感しているからだ。
職人、作家、アーティスト呼び名は変わり続けている。モノを作ることを取り巻く環境とともに。




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