回遊する -見跡-

 つくることを始め、ある時、これか、という確信を見つける。そんな時がある。
 獣の足跡は、雪や落ち葉の上に。では、ものをつくる、手で考える、ことの跡はどこにあるのだろう?

 身の回りには、作られたもので満たされてるといっていい都市部、市街地、居住地で、人為の痕跡以外を見るけることのほうが、かえって困難といっていいほど、つくられたものに囲まれている。飽和した視界を、今一度サラに戻し、世界を眺めたい。回遊することは、そんなことも引き起こす。

 高山建築学校を今年もやる。高山であること、建築であること、学校であるとこが大切でなければ、やらなくていい。それぞれ人生に、もっと大切なことだってある。

 高山には、もう会えない故人である、創始者倉田康男のすごした時間の痕跡が当然のようにあると思う。そして高山でかつて過ごされた人々の痕跡は、めぐる季節、夏の同じ場所、同じ季節、光、木々のにおい、雪解けの水の中にある。高山は豪雪地帯だ。雪に土は年の1/3は覆われている。風化の速度に他所とは違う、秘められた土の表れがあるのが、夏だ。

 建築であること。できたものは自分の一生を越える。日々の出来事に一喜一憂するなかで、建築は、常にどこに建築を置いているかの優先順位を問うてくる。人間である以上、建築を考える時間を建築以上に保ち続けることが出来ない。建築には、今はまだないモノ同士を繋げる力がある。

 学校であること。人にものを教えることは出来ない。学校を名乗る以上、まなぶやしろでは、あるだろうが、それだけだ。いわゆる「教育」を、ここではやらない。何かを学びに来るものが、寝起きする場所を用意し、環境は準備する。

高山建築学校2021参加者募集

流行感染症対策のため現地参加者は15名程度とします。運営で少なくとも5名は占められます。新規の参加者の希望が現時点で3名聞こえています。遠隔での参加は昨年は5名ほどでした。今年も、希望者がいれば現地とインターネットでつなげます。(2021/5/11現在)

高山建築学校10年生くらい林剛平

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